急行「八甲田」

 昭和57年3月20日、土曜日。高校2年の終業式を終えて、今夜から1年ぶり2度目の北海道旅行に出かける。早めの夕食を済ませ、家を出た時、外は雨だった。

 昨年は寝台特急ゆうづる1号」での旅立ちだったが、今回は急行「八甲田」号である。「八甲田」を利用するのは3度目だが、上野から乗るのは初めてだ。オール座席車で、今回は指定席券を用意してある。北海道内の国鉄が乗り放題で20日間有効の北海道ワイド周遊券を買ったのは言うまでもない。

f:id:peepooblue:20190901061048j:plain

 青森行き急行「八甲田」が発車するのは上野駅の地平14番ホーム。1号車の乗車位置に並んでいると、尾久方面から暖房用ディーゼル発電機の重々しい唸り声が聞こえてきて、銀色の荷物車スニ41‐2001を先頭にブルーの車体に白い帯を2本巻いた12系客車の列が機関車の後押しで入線してきた。旅立ちの気分が一気に高まる。

 列車が所定の位置に停止し、ドアが開く。乗客の列が車内に吸い込まれる。

 車内は満員で、車内放送でも指定券は売り切れと伝えている。つまり座席の夜行としては最悪のパターンである。自由席も混んでいるのだろうか。

 

 19時08分、急行「八甲田」は上野駅を定刻に発車した。

 ゆっくりとホームを離れた列車は雨の東京をなおもゆっくりと北へ向かう。水滴に埋め尽くされた窓ガラスに滲む街あかりが幻影のように流れていく。

 車掌が車内検札にきた。その様子を見ていると、車内は青森・北海道方面の客ばかりではないようだ。僕の前に座っていた北海道へ行くらしいおばさんは指定券を持っておらず、車掌さんに「宇都宮あたりで結構降りるよ」と言われて自由席車に移っていった。最初は座れなくても、そのうち席が空くという意味だろう。そのおばさんが座っていた席にも大宮から乗車の女の人が座った。ほぼ満席である。指定席券を買っている乗客というのは大体が長距離客だろうから、明日の朝までずっと満席なのだろう。

 大宮を出て、車掌が青函連絡船の利用客に乗船名簿を配る。もちろん、僕も受け取り、さっそく住所、氏名、年齢を記入しておく。これは青森で乗船の際に係員に渡すのだ。万が一、船が沈没してしまった場合、どこの誰が乗っていたのか、わかるように、という意味なのかな、と思っている。

 

 列車は闇の中、関東平野を北へ北へとひた走る。大宮で乗ってきて僕の前の席に座ったおばさんにチョコレートをいただいた。

 小山、宇都宮、西那須野に停まって、黒磯には4分遅れて21時28分に到着。本来はここで11分停車なので、遅れは取り戻せるだろう。車外に出て、駅弁や飲み物を買う人多数。ここで機関車が青い直流機のEF58から赤い交流機ED75に交代した。まもなく“みちのく”に入るのだ。

 黒磯を出ると、関東と東北を隔てる丘陵地帯にさしかかる。

 疾走する列車がガタゴトとポイントを通過して、薄暗い照明に浮かぶ駅名標や列車を見送る駅員の姿があっという間に後ろへ飛び去り、またポイントを通過すると、再びレールのジョイントを刻む単調でテンポの速いリズムだけが心地よい振動とともに続くようになる。夜行列車は景色が見えないからつまらない、という人もいるけれど、闇の中に旅情を掻き立てる何かがあるような気がして、僕は好きである。

 福島県に入って最初の停車駅、白河で僕の斜向かいに座っていた若い女性が降りていった。ほかにも結構下車客がいた。

 

 操車場を照らす水銀灯で車窓が明るくなって、22時30分に郡山到着。磐越西線の古い客車が眠りについていて、こんな列車はもう関東では見ないから、あぁ、東北にやってきたな、と思う。

 郡山をあとに列車はなおも北への旅を続ける。福島発須賀川行きの最終列車540D が赤いテールライトの印象を残して走り去った。これからはもう夜行列車と貨物列車だけの時間帯である。

 福島(23時10分着/12分発)を出ると、すぐに仙台発上野行きの急行「あづま4号」とすれ違った。正確には21時22分発の仙台から福島までは普通列車で、福島に23時15分に着き、35分停車して23時50分発車すると、ここから急行「あづま4号」となって上野着は4時37分である。

 福島からしばらく並行する福島交通の駅は終電も終わって、ひっそりと闇に包まれている。

 ここで最後の車内放送。青森までの停車駅と到着時刻を告げた後、途中でほかにも通過待ちなどで停車する駅があるので、途中駅で下車するお客さんはよく確かめてから降りるようにということと、お酒を飲んでいる人はほかの乗客の迷惑にならないよう程々に、というようなことを言って、明朝は八戸到着の5分前に放送を再開すると結んで、車内減光となった。

 

 宮城県に入って白石も過ぎ、昭和54年の夏に乗った仙台発上野行きの寝台急行「新星」、さらに盛岡からの急行「いわて4号」とすれ違う。

 常磐線と合流して岩沼を通過し、まもなく並行する国道沿いに例の「日本一まずいラーメン」の派手なネオン。夜行で通ると、いつも気になるのだが、何度見ても、こう書いてある。

 青森からの特急ブルートレインゆうづる2号」「ゆうづる4号」とすれ違って、0時20分に仙台到着。3分停車。ここでもかなりの乗降があった。仙台からの乗客の顔はやはり東京の人とは顔立ちが違うように感じる。

 今年6月23日の開業を待つばかりになった東北新幹線の高架橋をくぐり、再び闇の中へ走り出す。雨に濡れたたくさんのレールが水銀灯にキラキラと輝き、働き者の特急電車がしばしの休息をとっている。

 

 塩釜に停車し、続く松島でも乗降の扱いはしない運転停車。ここで昨年乗った寝台特急ゆうづる1号」と後続の「ゆうづる3号」に抜かれるのだ。隣の席の男の子が時刻表では通過マークがついている松島に停車したので、不思議そうな顔をして「列車が遅れている」などと言っている。

 ヘッドライトで車窓が一瞬、パーッと明るくなって「ゆうづる1号」が走り去り、続く「ゆうづる3号」も闇を切り裂いて、あとを追う。2本の583系特急電車に道を譲って、客車急行「八甲田」もホイッスルを鳴らしておもむろに動き出した。

 

 もう深夜ではあるが、仙台‐青森間無停車の「ゆうづる」と違って、「八甲田」」は小牛田、一関、水沢とこまめに停車する。しかし、このあたりは眠っていて、記憶がない。

 2時33分着の北上では雨ではなく雪が降っていた。線路もうっすらと雪化粧している。

 花巻と盛岡の間で青森0時02分発の上り「八甲田」とすれ違い、3時14分着の盛岡で4分停車すると、時刻表上では「八甲田」も八戸まで1時間半ほどはノンストップで走ることになっている。しかし、実際は沼宮内、一戸、北福岡、三戸と停車して、最後尾の荷物車から新聞を下ろした。この列車は前日の夕方に東京で印刷された新聞を東北各地に「朝刊」として配達する役割も果たしているのだ。

 

 「おはようございます。あと5分ほどで八戸に到着いたします・・・」という放送が始まったのは4時45分を過ぎたころだった。まだ真っ暗で、夜中と全く変わらないが、八戸に到着すると、下車する人も多く、八戸線の始発ディーゼルカーも発車を待っていて、もう朝なんだ、と思わせる。

 3分停車して4時55分に八戸を発車。青森まであと1時間20分余りだ。

 5時13分に三沢を出ると、東の空が明るくなってきた、ただ、天気はあまりよくない。夜中に降っていた雪は盛岡を過ぎたころから止んでいるが、沿線には白いものが目立つようになってきた。

 野辺地、浅虫と過ぎ、いよいよラストスパート。いつしか空席が目立つようになった車内には朝の雰囲気が満ちてきた。左の八甲田の山々、右に陸奥湾を見ながら、残雪の丘陵地帯を抜け、いよいよ青森市街にさしかかる。

 青森到着を前に奥羽線津軽線青函連絡船、そして北海道の列車の接続案内が流れるなか、列車は操車場を横目に右にカーブして、青森駅に進入していく。

 6時17分、急行「八甲田」号は僕にとって4度目の青森駅にゆっくりと滑り込み、その歩みを止めた。

 さぁ、着いた!

 荷物をもって列車を降りる。上野から735.6キロ、11時間9分かけて走ってきた急行列車の青い車体を眺めながら、僕は青函連絡船の桟橋へ急いだ。