小湊鉄道の旅(その3)海士有木〜上総中野

 海士有木駅9時18分の列車に乗って、小湊鉄道の終点・上総中野まで行く。
 小湊鉄道の車掌はほとんどが女性で、この列車の車掌さんは先ほど上総山田〜海士有木で乗った列車と同じ人だ。車両も一緒である。
 車掌はドアの開閉や車内アナウンスのほか、無人駅での下車客からの乗車券の回収や乗車客への車内精算など、することがたくさんあり、とても忙しそうだ。しかも、発車時にホームに子どもがいると、手を振ったり、バイバイと声をかけたりもしている。

 小湊鉄道の中心駅、上総牛久に着いた。市原市牛久。猛暑のニュースでよく出てくる地名で、今日も35.9℃を記録したと伝えられていた。ここからは列車本数も半減し、いよいよ房総半島の中でも本格的な田舎へと入っていく。

上総牛久駅
 運転席をのぞくと、タブレット(通票)が掛けてある。

(上総川間駅)
 タブレットはいわば通行手形のようなもので、単線区間で列車の衝突を防ぐため、1区間には通票をもった1列車しか入れないようにする仕組みで、今どきこんな古めかしいシステムを採用している鉄道は珍しい。貴重である。

(青々とした田圃の中を散歩する?ダイサギ
 里見駅までやってきた。この駅はもともと列車行き違いが出来る駅だったが、その後、無人駅になって、列車交換も廃止されていたのが、この春から再び駅員が配置され、行き違いが復活したらしい。ただし、この時間は対向列車はナシ。
 ここで運転士は牛久〜里見間のタブレットを駅員に渡し、この先の区間タブレットを受け取る。ここから終点まで行き違い設備はなく、1列車しか入れないのだ。


 里見の次は「いたぶ」駅。この読みから漢字表記を想像するのは難しいが、「飯給」と書く。壬申の乱大海人皇子天智天皇の弟=天武天皇)に敗れた大友皇子天智天皇の子)がここまで逃れてきて、村人に食事などを供されたとの伝承に由来する地名。

 小湊鉄道沿線の代表的観光地・養老渓谷/養老温泉の下車駅、養老渓谷駅。

 そして、その次が終点の上総中野駅。五井から39.1キロ。10時22分着。ログハウス風の駅舎があるが無人駅。



 小湊鉄道はここが終点だが、この先は第三セクターいすみ鉄道が接続し、外房の大原まで通じている。
 そのいすみ鉄道の列車がやってきた。

 キハ52-125とキハ28-2346の2両連結。昔の国鉄ローカル線を思わす編成。この一見チグハグな組み合わせがいいのだ。
 小学5年生の時に図工の授業で、バケツにドサッと活けられた菜の花をみんなで囲んで写生したことがあった。その時、僕は前景に見たままの菜の花を描き、背景には菜の花畑、レンゲ畑、田植えしたばかりの水田、遠くに連なる山並み、そして、そんなのどかな田園風景の中を走るローカル線の列車を描いたのだが、その列車がまさにこの編成だった。当時からこういうローカル線や田園風景が好きな子どもだったわけだ。

 ちなみに、キハ52-125はいすみ鉄道に来る前はJR大糸線糸魚川南小谷間で使用されていて、僕も2000年の夏に一度乗っている。その車両にこんなところで再会するとは思わなかった。
 それにしても、平成の世にこんな車両が並ぶ姿が見られるというのは本当に貴重である。


 いすみ鉄道にも乗りたいが、僕は10分後の10時32分に発車する五井行きで来た道を戻ることにする。
 この列車には「ゆる鉄」写真で有名な鉄道カメラマン中井精也さんが乗っていた。