「青春18きっぷ」消化旅行~ぐるっと北陸

 夏の北海道旅行で網走からの帰りに使った「青春18きっぷ」の使い残しが1日分あるので、ちょっとどこかへ出かけてこよう。

 8月25日の夜8時過ぎに出発。まずは品川へ向かう。夏休みの期間中、品川始発の大垣行き臨時快速が運転されているので、それを利用して東海道本線を西へ下ろうと思う。

 一応の心づもりとしては、名古屋から中央本線で木曽方面へ行くか、岐阜から高山本線で飛騨高山方面へ向かうか、といったところ。いずれにしても、観光というよりもまだ乗ったことのない路線をひたすら乗りまくろうという趣旨である。「青春18きっぷ」は11,500円で5日間有効だから、1日当たり2,300円。網走から東京まで乗れば、すでに十二分に元を取っているが、この際だから徹底的に乗ってしまおう。

 

 品川駅には21時20分頃着いた。列車は23時55分発だが、すでに臨時列車用の7番線ホームにはかなりの行列ができていた。金曜日の夜だから相当混雑しそうだ。

 時間とともに列車を待つ人の数はどんどん増えた。若者が多いが、年配の人も結構いる。

 23時25分、8両編成の167系電車が入線。僕は何とか座れたが、車内はたちまち満席になり、立ち客も出た。

 23時55分に発車。僕は日付が変わって最初の停車駅である川崎までの乗車券を持っていて、そこから「青春18きっぷ」の使用開始となる。車掌に日付スタンプを押してもらわねばならないが、この混雑では車内検札も困難だろう。冷房が効いて寒いので、Tシャツの上に長袖シャツを着る。

 

 時刻表を広げて、明日の旅程をあれこれ考えるうちに、この列車で終点の大垣まで行き、米原から北陸を回って、糸魚川から大糸線中央本線経由で東京に戻る超大回りプランに行き着く。まだ北陸地方は行ったことがないので、この案は魅力的だ。もちろん、ほぼ列車に乗りっぱなしで、金沢も素通りである。

 先行していた同じ大垣行き快速「ムーンライトながら」(東京23時43分発)を夜明けの豊橋で追い抜いて、大垣には6時38分に到着。駅の改札口で、車内ではもらえなかった「青春18きっぷ」の日付印を押してもらった。

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(日付印は網走→帯広→札幌車掌所→野辺地→大垣)

 大垣からは7時02分発の網干行きに乗り継ぐ。兵庫県の西端まで行く電車で、東京から夜行で来た客は一度の乗り換えで京都にも大阪にも神戸にも行けるわけだ。7両編成だったが、二本の夜行列車の客を受け継いだので、大混雑である。車内アナウンスが関西訛りになった。
 関ケ原を越えて、滋賀県米原には7時37分着。ここで7時52分発の北陸本線長浜行きに乗り換え。大阪始発の新型電車で、車内には関西弁が飛び交っている。
 長浜到着8時01分。次の列車まで約30分あるので、急いで琵琶湖を見てくる。こうして琵琶湖の湖岸に立つのは初めてだ。対岸は霞んで見えず、まるで海のようだ。豊臣秀吉が築いた長浜城が湖畔に復元されて、いまは歴史博物館になっていた。

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 長浜から敦賀までの38.2キロは特急を利用する。そうすると、その先の乗り継ぎがスムーズに行くのだ。「青春18きっぷ」は普通列車専用で、特急券を買っても特急には乗れないルールなので、この区間だけ特急券のほかに乗車券も購入し、合計1,380円。

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 8時31分発の特急「加越1号」に乗車。検察に来たJR西日本の車掌の制服はブルーのストライプのシャツにベージュのズボンで、どこか関西風のセンスを感じる。ただ単に関東では見慣れないデザインだから、そう思っただけかもしれないけれど・・・。
 列車は琵琶湖の北東岸を北へ進み、山間に入ると、やがて湖西線と合流し、トンネルをいくつも抜けて、25分で敦賀に着いた。到着寸前の車窓に「ようこそ北陸へ」の文字が見えた。
 敦賀では10分の連絡で9時06分発の福井行きに乗り換え。クリーム色の車体にブルーの帯を巻いた元急行用の457系電車の3両編成。ここからまた各駅停車の旅である。東京までず~っと各駅停車。
 敦賀を出てすぐに長大な北陸トンネルをくぐり抜けると、あとは福井平野を坦々と走る。途中駅で乗ってくる若い子はみんな座席につくやいなや携帯電話を取り出し、メールをチェックするというのは何処も同じ光景だ。

 福井到着9時54分。駅は高架化工事に着手したところで、古いホームの取り壊しが進んでいて、列車は仮設ホームに到着した。次に福井に来ることがあれば、その時はきっと真新しい高架駅に様変わりしているのだろう。次の列車まで少し時間があるので、立ち食いソバをお腹に入れてから、福井城址のお堀端まで往復してきた。

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 次の列車は10時32分発。今度は金沢も富山も通り越して新潟県直江津まで行く長距離電車である。
 福井から金沢にかけても比較的平凡な田園風景の中を走る。どのあたりだったか、刈り入れの終わった田んぼに見慣れない鳥がたくさんいて、電車の音に驚いたか、一斉に飛び立った。広げた翼の白と黒のコントラストが印象的で、帰宅後に図鑑で調べてみると、ケリというチドリの仲間だった。

 さて、列車は金沢には11時51分に着いた。6両編成のうち3両を切り離すため、24分も停車するという。というわけで、ちょっとだけ途中下車。新幹線みたいな高架駅で、味気ないが、駅ビルの土産物屋などをのぞいて、お昼なので駅弁を買った。
 12時15分に金沢をあとにした直江津行きは、木曽義仲が平家の軍勢を撃破した合戦で有名な倶利伽羅峠を越えて富山県に入り、相変わらず単調な平野部を走って、富山には13時21分着。わずか2分の停車なので、そのまま素通り。
 魚津、黒部と進うちに日本海が見えてきて、海岸線が近づいてきた。
 富山・新潟県境付近は北アルプスの山脈が日本海に没する険しい海岸が続き、親不知・子不知(おやしらず・こしらず)の地名が残っている。あまりに峻険な地形ゆえに、旅人は自分の身の安全を守ることで精一杯で、たとえ親子でも互いを気にかける余裕がないという意味だろう。それだけ交通の難所だったということだが、現代の北陸本線はこの区間を長大なトンネルの連続で難なく通過してしまう。また、北陸自動車道海上に橋脚を立てて、高架橋を建設していて、景観をぶち壊している。

 14時42分に糸魚川に到着。ここで下車。次は15時03分発の大糸線南小谷行き。白地に緑色のラインが入ったキハ52ディーゼルカーが1両きりでエンジンを震わせて待っていた。大糸線南小谷以南は何度も乗ったことがあるが、北部の糸魚川南小谷間は初めての区間である。

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 列車はわずかな客を乗せただけで発車。北陸本線から分かれて左へカーヴしていく。北陸本線は大幹線で、都市近郊列車の雰囲気だったが、大糸線になると、さすがに旅の気分になってきた。
 翡翠の産地として知られる姫川に沿って列車は山間に分け入る。この峡谷は本州を東西に分断する大地溝帯、いわゆるフォッサ・マグナの西側の断層(糸魚川・静岡構造線)と重なり、日本有数の豪雪地帯であり、災害多発地帯でもある。姫川は名前に似合わず、荒っぽい川で、川床にはゴツゴツした巨岩が散乱し、周囲には崖崩れ、土砂崩れ、雪崩の痕跡がいくつも見られる。数年前に豪雨災害で大糸線の小滝~南小谷間が長期にわたって不通になったのは記憶に新しい。
 平岩を出て、列車は新潟・長野県境にさしかかる。並行する国道は大部分が雪崩や落石避けの防護シェルターに覆われ、地形の険しさを物語っている。大糸線のか細い線路は少しでも安全な場所を探すかのように姫川の荒々しい流れを右に左に何度も渡りながら、慎重に進む。

 南小谷到着は15時59分。ここから電化区間となり、6分の連絡で出る信濃大町行きはE127系というステンレス製の新型電車だった。車両形式の数字の前のEはEastの頭文字で、つまりJR東日本の車両であることを意味する。南小谷を境に管轄がJR西日本から東日本に変わるのだ。

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 電車は逆光に霞む北アルプスの峰々を見上げながら走る。車内の座席は進行方向右側、つまりアルプス側だけがボックスシートで、反対側がロングシートという変則的な配置になっている。
 ちょうど1時間で信濃大町に着き、5分後の17時10分発松本行きに乗り換える。
 夕暮れの安曇野を走って松本に着いたのは18時05分。ここで1時間ほどの待ち時間があったので、その間に夕食をとり、19時01分発の甲府行きに乗車。下諏訪付近では夕立があったが、すぐに止む。
 甲府到着20時54分。21時14分発の高尾行きに乗り継ぎ、高尾には22時43分着。
 ここまで来れば、あとは中央線快速が待っている。昨夜からほぼ24時間、ほとんど列車に乗りっぱなしというバカげた旅で、さすがに疲れた。乗車区間の正規運賃はいくらになるのだろうか。興味はあるが、計算する気にはならない。