タモリ倶楽部は古道ネタ

 最近、本当にテレビを見なくなったが、まったく見ないわけではなく、好きな番組もいくつかはある。
 そんな中で、毎週金曜日の朝、新聞のテレビ欄でまずチェックするのは、今日の『タモリ倶楽部』はどんなテーマかな、ということ。興味があれば、とりあえず録画するし、それほどでもなければ、パスということになる。
 で、昨夜(正確には今日の午前0:20〜0:50)の放送は何やら東京の古道がテーマらしいので、とりあえず録画しておいたら、僕が大いに関心を持っている人見街道や品川道を取り上げていた。いずれも古代から存在すると思われ、武蔵国の中心・府中と現在の東京都心方面を結ぶ古道だ。まだ、甲州街道が存在しない時代の話で、もう一本、滝坂道も名前だけ登場。

(番組にも登場した人見街道地蔵尊と道供養塔。三鷹市牟礼)
 滝坂道については、僕も自分のホームページに探索レポートを載せているので、放送開始直後からアクセスが急増していた。といっても、大した数ではないけどね。

 僕自身は現在、人見街道や品川道、滝坂道よりさらにマイナーな古道「六郷田無道」のページを作成中で、これまで大田区の六郷から世田谷区の給田までアップ済み。まもなく、残りの給田〜田無を一気にアップする予定だが、こんなもの、一体だれが興味を持つのやら…。けっこうな労力を注ぎ込んだんだけどね。何度かに分けて全区間歩いたし…。

 この写真は西東京市保谷町にある六角地蔵石幢。寛政7(1795)年、「つや」という女性と「光山童子」の菩提を弔うために建立されたもの。六角柱の石塔の各面に地蔵尊が浮き彫りにされ、また道標も兼ねている。西は「大山道」、東は「ねりま道」、南は「志んたい寺(深大寺)道」。ここは練馬方面から神奈川県の大山参りに行く参詣道「富士街道」と調布の深大寺方面に通じる深大寺街道の交差点。西武線の踏切の道が深大寺街道。中世、あるいはそれ以前からの古道と思われる。