どん行自転車最果て行き(初山別~稚内)

 日本海を見下ろす草原台地のキャンプ場。天気は快晴。大気はさわやか。沖合に利尻富士の薄青い三角形が浮かび、南には天売、焼尻の島影も微かに望まれる。静かな朝だ。 

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 キャンプ場の敷地内には「赤白横線塗、塔形」の金毘羅岬灯台が立ち、その灯火に集まった無数の蛾が周辺に足の踏み場もないほど散乱している。死んでいるのか、弱っているのか、地面が白く見えるほどで、蛾が苦手な人なら卒倒するだろう。

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 6時55分に出発。今日も日本海に沿ってひたすら北へ走る。しばらくはアップダウンがあったが、遠別町に入ると海辺の草原の平坦ルートとなる。
 キャンプ場ですぐ隣にテントを張っていた、埼玉からという女性ライダー2人組が手を振って僕を追い抜き、ぐんぐん遠ざかっていった。

 7時27分に「稚内まで100キロ」の標識を通過。僕はサロベツ原野で寄り道するつもりなので、それ以上走ることになる。4日連続で100キロ以上のサイクリングか。
 トンネルや橋梁などの痕跡を残しつつ続く旧国鉄羽幌線の廃線跡を右に見ながら、20キロほど走って、8時前に遠別に着いた。
 セイコーマートでサンドイッチやサラダ、ヨーグルト、紅茶などを買って、バスターミナルの待合室(誰もいなかった)で朝食。ここは羽幌線の遠別駅跡地である。羽幌線には一度だけ乗ったことがあるが、印象が薄く、遠別駅の記憶はない。雪の季節で、陰鬱な車窓風景だったことだけを微かに覚えている。
 30分ほど休んで、再び走り出す。ここからしばらくは海辺を離れて、丘陵地帯を上ったり下ったりしながら行く。

 

 天塩町に入り、再び海岸に出て、草原の道となる。まもなくマウンテンバイクのチャリダーとすれ違い、遠別から19キロで天塩市街。ここには2年前に泊まった鏡沼海浜公園キャンプ場があるが、今日は通過。時刻は9時半。
 留萌からずっと辿ってきた国道232号線はこの先内陸部へ向かうので、ここからは道道106号「稚内天塩線」を選ぶ。こちらは稚内までひたすら海沿いで、しかもコースの大半が無人の原野を行く最果てルートである。

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(最果ての大河・天塩川を渡る)

 天塩川を渡って幌延町に入り、ハマナスやエゾカワラナデシコクサフジヒルガオマツヨイグサ、ノコギリ草、タンポポモドキなどが咲き乱れる中を坦々と走っていくと、沿道に風力発電用の風車が続々と建設されていた。クリーンエネルギーとして脚光を浴びる風力発電だが、特に北海道の日本海側では急速に数を増やしている。苫前町の施設もすごいが、ここでも十数基の風車がずらりと並んでいる。壮観だが、「何もないこと」が売り物のサロベツ原野では、かなり目障りでもある。

 

 天塩から15キロ近く走ると、地図上では音類という地名がある。これでオトンルイと読むらしい。ここで日本海といったん別れ、右折して内陸へ向かう。サロベツ原野横断ルートである。
 天塩から稚内にかけての海岸線には数条の砂丘が並列し、その上に森林が発達している。その砂丘林と小さな湿原を交互に横切って、やがて渡るのがサロベツ川。天塩川の支流で、サロベツ原野を北から南へゆるゆると流れる川である。川岸に小舟が繋留されているのはシジミ漁船だそうだ。

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 そのサロベツ川にかかるオトンルイ橋を渡るといよいよサロベツ原野の大湿原が広がった。ちなみにサロベツとはアイヌ語のサル・オ・ペッで、湿原の中の川という意味だという。
 海岸から5キロほどで幌延ビジターセンターに着く。時刻は11時。いつしか雲が出てきた。

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 南北27キロ、東西8キロにも及ぶサロベツ原野の中で、南部のこの一帯は下サロベツと呼ばれ、沼が点在している。そのひとつ、長沼の周囲を巡る遊歩道が整備されているので、歩いてみた。ちらほらと観光客の姿がある。

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サワギキョウの咲く水辺)

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(タチギボウシ

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(クサレダマやノリウツギの咲く草原)


 ノハナショウブやタチギボウシサワギキョウといった紫の花、ナガボノシロワレモコウやノリウツギなど白い花、黄色いコウホネやクサレダマなどが咲いているが、全体的には彩りが乏しい。やはり花の見ごろはエゾカンゾウが咲き乱れる初夏なのだろう。それでも歩きながらじっくり観察すると、湿地で食虫植物のモウセンゴケが白い小さな花を咲かせていたりした。
 ビジターセンターで写真パネルの展示など眺め、解説員のおじさんと帰化植物の話をしたりして、11時45分に出発。

 

 さらに原野の奥へ進み、パンケ沼園地を訪れる。見渡すかぎりのヨシ原の中にひっそりと水面を広げるパンケ沼は周囲8キロ、サロベツでは最も大きな沼である。地図によれば水面の標高は0メートルとなっている。遠い昔、サロベツ原野は砂丘によって海から仕切られた潟湖だったというから、この一帯に散らばる沼は往時の名残だろう。パンケ沼の北隣には兄弟のようなペンケ沼(上の沼)もあるが、ここからは見えない。

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(パンケ沼。彼方にうっすらと利尻富士が見える)
 

 一時曇っていた空にはまた青さが戻り、沼の彼方に蜃気楼のような利尻富士が浮かんでいる。ここではクサレダマのほかピンクのエゾミソハギや紫のクガイ草が咲き、ノビタキの姿を見かけた。

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 水辺で20分ほど過ごし、12時25分に出発。パンケ沼の近く、といっても2キロほどの地点に宗谷本線の下沼駅があった。下沼とはパンケ沼の日本語訳である。その下沼駅は単線の線路にホームがあるだけの小さな駅で、駅舎は撤去され、かわりに貨車を廃物利用した待合室が置いてある。勿論、駅員などいない。それどころか、駅前には何もなく、あたりに人影もない。時刻表を見ると、1日に上下4本ずつの列車が停車するだけ。地元の人間でなければ、夜、こんな駅に降り立つのはちょっと勇気がいる。

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 宗谷本線と林を隔てて国道40号線旭川稚内)が並行していて、名山台というサロベツ原野展望地の登り口にドライブインがあった。そこで昼食。天塩しじみラーメン(700円)を食べる。今日も暑くて汗が吹き出る。敷地内に電光式の気温計があって、「只今の気温27℃」となっていた。北海道の北部にしてはかなり高めだろう。
 20分休憩して13時10分に名山台を出発。国道を北へ向かう。このあたりはサロベツ原野の東縁にあたり、鉄道も道路も地盤の悪い泥炭地帯を避け、原野より一段高い丘陵の裾を行く。
 まもなく幌延町から豊富町に入り、13時半に豊富市街に着いた。ここでまた国道から左折。再びサロベツ原野を横断して海岸部をめざす。ここは2年前にも走った道である。

 

 市街地を抜けてしばらくは牧場などがあったが、やがて電信柱すらない原野の一本道となった。このあたりが上サロベツで、下サロベツよりもさらに広大無辺で果てしない印象である。ここからも利尻富士がよく見える。

 

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 サロベツ原野は総じて地下水位が高く、しかも気温が低いため枯れた植物が十分に分解せずに堆積して泥炭層をなしている。そういう土壌なので、利用されないまま残り、結果的に貴重な自然が保存されることとなった。しかし、最近は湿原の乾燥化が進み、本来は湿原に生育しないはずの笹が進出しつつあるという。
 14時にサロベツレストハウスに到着。幌延のビジターセンターと違って売店や食堂などがあるので、観光客もこっちの方が多い。僕もアイスを買って20分休憩。

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 再びサロベツ川を渡り、砂丘林を越えて稚咲内(わっかさくない)で再び道道106号線にぶつかった。

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 ここからはまた海沿いを行く。稚内まであと40キロ。逆光に霞む利尻島を眺めながら黙々とペダルを踏む。

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 道は人家もない無人の荒野をひたすら北へのびる。沿道には電柱すらない。こんなに何もない道は北海道でも珍しい。走っていて感動する。このあたりは花の数も少ないが、わずかに青紫色のナミキ草やピンクのネジバナが目に留まった。自転車か徒歩でなければ絶対に気がつかないような小さな存在だけれど。

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(ここから稚内市

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稚内市に入っても何もない!)

 豊富町から稚内市に入っても、相変わらず一軒の人家もない。
 利尻島に最も近い夕来(ゆうくる)を過ぎ、浜勇知(はまゆうち)にある「こうほねの家」で小休止。小さな沼にコウホネが咲き、園地にはハマヒルガオハマナス、エゾミソハギがたくさん咲いていた。
 抜海(ばっかい)あたりからようやく人家が現われたが、相変わらず緑に覆われた海岸砂丘、湿地、細長い沼といった風景が続き、右手には丘陵がぐっと迫ってくる。そして、日本最北の海水浴場がある坂ノ下で道は右へカーブしながら急勾配を上り、丘陵を越えるとようやく稚内市街。ついに日本の北の果てまでやってきた。

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 稚内駅前で自転車を停めたのが17時20分。室蘭をスタートして6日目での到達だ。ある種の達成感と安堵感がある。もっとも、稚内まで自転車で来るのは2度目だし、鉄道利用も含めたら5回目なのだが。それでも一応、駅前で言葉を交わしたライダー(今日は美瑛から走ってきたそうだ)に稚内駅の表札をバックに記念写真を撮ってもらった。
 街なかの民宿に投宿。今日もよく走って、走行距離は136.2キロ。明日は早朝のフェリーで初めての利尻島へ渡る。