釜石線~山田線~岩泉線

 岩手県の花巻にいる。時刻は8時半過ぎ。天気は雨。これから9時03分発の釜石線釜石行きに乗って、三陸海岸に向かう。

 花巻駅の1番ホームで待っていると、8時56分に釜石からの622Dが到着し、これが7分後に631Dとなって折り返す。

 ほぼ満席の状態で花巻をあとにしたディーゼルカーは東へ向かう。

 隣のボックスには小さな男の子と女の子がふたりで座っている。花巻駅のホームで両親に見送られて、遠野まで行くようだ。

 途中、土沢で釜石発盛岡行きの急行「はやちね2号」と行き違う。

 さらに宮守でDD51が牽引する貨物列車、岩手二日町でも花巻行き普通列車と行き違った。

 雨はほぼ止んだようだが、どんよりとした曇り空の下、山あいを抜け、民話の里として知られる遠野に到着した。隣のボックスの二人の小さなお客さんにはおばあちゃんが迎えに来ているようだった。ほかのお客さんもほとんどが下車してしまい、車内は急にガランとなった。

 遠野を出て、遠野盆地を抜けると、再び山路にさしかかる。北上山地を越えるのだ。

 山深い上有住(かみありす)の駅前には鍾乳洞があった。このあたりは太平洋が近いせいか、山の中でも雪はほとんどない。

 トンネルをいくつも抜けて、やがて右車窓の眼下に駅が見えてきた。釜石鉱山のある陸中大橋駅である。

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 それから列車は坂を下りながら再びトンネルに入る。このトンネルはU字形にカーブしていて、トンネルを出ると、陸中大橋駅に到着。車窓上方にいま通ってきた山腹にへばりつくような線路が見えた(下写真)。

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 列車は松倉あたりから開けたところを走るようになり、小佐野で花巻行きと交換すると、やがて山田線と合流して、11時37分に釜石駅に到着した。

 釜石は「鉄の街」といわれるだけあって。街全体が製鉄工場であるかのような雰囲気だった。

 一度改札口を出て、駅のスタンプを押したり、500円の駅弁を買ったりして、22分後の宮古行き急行「陸中1号」を待つ。

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 11時55分に到着した「陸中1号」は仙台からの直通列車だが、車内はガラガラだった。海側のボックス席を独り占め。

 4分停車後、進行方向を変えて発車した急行列車はすぐに釜石線から右に分かれて、山田線を北へ向かう。

 列車はキハ58系の3両編成だが、秋田の車両である。

 そもそもこの列車は始発の仙台を7時25分に発車した時点で「たざわ1号(秋田行き)・むろね1号(盛行き)・陸中1号(宮古行き)」という3列車併結で東北本線を北上。一ノ関に着くと、「むろね1号」を切り離し、代わりに盛からきた「さかり号」を連結して花巻へ。ここで「陸中1号」が切り離され、釜石線を経て宮古へ向かうわけだ。

 ついでに書いておくが、先ほど行き違った釜石発の「はやちね2号」が花巻で「たざわ1号・さかり」に連結され、盛岡へ。ここで「はやちね2号」と「さかり」は終点となる。単独編成となった「たざわ1号」は田沢湖線経由で秋田へ向かう。

 これだけでも十分すぎるほど複雑だが、これでも全体の半分にすぎない。

 「たざわ1号」他が仙台を発車した5分後、7時30分に「千秋1号(青森行き)・もがみ(羽後本荘行き)」が発車。小牛田から陸羽東線経由で新庄へ。そこへ米沢始発のもう一組の「千秋1号・もがみ」がやってきて、それぞれ分割併合して「千秋1号」と「もがみ号」に分かれ、「もがみ」は陸羽西線経由で羽後本荘へ。「千秋1号」は奥羽本線を北上して青森をめざす。そして、この「千秋1号」と「たざわ1号」が大曲で出合い、併結して秋田へ向かい、ここで「たざわ1号」は終点となり、再び単独編成となった「千秋1号」だけがさらに北上して青森へ向かうという複雑さである。

 

 そんな奇想天外としか言い様のない列車運行がなされているわけだが、いま乗っている「陸中1号」も終点の宮古に着くと、一服後に急行「よねしろ3号」と名前を変えて盛岡へ出て、花輪線経由で秋田まで行くのである。だから秋田所属の車両が使われているわけだ。

 

 とにかく、いまは「陸中1号」で宮古へ向かっている。

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 釜石から二つ目の鵜住居で列車交換。次の大槌を出るころから海が見えてくる。

 その次の吉里吉里(きりきり)は駅名が面白いので、ぜひ駅名標を見たいと思っていたが、気づかぬうちに通過していた。

 列車がトンネルをくぐると、穏やかな入り江が車窓に広がり、そこに駅がある。そして、また山あいに入り、トンネルを抜けると海、そして駅という風にリアス式海岸独特の車窓風景が展開する。

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 やがて大きな漁港が見えてくると、列車は陸中山田に停車。

 山田を12時41分に発車すると、列車は本州最東端の魹ヶ崎(とどがさき)の付け根を横切るため山間部に入る。次の豊間根まで11.1キロもあり、トンネルの連続で走り抜けた。

 再び海が広がると、もう宮古湾で、津軽石、磯鶏(そけい)と通過して、13時13分に宮古に到着した。

 今日は宮古に泊まることにしていて、観光名所の浄土ヶ浜に行ってみようかとも考えたが、結局、岩泉線に乗りに行くことにした。

 岩泉線宮古から15キロほど内陸に入った茂市で山田線から分岐して北上山地の中を北へ伸びる38.4キロのローカル線で、終点・岩泉の近くには龍泉洞という巨大な鍾乳洞がある。しかし、僕の目的は鍾乳洞ではなく、ただ岩泉線に乗ることだけである。もちろん、鍾乳洞には大いに興味があるが、時間がない。

 というわけで、14時04分発の秋田行き急行「よねしろ3号」を待つ。その間に発車していった釜石行きは客車列車だった。

 「陸中1号」の車両がそのまま名前を変えただけの「よねしろ3号」は太平洋に面した港町・宮古をあとに日本海側の秋田まで334.5キロもの長い旅に出た。秋田到着は21時17分である。

 まもなく北上山地が迫ってくるが、さほど山深くならないうちに14時22分、茂市に到着。列車はここで秋田を7時34分に出て、奥羽山脈北上山地を越えてきた「よねしろ2号」と行き違いのため、6分停車。ただ、僕はここで下車する。

 ちなみ「よねしろ2号」は宮古に14時45分に着くと、15時30分発の急行「陸中4号」に変身し、仙台には21時27分に到着する。

 

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 さて、茂市で乗り換える岩泉線の列車は朱色に塗られたキハ52の2両編成。キハ52‐141と147のコンビ。

 キハ52は一般形ディーゼルカーキハ20系のエンジンを2台に増強した勾配線区用で、今回の旅では角館線などでも乗った。

 列車は15時08分にわずかな客を乗せて、エンジンを唸らせながら動き出した。すぐに山の中に入っていく。

 並行する道路沿いに民家があるが、そのなかに茅葺の母屋と馬小屋がL字形に繋がったいわゆる「南部の曲がり家」がいくつか見られた。

 それにしても、岩泉線は「日本のチベット」と呼ばれる北上山地を行くだけあって、想像以上に山が深い。

 しばらくは山村が点在するところを渓流沿いに登っていくが、やがて峡谷が深まって、“秘境”に分け入る。

 2両のディーゼルカーはエンジンを轟かせる。

 車窓から人家は消え、ひたすら山! 山! 山! 山! 山! 山!

 列車はプオーンと警笛を鳴らしてはトンネルに入り、重苦しいエンジン音がより大きくなる。

 一つ一つのトンネルはさほど長くないが、それが何度も何度も連続する。

 ようやく深い山中を抜けて、里へ下ると、終点の岩泉で、16時07分着。到着寸前、畑にキジが3羽いた。

 

 岩泉駅国鉄が岩泉町に駅の業務を委託し、国鉄職員がいない駅だが、鉄筋コンクリート造り2階建ての大きな駅舎だった。さすがに大鍾乳洞・龍泉洞の玄関口であるが、岩泉線の列車は一日わずか5往復に過ぎない。

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 駅のスタンプがあったので、スタンプ帳に押して、16時15分発で折り返す。わずか8分の滞在だった。

 今度の列車は山田線経由で釜石まで直通するので、宮古まで乗り換えなしで行ける。

 また、秘境ムード満点の山中をトンネルの連続で行くと、突然、列車がガタガタガタ!と揺れて、石のかけらが飛び散り、急停車。

 最近、日本各地で線路に石が置かれる事件が多発しているが、ここはそんな事ができる場所でもない。落石を踏んだのだろうか。

 乗客は皆、窓から顔を出したりして、騒然となった。車掌が慌てて後ろから走ってきて、運転士と何か話している。並行する道路を走っていたクルマまでがビックリしたのか、停まってしまった。

 やがて、列車は動き出したが、クルマの方はまだ停まったままだった。

 

 列車は茂市で盛岡から来た釜石行きに併結されて、17時46分に宮古に到着した。

 

 予約していたユースホステルは駅の近くで、宿に着くとすぐに夕食。宿泊者の年齢層はかなり高め。というより、中学を卒業したばかりの自分が若すぎるのか?

 夕食後、宿のおばちゃんが過去に三陸を襲った津波の話など聞かせてくれた。