座間〜星谷寺〜飯山観音〜金目観音〜平塚

 小田急線座間駅西口で自転車を組み立て、10時20分過ぎに走り出す。
 最初に向かうのは駅から500メートルほどの坂東三十三ヶ所第8番札所・星谷寺。今日は3つの札所を巡るのが目的である。
 電車の窓からもお寺の屋根が見えたぐらいだから、あっというまに着いて、駐車場に自転車をとめる。

     星の谷観音

 真言宗・妙法山星谷寺。新しい仁王像とコンクリート造りの鐘楼があり、古刹というイメージはないが、坂東三十三ヶ所鎌倉時代に定められているから、ここも歴史は古いようだ。実際、鐘楼は新しいが、梵鐘そのものは嘉禄3(1227)年に鋳造されたもので、東日本最古だという。


 弘法大師像や頭部のない石仏(代わりに石がのせてある)を拝んで、観音堂を参拝。堂内にも上がることができる。本尊の聖観音は内陣の厨子の中に納められており、12年に一度、午年の10月中の一日に開帳される。それ以外の日に開帳すると災いがあると言われているそうだ。

 境内にある、昼間でも水面に星を映すという「星の井戸」をのぞいたり、水琴窟の音を聞いたりして、ご朱印をいただき、10時50分にお寺をあとにした。



     入谷駅

 次の目的地は厚木市飯山観音。あらかじめ地図で確認して、大体の行き方は把握しているつもり。
 星谷寺から西へ向かい、坂を下っていくと、だんだん田園風景が開けて、正面に丹沢の山並みが見えてきた。
 JR相模線の踏切にぶつかったので、中学生の頃、弟を連れて訪ねたことのある入谷駅を再訪。単線の線路にホームを添えただけの無人駅で、周囲にほとんど何もないのは今も変わらない。もっとも、当時(1979年)の相模線は非電化で、キハ10とかキハ20などという古めかしいディーゼルカーが走っていて、腕木信号機も健在だった。あの頃に比べれば、相模線も電化されて近代的になり、周囲の宅地化も進んではいる。

     飯山観音

 さて、県道を南へ下って、海老名市下今泉で国道246号線に入り、西へ向かう。相模川にかかる新相模大橋を渡って厚木市に入り、さらに中津川にかかる中津川橋を渡ると、246号線は90度カーブして南へ向かうのだが、飯山観音はそのカーブ地点からほぼ真西に5キロほどのところにある。ここからは勘を頼りに行く。
 道に迷いながらも、太陽の位置などを参考に、とにかく西へ西へと走っていくと、やがて飯山方面へ通じる道に出られた。
 青い星を撒き散らしたようなオオイヌノフグリ(何とかならないものか、この名前…)や踊子草の仲間のホトケノザのピンクの花、白いナズナなど、道端に咲く草花に視線を配りながら、のんびり走るうちに、いつしか山里の雰囲気になってきて、飯山温泉に着く。小鮎川の清流を渡って桜並木の坂道を上ると、まもなく飯山観音の仁王門前に着いた。時刻は11時50分。

     飯山観音

 坂東第6番・飯上山長谷寺、通称・飯山観音真言宗名刹である。丹沢山系の東端に位置する白山(284m)の中腹にあり、桜の名所でもあるそうだ。
 門前の広場の隅に自転車をとめ、とりあえずトイレに寄ると、「蛭に注意」の貼り紙。
「蛭が大量発生していますので注意して下さい」

 これが男子トイレ、女子トイレ、それぞれの入口に貼ってあるのだ。ヒルが大量発生かぁ。床や壁、便器などにびっしりとくっついている絵が目に浮かぶ。どんな状況になっているのかと入ってみたが、残念ながら(?)、1匹も見当たらなかった。若い女性2名は貼り紙を見て引き返していた。

 さて、生真面目そうな仁王様がいる門をくぐり、石段を登って行くと、両側に石灯籠の並ぶ先に本堂。賽銭箱の向こうにネットが張ってある。
「野生の動物が入りますのでネットをしております。ご了承ください」
 今度は野生の動物かぁ。何だろう、野生の動物って。


   

 参拝後、裏山の白山の頂上まで登ってみた。登り始めてすぐに付近一帯の山に野生の猿が出没するという注意書きがあり、猿に遭った場合の心得が書いてあった(飯山観音下の広場に数匹の猿が飼われていることに後で気づいた)。
 登山道は段差のある階段が結構きつかったが、木々の間を吹き抜ける風が涼しくて気持ちいい。「涼しい」という感覚は夏のもので、3月にはふさわしくないが、今日はそのぐらい暑い。サイクリングの後の山登りで汗をかいたせいもあるけれど。

 山頂でコツコツと木の幹をつつくコゲラの姿を見つけ、どんな干ばつでも涸れたことがないという不思議な池がある白山神社を拝み、晴れていれば相模湾まで見えるそうだが、今日は遠くが霞んでいる風景を展望台から眺めて、山を下る。

(白山からの眺め)
 


     飯山観音から金目観音へ

 門前の茶店(タニシが名物)でソバを食べ、13時10分に出発。暑いので、セブンイレブンでアイスを買う。次は平塚市にある金目(かなめ)観音である。
 来た道を戻ってまず厚木市街へ出ることも考えたが、小鮎川沿いにさらに上流へ向かう。あたりは明るい山里といった風情で、気分がいい。
 道ははじめ北へ向かうが、飯山温泉郷を抜けると、だんだん西にカーブして、厚木市から清川村に入ると、今度は南へ向かう。飯山観音からみてちょうど白山の裏側あたりだろう。
 煤ヶ谷という土地で道は再び北へとカーブして行き、そのまま行けば宮ヶ瀬ダムへ通じているらしいが、僕はそこで左折して伊勢原方面へ南下。最初だけちょっと上りがあったが、すぐに下り坂になった。丹沢の山並みを眺めながら、のどかなサイクリングである。梅の花里山を彩っている。
 再び厚木市内に戻り、広沢寺温泉、七沢温泉を過ぎ、伊勢原市に入って、日向薬師入口の標識に心惹かれつつ、そのまま走り続け、やがて小田急線の伊勢原駅前に着いた。
 金目観音は平塚市北部に位置し、伊勢原の西隣の鶴巻温泉駅から南へ3キロ余りのところである。伊勢原から鶴巻温泉まで線路沿いに行けるかと思っていたが、それらしい道がなく、起伏の激しい土地を上ったり下ったりしながら、道に迷いつつ、なんとか14時50分頃、辿り着いた。
 鶴巻温泉駅の東側の踏切を渡り、まもなく左折。あとは道なり。大根川沿いの「おおね公園」の池のほとりでひと休みして、まもなく平塚市に入る(鶴巻温泉付近は秦野市)。
 やがて平塚と秦野市街を結ぶ県道にぶつかり、左折すると、すぐに金目観音に到着した。もちろん飯山観音から金目観音までのルートは幾通りもあり、もっと近道もあるが、自転車という自由度の高い乗り物に乗っているのだから、気ままに走ればいいのである。たまには道に迷うこともあるけれど、それも楽しみのうちだ。

     金目観音

 さて、金目観音である。正式には天台宗・金目山光明寺。坂東第7番札所である。

 金目川に面して仁王門があり、大小さまざまなワラジが提げてある。正面が観音堂だが、若いカップルが石段に腰掛けておしゃべりしている。仕方がないので、左手にある歓喜堂(大聖歓喜天七福神が祀られている)や文殊菩薩普賢菩薩を従えた釈迦如来像が安置されている釈迦堂を拝んだりするうちに、カップルはおみくじを木の枝に結びつけて帰っていった。

観音堂
 まずは観音堂の正面で拝んでから、堂内に上がってみた。明応年間(1492〜1501年)に建立された平塚市最古の建造物だそうである。

 内陣には国の重要文化財厨子があり、その中に本尊の秘仏聖観音が納められている(60年に1度開帳)。寺伝によれば、大宝2(702)年に金目川の河口に近い浜辺で地元の漁民が観音さまの金像を拾い、これを祀ったのが始まりで、のちに行基が当地を訪れ、観音像を刻んで、その胎内に金像を納めたと伝えられている。そのため「お腹籠もりの観音さま」と呼ばれ、安産守護の観音さまとして知られるようになったという。源頼朝の妻・北条政子も安産祈願に参拝し、将軍家の保護を受けるようになったのだそうだ。
 外陣には聖徳太子像が安置されているが、これは本尊胎内の金像が聖徳太子御作と伝えられているせいだろう。
 阿弥陀堂にも手を合わた後、ご朱印を頂く。これで第1番(鎌倉の杉本寺)から第8番(星谷寺)まで相模国の札所はすべて回ったことになる(ほかに13番・浅草寺と14番・弘明寺も参拝済み)。15時20分頃、出発。

     海へ向かって走る

 さて、あとは金目川右岸沿いのサイクリングロードを河口まで走るだけだ。
 サイクリングを楽しむ人、散歩やジョギングをする人に混じって、のんびりとペダルを踏む。なぜか小沢健二の「いちょう並木のセレナーデ」が頭の中でエンドレスで流れている。
 川べりの木の枝にモズの姿を見つけて自転車を停めたり、川面のオオバンに目を留めたりしながら行くうちに東海道新幹線の下をくぐり、国道1号線を過ぎ、東海道本線相模貨物駅の下をくぐると、もう海が近い。
 金目川が大根川や渋田川と合流した下流部には花水川という名前があり、国道134号線の花水川橋の下を抜けると、目の前に青い海がパーッと広がった。ちょっと感動。

 自転車道は砂浜に沿って西へ続いている。海辺を自転車で走る時はいつもシアワセ気分いっぱいになる。すぐに大磯町に入り、大磯漁港の手前で一般道に合流。とりあえず、大磯駅まで行ってみた。時刻は15時50分。
 ここで終わりにして電車に乗ってもよかったが、もう一度海岸に出て、大磯漁港に寄った後、花水川を渡って、平塚の砂浜で海を眺め、結局、16時40分に平塚駅前で自転車を停めた。ここまでの走行距離は63.7キロ。
 
 ついでに書いておくが、平塚から乗った16時59分発の東京行きはオレンジとグリーンのいわゆる湘南色113系(乗車車両はモハ113-2073)。すっかり見慣れた電車だけれど、3月17日限りで首都圏から姿を消すことになっている。あと1週間。車両の前面には「ありがとう113系」の円形ステッカーが貼ってあり、各駅でもたくさんの人がカメラを向けていた。