目黄不動尊

 牛宝山 明王院 最勝寺 (天台宗) 江戸川区平井1-25-32

 〈御詠歌〉ありがたや 目黄に托して 祈る身は 心願叶えて 光り輝く

 総武線平井駅の南側、荒川堤に近い閑静な場所にある最勝寺。どこにでもあるような、町なかのごく普通の寺院です。ひっそりしていて、墓参りの親子が一組だけ来ていました。
 門の両脇に守衛さんの詰め所(朱塗りで瓦屋根付き)みたいなものがあり、その中にちょっと愛嬌のある仁王様がいます。境内に入ると、正面に本堂(本尊は釈迦如来)があり、左手が墓地、右手が不動堂です。不動堂の前に大きな睡蓮鉢が並び、いろいろな品種の蓮が栽培されています。訪れたのが2月だったので、すべて冬枯れでしたが、花の季節にはきっと見事でしょう。このお寺は関東三十六不動霊場の第19番です。

 さて、最勝寺平安時代に慈覚大師円仁が隅田川畔(現・墨田区向島)にて釈迦如来像と大日如来像を刻み、これを本尊とするお堂を建てたのが始まりといいます。慈覚大師は天台宗を唐から日本に伝えた伝教大師最澄の弟子で、比叡山延暦寺の第三世天台座主となった高僧ですが、天台宗寺院の寺伝には慈覚大師の名がしばしば登場します。
 最勝寺はその後、本所表町(現・墨田区東駒形)に移転し、観音様の浅草寺から隅田川のすぐ対岸ということで、大いに栄えたそうです。現在地に移ってきたのは大正2年とのことです。
 不動堂に安置されている不動明王像は天平年間に奈良・東大寺の初代別当・良弁僧都が東国を巡錫した際、隅田川の河畔で不動明王の霊告を感得して刻んだものと伝えられています。のちに最勝寺の末寺だった東栄寺の本尊として祀られ、これを篤く崇敬した徳川家光によって江戸を守る五色不動のひとつ、「目黄不動」と定められました。明治になって東栄寺は廃寺となり、目黄不動最勝寺に移され、現在に至っているということです。

 平井駅近くで遅い昼食をとった後、蔵前橋通りから明治通りに入り、北へ向かいます。東武亀戸線の小村井駅、京成曳舟駅などを通り、隅田川にかかる白髭橋を渡ると、まもなく南千住で、次の目的地、もうひとつの目黄不動・永久寺が明治通り沿いにあるはずでしたが、あまりに目立たなくて、ずいぶん探しました。明治通りと国道4号線の交差点のそばにそのお寺はありました。