筑波山ツーリング(1日目)

 みどりの日(4月29日)に立川の昭和記念公園から多摩湖方面まで80キロ弱走ってきたばかりだが、今日は1年半ぶりに茨城県筑波山へ行ってみよう。祖父が住んでいた筑波山へ出かけるのは、かつて我が家のゴールデンウィークの恒例行事であった。当時は筑波まで自転車で行くなんて考えたこともなかったが、今では片道110キロは一日で走るのにちょうどいい距離という感覚になっている。最後の山登りもラストスパートだと思えば、なんとかなる。

 5時20分頃、世田谷の自宅を出発し、環七を足立区の梅島まで走り、6時43分に国道4号線に入って3キロ余り北上し、ここから旧日光街道を行く。この辺りまでは景色を楽しむわけでもなく、ただ黙々と走るだけだ。

 草加市を縦断し、7時20分に越谷市大沢で右折。県道「越谷・野田線」に入り、まもなく「山田うどん」で朝食のため最初の休憩。筑波へ行く道筋には「山田うどん」が何軒かあって、昔、家族で何度か寄ったものだ。

 当時、筑波まで車で3時間以上、連休などは渋滞で4~5時間要することもあったが、毎回、車窓から何か決めたものを見つけた数を妹と競うのが退屈しのぎであり、車酔い防止の方策でもあった。例えば、田んぼにいるシラサギとか、火の見櫓とか、今頃の季節なら鯉のぼりとか・・・。案山子のマークの山田うどんも「あ、またあった」なんてやっていた。というわけで、今でもサイクリングで山田うどんを見つけると、つい立ち寄ってしまう。味は普通だけど、安いので・・・。

 

 さて、松伏町に入ると、都市化が進んだとはいえ、まだ田園風景も残り、ようやくサイクリング気分も高まってきた。田植えの季節なので、左に寄り添う古利根川も護岸の上端ギリギリまで水位が上がっている。

 8時に江戸川を渡ると千葉県野田市で、ここまでちょうど50キロ。

 東武野田線愛宕駅を過ぎ、8時15分には利根川にかかる芽吹大橋を渡って茨城県岩井市までやってきた。快調である。というより快調すぎたかもしれない。岩井の茨城県立自然博物館に寄ろうと思っているが、着くのが早すぎた。まだ8時25分で、開館まで1時間以上もある。

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 時間つぶしに近くの菅生沼を散策。菅生沼は利根川の支流の江川と飯沼川の水が滞留してできた南北に細長い沼で、北半分は大部分がヨシにおおわれているが、南部のこのあたりは水面が開けている。この一帯は関東平野といっても一様に平坦というわけではなく、洪積台地と沖積低地が複雑に入り組んで、意外に起伏が多い。台地は畑や住宅、低地は水田というのがひとつのパターンだが、時折、菅生沼のように低湿地が原始の佇まいを残している場所もある。菅生沼には冬にはコハクチョウが飛来するという。今はカルガモダイサギ、カワウ、ハクセキレイなどの姿が見られ、ウグイスやキジやコジュケイウシガエルの声が聞こえる。沼の岸に近い浅場には産卵のために鯉が群がっていた。

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 9時半の開館と同時に自然博物館に入る。ここは前回も立ち寄ったが、展示が非常に充実していて面白い。じっくり見ようと思えば、いくら時間があっても足りないぐらいだ。屋外施設も緑が豊かで気持ちがよく、前回はコスモスが満開だった「花の谷」が今日は青いネモフィラでいっぱいだった。

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 11時45分に博物館を出発。岩井市の辺田から国道354号線に入り、のどかな農村地帯を東へ向かう。この辺りは平将門の根拠地で、史跡も多いが、今日は素通り。

 鬼怒川を渡ると、水海道市に入る。関東鉄道常総線の踏切を過ぎて、12時20分に回転ずし店で昼食。

 12時40分にはまた走り出し、水海道市谷和原村の境界を流れる小貝川を渡って、しばらくはこの川の土手の道を行く。筑波山が薄く青く見えてきた。

 諏訪山で国道から左折。ここからはひなびた田舎の道で、気持ちものどかになってくる。すでにつくば市に入って、研究学園都市も近いが、このあたりには昔ながらの風景が残っている。というより、そういう道ばかりを選んで走っているわけだが。基本的にかつて父の運転する車で通った道を走っているのだが、これが筑波への最短ルートというわけでもなく、恐らく父もこういうのどかな田園の道が好きだったのだろうと思う。

 それにしても、5月の自転車旅行は気持ちがいい。麦畑も竹林もサワサワと緑色の風にそよぎ、雑木林の新緑もキラキラと輝いている。上空をツバメが盛んに飛び回り、立派な門構えの農家には鯉のぼりが盛大に泳いでいる。

 ウグイスやカワラヒワの声を聞きながら、畑や雑木林の中をのんびり気分でスイスイ走っていくと、ほぼ平坦だった道が下りになり、いっぱいに水を張った田んぼが広がった。田植え作業の真っ最中で、だいぶ近づいてきた筑波山が水面に映っている。

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 やがて、国道125号線にぶつかり、これを東へ行って桜川を渡ると、昭和62(1987)年に廃線になった筑波鉄道(土浦~岩瀬)の線路跡に出合う。これがサイクリングロードになっていて、目の前にそびえる筑波山へ向かって田んぼの中を快走。このあたりはかつては名峰・筑波を見上げながら小さなディーゼルカーが走る絶景区間として有名だった。

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 さて、14時ちょうどに旧筑波駅に着いた。線路が撤去されたほかは、駅舎もホームも往時の姿を留めている。ゴールデンウィークなど多客期には上野から直通列車も乗り入れていたものだが、もうあの時代は戻らない。

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 さぁ、ここからいよいよ山登り。最後のひと踏ん張りだ。まぁ、急ぐ必要もないので、何度も休みながら、曲がりくねった坂道をゆっくり登って、14時半に標高200メートルほどの地点にある家に到着。ここまでの走行距離は108.8キロ。

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 祖父が晩年に建てて昭和49年に亡くなるまで住んだ家で、その後も親戚一同で別荘がわりに使っていたが、僕ら子どもたちが大人になるにつれて、足も遠のいてしまった。僕も一昨年の秋に自転車で来たのが10年ぶりぐらいだっただろうか。あたりの風景は昔とほとんど変わっておらず、とても懐かしいが、祖父の家だけはすっかり荒れてしまった。きれいな芝生だった庭は雑草が生い茂り、しかも地面を掘り返したような跡が。あとで判明したことだが、何者かが侵入して庭石を持ち去ったらしかった。とにかく、外観はまったくの廃屋で、お化け屋敷といった雰囲気なのだが、内部はなんとか一晩過ごせるだけの状況にはある。落ち葉に埋もれた水道栓を開けば水も出るし、電気も使える。旧式のテレビもまだ映る。布団は一応あるが、今日は寝袋持参である。

 雨戸を開けて風を通し、仏壇を拝み、虫の死骸が散乱する室内を清掃し、やっと一息ついた。

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 それから行楽客で賑わう筑波山神社周辺を散策し、登山道路をさらに上った地点にできた「つくば湯」という入浴施設の露天風呂で汗を流し、日が暮れる頃、家の近くの食堂で夕食をとって、真っ暗な「お化け屋敷」に帰る。こんな家にひとりで泊まろうというのだから、我ながら自分の勇気に感心する。テレビがあることでかなり救われているのは確かだが。

 夜も更けて、電気もテレビも消して寝袋に潜り込むと、シーンとした中に微かな物音がしだす。前回泊まった時もそうだったが、どこからか黒い大きなアリがたくさん出てきて、畳の上を歩き回るのだ。電気をつけてみると、アリだけでなく、ゲジゲジの親分みたいなのまで這っていた。こんなところで一晩過ごすのかと思うと嫌になる。でも、とにかく寝るしかない。