稚内から東京へ(3)

 羊蹄丸の青森入港は未明の4時30分。
 眠りから覚めて、窓越しに青森港の灯台が青く光っているのを目にした瞬間、自分はもう北海道にいないんだな、と思う。あの北の大地はまた遥か遠い憧れの地になってしまった。

 接岸作業が完了してタラップが下りると、一橋の兄さんとともに連絡船に別れを告げ、「白鳥」のホームへ行ってみた。満員かと思いきや、自由席ですら意外に空席がある。僕も乗ってしまおうかと思ったけれど、それはやめて、ホームで彼を見送った。
 連絡船からの乗客を受け継いだ大阪行き「白鳥」が4時50分に南へ飛び去り、その3分後には盛岡行き「はつかり」が発つと青森駅は急にガランとしてしまった。僕の乗る列車にはまだ間があるので、いったん改札口を出た。青森駅は最近素通りしてばかりだったので、こうして外に出るのは久しぶりである。
 しばらくは待合室のベンチに座って目を閉じていたが、退屈なので駅の外へ出てみると、本州とはいえ、やはり寒い。
 駅前にリンゴ市場があって、まだ真っ暗で人通りもほとんどないのに一軒だけ店を開けている。裸電球の熱っぽい光に心惹かれてのぞいてみると、おばさんが薄緑色のリンゴを剥いてくれた。甘酸っぱくてとても美味かったので、3つ買ったら、赤い小さなのを1個おまけしてくれた。

 すっかり夜が明けた青森駅。出航を待つ八甲田丸の黄色い船体を見上げる1番ホームに古ぼけた客車の列が横付けされていた。東北地方の旧型客車は先日のダイヤ改正で全廃と聞いていたが、6時36分発の盛岡行き普通列車はまだ旧型客車の編成だった。色あせた青い客車に交じってこげ茶色の車両もある。暇なので、先頭から車両番号をメモしておいた。

 ED75-1022+スハフ42-2233+スハ43-2088+スハ43-2272+スハフ42−2164+スハフ42-2144

 列車は青森を出て、雪晴れの東北本線を走る。
 木とニスの匂いの入り混じった独特の香りに包まれて、骨董品のような汽車の旅。
 車窓に広がる雪景色は、大陸的で雄大なフロンティアの北海道とはまるで違って、もっと歴史と風土の匂いを濃密に感じさせる風景だ。黒々とそびえる杉の木にまで民族の血が流れているような気がして、なんだか外国から日本に帰ってきたような錯覚に陥るほど懐かしい景色である。これまで北海道からの帰りはいつも青森から夜行列車に乗っていたので、こんな感覚を味わうのは初めてで、ひとつの発見をしたような気になった。
 もうひとつ、北海道と本州で違うのは車内の温度。本州の列車は窓ガラスが1枚だけなので、北海道の酷寒地向け二重窓車両に比べると車内の保温が不十分で、やけに寒く感じる。まぁ、車両自体が古いせいもあるが、こんなところにも北海道と「内地」の差を実感する。

 列車は通学の高校生を乗せたり降ろしたりしながら、ゆっくりのんびり走り、いまだ雪深い十三本木峠を越えて、盛岡には10時41分に着いた。

 盛岡を25分の連絡で発車する一ノ関行きは真っ赤な50系客車列車(乗車車両はオハフ50-2323)。車内は地元客でほぼ埋まり、僕のような旅行者はほとんど見当たらない。
 新幹線の高架橋が目障りな車窓をぼんやり眺めていると、背後で人の気配。振り向くと、背もたれの上から顔を出していた小さな男の子がスッと隠れた。しばらくするとまたヌーッと顔を覗かせてはスッと隠れる。こちらもヒマなので、ちょっと相手をしていたら、母親が気づいて、どうもすみません、と謝った。

 新幹線の開業で、すっかりローカル線に成り下がった昼間の東北線は至ってのどか。山並みを背景に冬枯れの田園が薄らと残雪に覆われて、どこまでも広がっている。農家や鎮守の森が点景となって、絶景ではないけれど素朴で郷愁に満ちた眺めだ。これこそが東北線の魅力であると思う。

 一ノ関では11分待って、12時53分発の仙台行き電車に乗り換える(6両編成。乗車車両はクモハ455−12で、これはあとで気がついたことですが、6年前の1979年4月3日に郡山から上野まで利用した急行「まつしま2号」と同じ車両でした)。
 一ノ関で買った駅弁(ご飯が美味しかった)を食べながら、天気のよい昼下がりの列車旅。車窓には白鳥の飛来地として有名な伊豆沼や風光明媚な松島湾が広がり、目を楽しませてくれた。
 仙台到着は14時42分。

 今度は15時04分発の平行きに乗り換え。夕暮れ間近の常磐線を南へ下る。
 車内には卒業式を終えたばかりの女子学生の桜色の袴姿が目につき、春めいた気分が漂っている。しかし、窓外に目を移せば、ここまで来てもまだ残雪があるから、つい最近降ったのだろう。しかし、それも春の淡雪。いまだ深い雪に埋もれた北の大地の厳しさもここにはない。

 仙台からの乗客は駅に着くたびに減ってゆき、車内は次第に閑散としてきた。
 早朝の青森駅をあとにしてから、すでに10時間。早くも太陽は西に傾いている。寒かった青森の駅前でリンゴを買ったのがずいぶん遠いことのように思い出される。ましてや、急行「十和田」で夜を徹してこの道を北へ向かったことなど、遠い遠い昔の出来事のようだ。
 オレンジ色の夕陽が車内に射し込み、学校帰りの女生徒の頬を染めている。松林の向こうで太平洋が青さを失い、夕闇に溶け込もうとしている。小駅に灯がともる。そして、また夜がきた。

 平(現いわき)に着いたのは18時06分。ここからは18時10分発の特急「ひたち40号」で家路を急ごう。夕食用に弁当を仕入れて、特急電車に乗り込めば、東京まではもうあと2時間半余りだ。