国宝・阿修羅展

お釈迦様の誕生日である「花まつり」の今日、上野の東京国立博物館に出かけ、国宝・阿修羅展を見てきた。比較的早い時間に着いたのに、すでに入館20分待ちの行列。満開の桜など眺めながら待つ。

さて、入場すると、会場内もすごい人。展示品をひとつずつ順番に見ようとする人の行列に加わったが、列が進まず、なかなか展示品の前にたどり着かない。割り込みも多い。係員に苦情を言う人が続出で、ちょっと険悪な雰囲気。
まぁ、最初の方はあまり面白くないので、僕も順番に見るのは諦めて、列から離脱。身長が高いほうなので、行列の人々の頭越しにざっと眺めつつ、先へ進む。
やがて、八部衆と釈迦十大弟子の立像がずらりと並ぶコーナーへ。ここまで来ると列が少しばらけていたので、わりと見やすくなっていた。ここには八部衆のうち6人が横一列に並び、身体の大部分を失った五部浄だけ、少し離れていた。しかし、肝心の(?)あのお方だけ姿が見えない。
そう、阿修羅像だけは別格の扱いで、特別に一室を設けて、そこにおられるのだった。そこはもうすごい人が二重三重に取り巻いて、さすがに仏像界、国宝界のスーパースターである。
でも、子どもの頃から家に阿修羅像の写真が飾ってあったので、僕にとっては物心ついた時からお馴染みの、まさに幼なじみのような存在でもあるのだ。
それでも、やっぱり八部衆の中でもひときわ異形の阿修羅がスペシャルな感じを持っているのは確かなような気がする。いかにも美青年風の正面の顔の左右に別の顔を持ち、6本の手はそのうち2本は左右に広げて高く差し上げ、2本は少し下ろし、あとの2本は合掌。すばらしい均整美。横綱の土俵入りの型にも似ているかも。
360度、遮るものもなく、どこからでも眺められるので、何度もぐるぐる回りながら、拝んでいたのだが、途中で阿修羅の3つのお顔に耳はいくつ付いているのか、ということが気になり、数えながらもう一周。耳は4つでした。
それにしても、今から1,300年も前にこれだけのものを作った仏師の力量というのはすごい。この発想も技量も現代人には到底及ばないのではないか、とすら思ってしまう。
第二展示室でも鎌倉期の四天王像など素晴らしい像に対面し、すべて見終わってから、全体をもう一周したら、阿修羅の部屋は入場規制が始まっていて、館外に出たら、入館者の列は50分待ちに伸びていた。