新しい自転車を買った。ドロップハンドルのツーリング車、ビアンキ・ヴォルペ(Bianchi Volpe)。辞典で調べたら、ヴォルペとはイタリア語でキツネのことらしい。
ビアンキ独特のチェレステカラー(空色)のピカピカの新車に乗って、今年最初の長距離サイクリングはもはや春の恒例行事となった三浦半島一周に出かけた。200キロほどのコースをガンガン突っ走りたい、そんな気分である。
5時15分に出発し、川崎、横浜、横須賀を経て、65キロ走って、8時20分に観音崎に着いた。ハマダイコンの咲く浜辺でようやく朝食タイム。ついでに海をバックに新しい相棒の記念写真を撮ってやる。
8時45分に再び走り出し、浦賀、久里浜を過ぎ、三浦海岸の砂浜を横目に見ながら快適にスイスイ走って、金田から三浦半島南端の台地へと急坂を登り、9時50分に剣崎に着く。
ここまで来ると、岬から見下ろす海もただひたすら美しく、僕の好きな場所である。白い灯台の姿もよい。
灯台の壁に埋め込まれたプレートには初点灯日が日英両語で併記されている。
「ILLMINATED 1st MARCH 1871 明治四年辛未正月十一日初點」
英語と日本語で日付が違うのは、当時の日本がまだ旧暦だったせいである。この時に建造された灯台は関東大震災で倒壊し、現在のものは大正14年7月に改築された八角形コンクリート造り。この灯台は姿も立地もいいが、灯台好きとしては「群閃白緑互光」という灯質にも心惹かれる。白と緑の光が交互に夜の海を照らす様を一度見てみたいと思っているが、それはまだ叶わないでいる。
10時05分に剣崎をあとにして、松輪海岸に下り、干潟の残る江奈湾を回って、再び急激に登る。自転車の性能がアップしても、基本的に脚力がないから、やはりきつい。
三浦半島最南端の城ケ島には10時35分に着いた。ここまで98キロ。土産物屋や磯料理の店が並ぶ路地を抜けると城ケ島灯台で、三浦市が立てた説明板があるので、引用してみよう。
「城ケ島灯台の歴史は古く、慶安元年(1648)、当時三崎奉行であった安部次郎兵衛が徳川幕府の命によって航行する船のために島の東端安房崎に烽火台を設けたのが始まりで、延宝6年(1678)にこれを廃して、島の西端に灯明台を設けました。
その後享保6年(1721)に代官河原清兵衛がふたたびかがり火に代えましたが、この火光については晴夜光達約八里と伝えられ、燃料費は浦賀入港の船舶から徴収したと言われています。
このかがり火による明治3年8月12日夜まで続きましたが、以後フランス人技師の設計増築による新灯台に代わりました。
この新灯台は横須賀市の観音崎灯台に次ぐわが国二番目の白色光の洋式灯台で、関東大震災(1923年)で損壊しましたが、大正15年に改築、現在の灯台は『灯質閃白光15秒に1閃光、燭光数40万カンデラ、光達距離2万8700メートル、灯器・電灯750ワット、灯高・地上から頂部11.5メートル、平均海面上29.4メートル』で、今日まで城ケ島沖を航行する船人の心の灯となっています」
城ケ島の海岸をしばらく散策した後、三崎漁港、油壷を回って三浦半島の西側を走る国道134号線を北上。正午過ぎに初声町のレストランで昼食。
さらに国道を北上し、横須賀市の長井で左折。4キロほど行くと相模湾に面した荒崎である。駐車場のおばちゃんに「軽そうな自転車ね」と言われる。
荒崎は名前の通り地形が険しく、切り立った海食崖、洞門、荒々しい岩場が続き、ちょうどヒジキ漁が行われていて、岩場のそこかしこに刈り取ったばかりのヒジキが干してあった。
13時15分に荒崎を出発して、さら北上。長者ヶ崎、葉山を通り、14時半に鎌倉。由比ヶ浜でしばらく休憩して、江ノ島には14時55分に着く。このあたりの海岸道路はいつも渋滞しているので、クルマの列をどんどん追い抜いて、スイスイ走れると気分がいい。
15時10分に江ノ島をあとにして、境川自転車道、町田経由で18時半に帰宅。
今日の走行距離は記録更新の204.2キロ。