プロ野球・試合中の珍事件

 台風14号は山陰から日本海に抜け、その後、新潟県に再上陸。東北地方を横断して宮城県気仙沼市付近から太平洋に抜ける。

 各地に大きな爪痕を残したが、東京では未明の3時ごろに風雨が強まって目が覚めた。朝には雨も風もだいぶ収まっていたが、鉢植えがいくつか倒れ、高さ2メートルにもなったヘリアンサスは強風で相当揺さぶられたようで、茎が折れたり、裂けたりしていた。

 その後も雨がザーッと降ったりしたが、次第に落ち着く。

 

 夜、BS 12で千葉のZOZOマリンスタジアムで行われたプロ野球千葉ロッテオリックスの試合を観ていたら、思わぬ事件が発生。

 6回表、オリックスの攻撃中にスタジアムに鳥の大群が飛来し、グラウンド上を飛び回り始めたのだ。見事な編隊飛行。白と黒の鳥で、飛行速度が速い。海鳥だと思われるが、飛び方からカモメではない。とにかく、これで試合が中断。両軍選手はベンチに引き上げ、状況を見守る事態に。

 鳥の群れはグラウンド上空を自由気ままに飛び回り、しかも、途中から数が増えたようだ。

 過去に仙台でも同様のことがあり、その時はグラウンドの照明を消したら飛び去ったということで、千葉でも照明が消された。

 客席のスマートフォンの明かりも消すように場内に放送が流れ、ほどなく球場は真っ暗になったが、今度は鳥がどこにいるのか分からなくなった。まだいるのか、飛び去ったのか。

 さらに鳥が嫌がる甲高い音(鷹の声?)が発せられる。そんなものが用意されていたのか。

 とにかく、真っ暗では効果が確認できないので、少し明るくなったら、群れは小さくなったが、まだいる。しかも、人工芝の上に舞い降りて休んでいる。セカンドベース後方か。

 なんだろう、この鳥。羽繕いなどしている。

 鳥たちがまったりしだしたので、ロッテの角中選手がバットを手に鳥のほうへ歩み寄ると、鳥たちは飛び立ち、どこかへ行ってしまった。スタンドから大きな拍手。

 再び照明がともされ、鳥が姿を消したことを確認後、試合再開。20分ほどの中断だったようだ。

 図鑑で鳥の正体を調べてみたが、よく分からない。チドリとかアジサシとか、そのあたりだと思うのだが・・・。どなたか分かりますか?

 

(おまけ)日本平動物園のインカアジサシ

(きょうの1曲)PIZZICATO FIVE / 東京は夜の七時


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安曇野の道祖神

 昨日、非常に強い勢力で鹿児島県に上陸した台風14号は九州を縦断し、東寄りに進路を変え、山口県から一度日本海に出て、島根県に再上陸。山陰地方を北東に進んでいる。島根県に台風が「上陸」するのは観測史上初めてのことだそうだ。この台風の影響で、九州・中国・四国地方では記録的な豪雨と暴風で大きな被害が出て、多数のけが人、そして死者も出ている。停電も発生し、西日本の交通は計画運休もあり、ほとんどマヒ状態。

 東京でも朝は晴れていたが、急に雨が降り出したかと思ったら横殴りの土砂降りとなっては、また止んで陽が射すといった天気。油断すると、また土砂降り。風も徐々に強まり、不穏である。夕方には980hPaまで弱まったが、まだ安心はできない。関東への台風の本格的な影響は今夜から明日の午前中にかけてとなりそうだ。

 イギリスでは8日に亡くなられたエリザベス女王国葬がロンドンのウエストミンスター寺院で行われ、日本からも天皇皇后両陛下が参列される。今も世界には多くの君主が存在するが、世界中の人が顔と名前を知っているのはエリザベス女王だけだったのではないだろうか。世界中の人々に敬愛された、まさに世界のクイーンだった。

 来週開かれる予定の安倍前総理の国葬と比較するのはナンセンスだが、国民の大多数が反対する中で国葬を強行することで、安倍氏の名誉以上に日本という国の名誉を損なうことになるような気がするのだが・・・。まだ引き返すことはできる。

 

 さて、先日、安曇野道祖神をいろいろ見てきた。安曇野は過去にも何度か訪れていたので、うちには道祖神の写真が何枚かある。その中には今回見たのと同じ道祖神がいくつか見つかった。

 今回撮った写真。

 昭和63年3月に撮った写真。上と同じものだろう。

 この道祖神、恵比寿、大黒天の3点セットも34年前に撮っていた。これは見覚えがあった。

 34年前には背後の家はなかったのが分かる。

 今回は出会わなかった神様。これも昭和63年3月。

 真ん中が道祖神で、左側は庚申塔だろう。着色された庚申塔は珍しいのではないか。

 右の「大勢至塔」は二十三夜塔だろう。勢至菩薩が二十三夜の本尊である。

 

 道祖神、二十三夜塔、大黒天。

 NHKのドラマ用に制作された「水色の時道祖神の写真は何枚もあるが、やはりバックに雪化粧した北アルプスが見えるのがいい。

 昭和63年10月。この時は昭和天皇のご病気が深刻化していて、旅行中にXデーが来るのではないか、と心配しながらの旅だったのを思い出す。

 水色の時道祖神の横の道。この時はいい感じの野道だったが、時代が改まった平成2年に訪れた時は拡幅・舗装されていて、がっかりしたものだった。

 本来、道祖神は村の入口や辻など集落に祀られるので、このような場所に道祖神は普通はない。何事も絵づくりにこだわるNHKらしい立地だと今になって思う。

 次の2枚は平成5年5月。

 道祖神と二十三夜塔。

 これは今回の旅の没テイク。同じ道祖神を何枚も撮ったので。

 道祖神は旧穂高町だけで83体を数え、安曇野全体では数百もあるという。

 

 先月から行われたカーリングの北海道ツアーの女子はフォルティウスが2勝、大学選抜が1勝、ロコ・ソラーレが1勝という結果で終了したが、最初の2戦に出場して3位、4位だった中部電力は残り2戦には参戦せずにカナダ遠征に出ていた。10月末までになんと8大会にエントリーする強行軍。

 カナダの大ベテランで北京五輪にも出ていたJ.Jonesが優勝した初戦は3勝3敗の5位タイだったが、2大会目にあたる Alberta Curling Series Women's Major(12チームが出場)で決勝まで進出し、日本時間の今朝行われたスイスのKeiserとの決勝でも4-3と1点リードで迎えた最終エンド、相手にNo.1を持たれた状況でのスキップ北澤のラストショット。狭いガードストーンの間を通して相手の石を弾き出し、4点を奪い、8-3で勝利。通算7勝1敗で優勝を果たした。今大会は世界のトップレベルは出ていなかったが(最高が世界8位の韓国チーム)、 とにかく中部電力が海外の大会で優勝するのは初めてではないか。


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 国際的にはチーム名はスキップの名前で呼ぶのが慣例。ロコ・ソラーレならFujisawa、フォルティウスならYoshimura 、中部電力ならKitazawaとなるが、世界的に有名なFujisawaと肩を並べるようなチームに成長してほしい。現時点でKitazawaは世界ランキング30位で日本勢としてはFujisawaに次いで2番目だが、Fujisawaは世界3位。まだまだ遠いが、海外ツアーに参戦する機会が少なかっただけで、その気になれば、もっと上位に行けるポテンシャルは大いにあると思う。

(追記)今回の優勝でKitazawaの世界ランクは22位にジャンプアップ。

 

 今回の優勝賞金5,500ドルか。カナダドルだと今日のレートは107円ぐらいなので、60万円弱。円安で海外遠征は大変だろうから、せいぜい賞金を稼がないと・・・。

(左から北澤育恵、中嶋星奈、鈴木みのり、石郷岡葉純、松村千秋)

 

 最近、リザーブの位置に定着している松村は谷田康真と組むミックスダブルスに主軸を移しているようで、チャッスー(千秋×康真)もカナダの大会に参戦するようだ。

 ほかの日本勢も続々と海外遠征に出ているようだ。男子のSC軽井沢もずっとカナダ遠征中だが、高校生の山本くんは学校、大丈夫なのか?

 ちなみに男子の世界ランキングで日本勢トップはSC軽井沢のYanagisawaで、45位。日本男子も世界でがんばってほしい。

 

(きょうの1曲)ORIGINAL LOVE / 時差を駆ける想い


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台風14号

 猛烈な台風14号が九州に接近。「これまでに経験したことがないような」とか「数十年に一度の」といったフレーズとともに九州地方に大雨特別警報が相次いで出される。

 昨日の時点で中心気圧は910hPaだったが、今は920とか925とか930とか。少しずつ弱まっているが。それでもまだ途轍もない台風である。

 19時頃、鹿児島市付近に上陸したようだ。これから九州地方を北上し、その後、偏西風の影響で東寄りに進路を変える見込み。

 東京も朝から強い雨が降ったり止んだり。大きな被害が出なければいいが。

 

 彼岸花と東急世田谷線。そんなに出来のよい写真ではないな。

 夏の写真がいろいろ溜まっているが、季節外れになってしまった。

 

(きょうの1曲)STELLA LEE JONES / Salar de Uyuni


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ムラサキシキブ色づく

 まだまだ暑いが、秋の色も確実に濃くなってきている。

 庭のムラサキシキブの実が色づいてきた。

 そのうちメジロがやってきて食べてしまうはず。この実を好むジョウビタキが渡ってくるまで残っているかどうか。

 なぜかホタルブクロが今ごろ1輪だけ咲いている。

 ナスタチウムは夏の暑さでほとんど枯れてしまったが、わずかに生き残った株がまた花をつけ始めた。

(きょうの1曲)CAMEL / Tell Me 


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篠ノ井線のスイッチバック

 9月10日の信州日帰り旅行の話の続き。

 中央本線の辰野支線に乗って、塩尻駅に着いたところ。この後、篠ノ井線で長野まで行き、最後は新幹線で帰ろうと思う。青春18きっぷ普通列車専用で、新幹線を利用する場合は特急券だけでなく乗車券も買わなくてはならない。ということで、塩尻駅で長野から東京までの特急券と乗車券を購入。合計7,810円。

 それから15時57分発の松本行きで16時14分に松本着。16時34分発の長野行きに乗り継ぐ。またもE127系の2両編成である。

 松本を出ると、篠ノ井線は次の北松本までは大糸線の線路と並行するが、北松本は大糸線だけの駅で、篠ノ井線は素通りである。ここで大糸線と分かれるが、大糸線が南北に細長い松本盆地の西寄りを北上するのに対して、篠ノ井線は盆地の東縁の山裾を北上する。左下に千曲川の支流・犀川が流れている。日本列島を東西に分断す大断層、糸魚川静岡構造線が南北に走っているのもこのあたりのはずである。

 松本から8.3キロ、9分走って、ようやく最初の田沢駅に着く。ここまで来ても大糸線の豊科駅から東へ4キロほどしか離れていない。次の明科の手前で線路はようやく右にカーブして針路を北から北東に変え、明科に到着。明科も先ほどサイクリングした安曇野穂高からさほど離れていない位置にある。

 明科を出ると、ようやく篠ノ井線犀川と離れ、筑摩山地に分け入り、上り勾配が続く。明科と次の西条との間にはスイッチバックの潮沢信号場があったが、この区間が地すべり多発地帯ということで、トンネルが連続する新線に切り替えられ、スイッチバックも解消されている。ただし、複線用のトンネルが掘られたものの、線路は1本しか敷かれていない。

 僕が初めてスイッチバックを体験したのはこの篠ノ井線で、1975年3月の家族旅行でのことだ。当時の普通列車には80系電車が使用されていて、僕が実際に乗った唯一の80系の列車ということになっている。写真が残っていないのが残念だ。

 聖高原には17時06分着。かつては麻績(おみ)駅といい、駅名が印象に残っているが、1976年4月に現在の駅名に改称された。山に囲まれた田園という感じで、高原という雰囲気ではないが、駅のホームに立派な観音像があった。

 聖高原の次が冠着(かむりき)。標高676メートルで、篠ノ井線の最高地点に位置する。ここから356メートルの篠ノ井までひたすら急勾配を下っていく。この間にはもともと3カ所のスイッチバックがあったが、冠着姨捨間の羽尾信号場が廃止され、現在は2カ所である。かつては潮沢信号場も含めてスイッチバックが4つもあったわけだ。

 冠着を出ると冠着トンネルに入る。長さ2,656メートルで、1900年に開通した当時は日本最長の鉄道トンネルだったが、1903年中央本線の笹子トンネルが開通し、1位の座を譲っている。

 トンネルを抜け、羽尾信号場跡を気づかぬうちに通過して、いよいよスイッチバック姨捨駅だ。本線から左に分かれたところに駅があり、17時20分に到着。ここで降りる。次の長野行きは18時17分発なので、この駅で1時間ほど過ごすことができる。

 電車は運転士が後部運転席に移動することもなく、バックで発車。本線を横切り、松本方の引き込み線へと入っていく。急勾配の本線に対して、駅の発着線と引き込み線は水平である。引き込み線に入ると、列車はすぐ前進に転じ、本線に復帰して長野方面へ急勾配を下って行った。なぜこんな面倒なことをするかといえば、もともと鉄道は勾配に弱く、急坂の途中に駅を設置すると、坂道発進が難しく、停止するにも制動距離が長くなってしまうので、本線から外れた場所に極力水平な線路を敷き、駅を設置したのである。現在は電車の性能がアップして坂の途中でも発進できるようになり、かつてはスイッチバック駅がたくさんあった中央本線などはすべて解消してしまったが、篠ノ井線には残っている。ほとんど単線で、貨物列車が行き違いなどで停車することがあるからだろう。

 姨捨駅の標高は551メートル。冠着から5.9キロで125メートル下ってきたことになる。駅からはさらに200メートルほど低い長野盆地善光寺平が一望でき、日本三大車窓のひとつとされる景勝地である。三大車窓の残り二つは北海道の根室本線狩勝峠(旧線)と九州・肥薩線矢岳越えだが、旧根室本線は新線に切り替えられ、すでに絶景は失われ、肥薩線は災害による不通が続き、存続の危機にある。現状では姨捨からの善光寺平が日本一ということになっているが、どうだろう?

 眼下に千曲川が流れ、長野市方面まで見渡すことができる。新幹線の高架橋も見分けることができる。姨捨から善光寺平に続く斜面には棚田が作られ、水田に月が映る「田毎の月」として有名だ。今は田んぼに月が映ることはないだろう。

 駅には僕のほかにも人がいて、立派なカメラを用意しているから撮り鉄かと思ったが、そうではない。今日は十五夜中秋の名月をここから撮影しようということらしい。

 姨捨駅には木造の駅舎があるが、無人駅である。

 17時42分発の長野発大月行きがやってきた。篠ノ井方面から坂を上がってきて、いったん引き込み線に入り、バックで姨捨駅に進入してくる。駅に着くと車内から大勢が降りて、善光寺平の風景を撮影している。その間に名古屋発長野行きの特急「しなの」が本線をまっすぐに下って行った。続いて大月行きが発車して、本線を松本方面へ上って行った。


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 空がだんだん暗くなり、眼下にも街の明かりが瞬き始める。虫の音が高らかになってきた。エンマコオロギのほかにマツムシもいるようだ。

 18時を過ぎて、また列車がやってきた。18時07分発の長野行きで、始発は大糸線南小谷。全車指定席の快速「リゾートビューふるさと」号というらしい。見慣れない車両で、HB-E300系というハイブリッド気動車の2両編成。普通のディーゼルカーとは異なり、ディーゼルエンジンで発電し、搭載した蓄電池と合わせて電力でモーターを駆動して走るそうだ。2010年にデビューというから、けっこう前から走っているのだ。

 列車はスイッチバックして長野へ向けて18時07分に発車。しかし、ホームにいる人たちは列車にほとんど興味を示さず、松本方面のホームから暮れなずむ善光寺平を眺めている。満月が昇ってくるのを待っているのだろう。

 僕もここで月見をしたいところだが、そろそろ長野行きの列車がやってくる。

 構内踏切が鳴り出し、18時17分発の長野行きがやってきた。東京の高尾を14時09分に出た列車である。

 あとは長野まで下って、新幹線に乗るだけだ。

 列車はバックで動き出し、引き込み線に入って停止。そして前進して本線に入り、善光寺平へ向かってぐんぐん下っていく。

 列車が停まった。次の稲荷山駅に着いたのかと思ったが、ドアは開かない。そして、列車がまたバックしだした。またスイッチバックだ。桑ノ原信号場である。対向列車の行き違いがあるのだろう。列車が引き込み線に入って停止。僕は連続スイッチバックを喜んでいるけれど、日常的に利用する地元民にとっては、まだるっこしく思うだけだろう。しばらくすると、名古屋行きの特急「しなの」が通過していった。ようやく長野行きも動き出す。

 すっかり日が暮れた長野駅には18時53分に着いた。乗るつもりにしている19時08分発の「あさま630号」がホームに停車しているのが見える。夕食用の駅弁でも買おうと思っていたのだが、新幹線ホームの売店にはおにぎりがいくつか売れ残っているだけだ。夕食は東京に着いてからでもいいか。

 ということで、列車に乗り込んだ。

 東京到着は20時52分の予定。あとは猛スピードで運ばれるだけだ。

 途中、佐久平付近で窓の外に中秋の名月が見えた。姨捨駅からはどんな風に見えているのだろう。

 軽井沢も出て、列車は長いトンネルの中を突っ走る。碓氷峠の急勾配を補助機関車EF63の力を借りて上り下りした時代が懐かしい。あれがあるとないとでは旅先としての長野県のありがたみが違う気がする。地形に逆らわず、地を這うように進む鉄道の魅力を再認識した今回の旅だった。
 

中央本線・大八回り

 9月10日の信州日帰り旅行。安曇野でサイクリングをした後、松本に戻る。電車が8分遅れたので、14時10分着。この先の予定は未定ではあったが、腹案はいろいろあり、そのうちの一つを実行すべく慌ただしく14時17分発の塩山行きに乗り換える。塩山とは中途半端な行先だが、この電車の塩山着は16時40分で、40分後に立川行きがあり、立川着が18時58分である。つまり、この電車で帰ってもよいわけである。

 しかし、まだ帰らない。電車は塩尻を出て、みどり湖経由でまっすぐ岡谷へ向かうが、ここで辰野経由の旧線が右へ分かれ、岡谷とはまるで違う方向へ遠ざかっていく。あちらも一応、中央本線ということになっているが、幹線らしからぬ単線が山裾に取り付き、山襞に沿ってくねくねと続いているのを見ると、乗りたいなぁ、と思うのだ。すでに今朝、松本行きの電車の車窓から眺めて、そういう気分になったので、これから岡谷、辰野、塩尻と旧線をたどってみようと思う。

 ということで、塩尻峠の下を貫く約6キロの塩嶺トンネルを走り抜けて、塩山行きは14時46分に岡谷に到着。塩尻発が14時35分だったから、新線区間の所要時間は11分であった。

 岡谷からは4分の接続で14時50分発、飯田線直通の天竜峡行きに乗車。

 この電車が辰野までは中央本線の旧線を行くわけだ。今や岡谷~辰野間はほとんど飯田線の一部と化している。

 これから乗る岡谷~辰野~塩尻間は27.7キロあり、1983年に開通したみどり湖経由の新線が11.7キロだから、16キロも長い。なぜこんなに遠回りをするのか。明治時代、東京から名古屋まで中央本線を建設するにあたり、伊那谷経由か木曽谷経由かで熾烈な誘致合戦が行われたが、結局、木曽谷経由に決まった。しかし、伊那出身の代議士、伊藤大八(1858-1927)が政治力を発揮して、線路を伊那の辰野まで引き込むことに成功した。そのため、岡谷から辰野まで10キロ近くも南下した後、また北上するV字形の線形になってしまい、乗客は遠回りを余儀なくされることとなった、というのがよく知られた説明である。そして、この遠回りが伊藤の名にちなんで「大八回り」と呼ばれることもよく知られている。大八回りは辰野に用のない乗客には迷惑でしかないが、辰野にはこの功績により伊藤大八の銅像が立っているという。

 ただ、明治時代に岡谷~塩尻間を現在のような長大なトンネルで一気に貫くというのは非常に困難であり、辰野経由が最も現実的なルートだったと思われる。当時の人々にとっては、鉄道が通りさえすれば、それが遠回りであったとしても、それまでの徒歩に比べて圧倒的に速くて便利であったことは間違いない。

 とにかく、岡谷を出た電車は南南西に向かって走り出した。単線の旧線をはさむように上下の新線の線路が並走し、だんだん両側の線路がせり上がっていき、右へカーブしてトンネルへ向かう。旧線はその下り線をくぐって直進する。

 電車は諏訪湖から流れ出た天竜川を右に見ながら、山間の田園風景の中を走る。色づいた田んぼ、白い花を咲かせるソバ畑。緑豊かな山々と天竜川の清流。のどかな山里の風景が展開する。

 車内に蝶が迷い込んでいる。ツマグロヒョウモンのオスだろうか。ドアの横の窓ガラスに止まっていると思ったら、戸袋の中に閉じ込められているのだった。どうしてあの中に入ってしまったのか分からないが、脱出はほとんど不可能に近いのではないか。

 蝶は2枚のガラスに挟まれた戸袋の中で羽ばたいていたが、そのうち下の方へ降りてしまって、姿が見えなくなった。

天竜峡行きの電車。辰野駅にて)

 辰野には15時01分に到着。隣のホームから15時05分に塩尻行きが出るので、接続は極めて良い。

 この岡谷~辰野~塩尻間がいわゆる「旧線」に落ちぶれてから、この区間に乗るのは確か2度目だと思う。前回は荷物電車を旅客用に改造したクモハ123がたった1両で辰野~塩尻間を行ったり来たりしていた。現在は大糸線と同じE127系の2両編成である。

 もちろん、1983年の短絡ルート開通前は中央本線といえば、このルートしかなかったので、特急「あずさ」も急行「アルプス」もすべてこの線を走っていたのだ。当時、急行は辰野に停車していたが、特急はごく一部を除いて辰野は通過だったから、まったく無駄に遠回りしていたわけである。

(かつては中央本線の主要駅だった辰野も今は閑散。広い構内には草が生い茂っている)

 さて、塩尻行きは辰野を出ると、すぐに右に急カーブを描いて、V字路線を北へ向かう。天竜川の支流に沿って遡る形で、相変わらずのどかな山里を行く。カーブが多く、絶えずレールと車輪が軋み音を発している。当然、速度も遅い。特急「あずさ」であっても、あまり速くは走れなかっただろう。現在の「あずさ」は塩嶺トンネルを最高時速120キロで飛ばし、岡谷~塩尻間は7分しかかからないが、昔は辰野回りで30分前後はかかっていたようである。当時の「あずさ」は鈍足特急として有名だったのだ。

 僕も子どもの頃、家族旅行で松本へ行った際、「あずさ」に乗ったが、辰野付近で大きくカーブして車窓前方に列車の先頭部が何度も見えたことが印象に残っている。確か、父が辰野付近の大回りのことを口にしたのだったと思う。その列車は岡谷も辰野も塩尻も通過で、上諏訪の次が松本だったが、この間に49分かかっていた。現在の「あずさ」は上諏訪~松本間を最速22分である(上りでは21分)。中央本線はこの大八回りの解消だけでなく、各所で改良が進み、高速化が実現したので、新宿~松本間は昔より1時間も短縮されている。

 電車は信濃川島、小野と停車して、善知鳥(うとう)峠越えにかかる。太平洋側と日本海側の分水嶺である。小野の次は終点の塩尻だが、この間は9.9キロで13分かかるから時速46キロほどということになる。

 列車はまもなく1,578メートルの善知鳥トンネルに入り、これを抜けると、下り勾配となり、車窓に東塩尻信号場の跡地が見える。単線で駅間が長いので、列車の行き違いができるように設置されたが、急勾配の途中にあるのでスイッチバック式になっていた。その後、一部列車で乗降もできるようになり、臨時駅という扱いだったが、みどり湖経由の新線開通で廃止されている。実はみどり湖駅からさほど遠くない位置にあるのだ。

 東塩尻で旧線と新線はいったん接近するが、旧線は左へカーブしてからU字を描き、また遠ざかってしまう。眼下に果樹園や田んぼを見ながらだんだん下っていく。下り坂でもカーブがきついので、ちっとも速度が上がらない。そして、改めて新線が接近してくると、ちょうど松本行きの「あずさ25号」が勢いよく走り過ぎていった。


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 新線と寄り添い、移転前の塩尻駅跡を過ぎ、さらに500メートルほど走って、今日3度目の塩尻には15時28分に到着。1分前に到着した「あずさ」はすでに姿がなかった。

 電車が到着した塩尻駅の3・4番ホームの松本寄りにはブドウ棚があり、たくさんのブドウがなっていた。「日本で唯一 ホームのぶどう園」だそうだ。

 ブドウは手を伸ばせば届くが、食べたりはしない。そのかわり、駅の山菜そばを食べる。

 つづく 

 

 

安曇野サイクリング(その2)

 9月10日、信州・安曇野で自転車を借りてサイクリングをした話のつづき。

 安曇野といえば、道祖神が多い地域で、ひとつひとつが個性的で、これを訪ねて回るのが楽しい。そして、こういう時こそ自転車の機動力が最大限に発揮されるのだ。

 

 秋の花々が咲く辻に立つ道祖神。電線ではモズが高鳴きしていた。 

 これも酒器を手にした祝言型。彩色は地元の子どもたちが施すことが多いらしい。

 これは大糸線柏矢町(はくやちょう)駅近くの道祖神。男女神が抱き合い、舌と舌をくっつけ合っている。ちょっとエロティック。こういうのは子どもに彩色はさせないのかもしれないが、カラーバージョンを見てみたい気もする。

 おや、写真を改めて見て気がついたが、下半身はどうなっているのか?! ちょっとどころではないほどエロティック?

 柏矢町駅。

 駅の南側の踏切近くにも道祖神、二十三夜塔、庚申塔

 踏切を渡り、大糸線の西側の地区へ。レンタサイクル店でもらった地図を頼りに道祖神を探索。

 コスモスとソバの花。

 左から道祖神勢至菩薩を本尊とする二十三夜塔、庚申塔馬頭観音

 左から「南無阿弥陀佛」の念仏供養塔、庚申塔道祖神

 道祖神も多いが、二十三夜塔や庚申塔も多いのが分かる。

 二十三夜は民間信仰のひとつで、旧暦二十三日の晩に村の月待講の人々が集まり、飲食をともにし、お経を唱えたり、本尊の勢至菩薩を拝んだり、雑談したりしながら月の出を待つ習俗で、その供養のしるしとして建立されたのが二十三夜塔である。地域によっては十九夜塔なども見られるが、二十三夜の月待は下弦の月がちょうど真夜中に昇ってくるので、各地で特に多く行われたようだ。ちなみに今夜は旧暦8月15日、十五夜である。

 庚申塔は中国から伝わった道教に基づく民間信仰の所産。人の体内には三尸(さんし)の虫というのがいて、60日に一度巡ってくる庚申(かのえさる)の日に体内から抜け出し、天に昇って天帝にその人の悪事を報告する。天帝はその悪事の大小に応じて、その人の寿命を縮めると信じられた。そこで人々は庚申の夜に集まり、三尸虫が抜け出さないように寝ずに夜明かしをしたのである。こうした集まりを3年間、18回行った時にその記念として村の辻などに庚申塔を建立するということが江戸時代に流行し、今も各地で庚申塔を見ることができる。

 火の見櫓発見。こういう村の辻に道祖神はある。

 西へ向かって坂を上がっていくと、川があった。坂を上がると川、というのは不自然だが、これは自然の川ではなく、用水路である。拾ヶ堰(じっかせぎ)というそうで、江戸後期の文化13(1816)年に通水した歴史のある灌漑用水なのだ。ワサビ田がある大糸線の東側は湧水が豊富な地域だったが、今いる西側は扇状地で、水が地下に浸透してしまい、農業用水が乏しい地域であったため、奈良井川(現・松本市島内)から取水し、穂高町の烏川まで約15キロの灌漑用水をわずか3カ月で開削したのだという。ほとんど等高線に沿っているので、水の流れはゆるやかで、清らかな水が滔々と流れる万水(よろずい)川などとは様相がだいぶ違う。安曇野で水が湧き出し、ワサビ栽培が行われるのは扇状地の末端部分である。

 レンタサイクル店でもらった地図には店(穂高駅前)を基準にした主要地点との標高差が表示されていて、大王わさび農場は店より25メートル低いが、拾ヶ堰は店より20メートル高い。この扇状地の高低差が水の便の違いとなっているわけだ。当然、西へ行くほど北アルプス山麓の扇頂部に近づくので、標高はどんどん高くなっていく。

 さて、拾ヶ堰沿いに自転車道があり、これを北へ向かう。

 水田があるのは拾ヶ堰のおかげであろう。

 道祖神と大黒天。

 穂高本郷地区の火の見櫓と道祖神と二十三夜塔。

 道祖神に比べて二十三夜塔は塗り方がかなり粗雑にみえる。

 個人的には今日のNo,1。

 あとひとつ。道祖神、恵比寿様、大黒様。これは見覚えがあって、前にも写真を撮ったことがあるような気がする。

 1988年3月の写真。

 いつのまにか13時を過ぎ、自転車を借りてから3時間が近づいた。そろそろ戻ろうか、ということで、穂高駅前に戻り、自転車を返却。600円。
 大王わさび農場は観光客だらけだったが、あとは観光客の姿は全く見なかった。観光とはつまり旅先での消費行為のことであり、安曇野にも大王農場のほかにも数多くの美術館やギャラリー、レストランやカフェ、蕎麦屋、パン屋、スイーツ店、ガラス工房などがあり、観光客はそういう場所で見学や飲食、アクティビティに盛大にお金を使うことが期待されるわけだが、僕は道祖神だけ見て、おしまいにしたので、地元経済への貢献は600円だけということになる。本当は昼食をとりたいのだが、次の列車の時間が迫っているので、それも断念。

 ということで、13時35分発の松本行きに乗車。混んでいて、僕は運転席の真後ろに立っていたが、発車直後に列車は緊急停止。松本駅構内で人の立ち入りがあり、全列車に緊急停止信号が発せられたらしい。安全確認後、8分遅れで穂高を発車。この間、穂高駅の先の踏切はずっと閉まったままで、クルマの大渋滞ができていた。