日原街道

 きょうから10月。東京では10月1日は「都民の日」でもある。都民の日というとカッパのバッジ。これを買うと、都内の動物園や遊園地などに無料で入れるというものだったが、調べてみたら1997年を最後に発売されなくなったようだ。うちにも1個残っているはずだが、行方不明。
 安倍首相が来年4月から消費税率を8%に引き上げると表明。それに合わせるように景気回復を裏付けるような数字が発表されたが、この先、景気が回復したとしても、その恩恵を受けられるのは限られた人や企業だけだ。大丈夫だろうか? 言えることは一人の政治家や一つの政党がすべての国民の利益を代表することはできない、ということ。そんなことができるなら、政治はいらないし、その政治家または政党が独裁をやればいいわけだ。あ、日本の近くにはそういう国もあるか…。ま、実際に消費税が上がったら、無駄遣いは極力控えよう…なんていうのはダメなのかね。

 さて、日曜日の日原(にっぱら)日帰り旅の話の続き。
 日原鍾乳洞を見て、日原林道沿いにあるカツラの巨樹を見て、日原の集落に戻ってきたところから。
 まずは奥多摩町立日原小学校跡を訪ねた。

 石碑に校歌が刻まれていた。

  稲村岩が呼んでいる
  日原川が呼んでいる
  きょうだいわれら手をつなぎ
  杉の若木のすくすくと
  まっすぐにのびよ日原の子
  日原 日原 心のふるさと

 校庭の片隅には日原で採掘された石灰石青梅線奥多摩駅に隣接した奥多摩工業の工場まで輸送していた鉄道の機関車と貨車が保存されている。


(運転台はかなり狭い。横向きに乗ったようだ)

 学校跡の次はすぐ下にある森林館へ。無料かと思ったら有料で、入館料200円を受付で払うと、館内にはほかにお客がまったくいないようで、まず館内施設の電源をオンにして、それから「10分ほどのビデオを上映しますので…」といってレクチャールームに通される。出入口の暗幕が閉じられ、室内が暗くなり、出るに出られない状況で僕だけを対象にしたビデオが始まった。
 日原の巨樹の紹介ビデオかと思ったら、人類と樹木の関わりについての一般論的な学習ビデオだった。制作されたのは昭和だろう。こういうビデオのナレーションってみんな同じ声のような気がする。
 人々の歴史を見つめてきた巨樹のひとつとして、鎌倉鶴岡八幡宮の数年前に強風で倒れてしまった大イチョウの“現役”時代の姿も登場。あのイチョウ、樹齢800年以上と言われていたと思うが、倒れても根元から芽吹いているということは、樹齢はそのまま積算されるということなのだろうか、などと考える。

 とにかく、ビデオが終わり、日本や海外の巨樹の写真や絵画、奥多摩の動物の剥製、鍾乳洞から見つかった古銭などを見て回り、2階の窓から日原川の谷の向こうに姿を見せることがあるというシカやカモシカなどを望遠鏡で探したが発見できずに出てきた。
 さて、これでもう日原で見るべきものはなくなった。いや、たぶんまだあるんだろうけどね。

 とりあえず日原街道を奥多摩駅のある氷川方面に向けて歩きだす。たぶん7〜8キロ、あるいはもう少しあるだろうが、そのぐらいなら歩いてみてもいいかな、と思う。
 さっそく、こんなものを発見。

 大村崑はいまでも大相撲中継で観客席の中によくその顔を見かけるが、この看板は久しぶりに見た。保存状態も良好。

 それにしても、人がいない。たまに観光のクルマやバイク、自転車が通るが、地元の人はほとんど見ない。ちょっと寂しすぎる。東京都内にもこんな超過疎地があるのだ。まぁ、東京の山奥の奥多摩のさらに奥の奥、のような土地だからね。
 東日原のバス停まで戻ってきたが、次のバスまで時間があるし、そのまま歩き続ける。疲れたら、途中でバスに乗ればいい。

 前方には岩がむき出しになった険しい崖がそびえている。石灰石の採掘場の跡だろう。

 前回、日原に来た時、あの崖の稜線上に立派な角をもったシカが立っていて、あまりにもカッコよすぎる光景だったのだが、日原集落から見たので、遠すぎて写真が撮れなかった。今回も先ほど森林館の望遠鏡でしっかりチェックしたが、何も見つからなかった。

 まもなく日原トンネルが見えてきた。来る時にバスの車窓からトンネル内に歩道もあることを確認済みだが、長さが1,107メートルもあるらしい。1979年開通で、右側にそれ以前の旧道跡が見える。
 徒歩なら通行できるかも、と思い、トンネルの脇から旧道に入ってみた。


(旧道から眺める日原川)

 すぐに旧トンネルが現れたが、奥多摩工業の管理下にあるようで、厳重に封鎖されていた。

 そのトンネル手前から右に伸びる草道は旧道のさらに旧道だろうか。しかし、この先には峡谷の下まで続く大規模な崖崩れの痕が見えており、危険な感じ。やめておこう。

 結局、長いトンネルを歩いて抜ける。

 トンネルを抜けると、すぐに旧道が合流するが、一帯は奥多摩工業の管理地になっていて、こちらからも入れないようだった。
 まもなく倉沢谷にかかる倉沢橋。1959年完成で、高さ61メートルは東京で一番高い橋だそうだ。近くに「倉沢のヒノキ」という有名な巨樹があるらしいが、立ち寄らず。あとになって少し後悔。


 橋を渡って振り返ると、先ほどの絶壁の反対側が石灰石採石場になっていた。その中腹にトロッコみたいなのが見える。日原小学校にあった機関車はあそこを走っていたのだろう。この路線は大部分がトンネルらしく、線路はほとんど見えない。今はどうなっているのだろう。

 急峻な地形に沿って続く道。区間の大部分は狭くて、車のすれ違いも困難だが、各所に待避所が設けられていたり、部分的に2車線になっていたりする。クルマで走っても気分的には疲れるルートだろうと思う。でも、絶え間なく続く水音を聞きながら、歩いていると、けっこう楽しい。
 途中で東日原行きのバスとすれ違った。あのバスの折り返し便に乗ってもいいかな。でも、奥多摩駅まで歩き通してもいいかな、とも思う。
 いずれにせよ、今はせっかく歩いているのだから、クルマやバス、あるいは自転車でも見えないような何かを見つけたい、と思いながら行くと、道端に何やら花が咲いていた。

 地形が険しいので、日原川の本流にも周辺から下ってくる沢にも小さな滝があちこちにある。

 その付近にアサギマダラがいた。

 同じ花にこんな蛾も。ハチドリみたいに見える。

 その先には神庭沢バス停。「かにわさわ」と読むらしい。アイヌ語に「神々の遊ぶ庭」を意味するカムイミンタラという言葉があり、大雪山などがそう呼ばれるが、これも同じ発想だろうか。それとも漢字はただの当て字だろうか。

 そばに大きな石灯籠が2基あるが、神社などは見当たらない。眼下に廃屋らしいのが数棟。キャンプ場の廃墟か?


 さらに歩き続けると、はるか下の渓流を焦げ茶色の鳥が飛んでいた。カワガラスだ。と思ったが、すぐに木の陰に見えなくなった。この後、もう一羽いた。

カワガラスがいた場所)
 さて、日原からここまで歩いている人にはまったく会わなかったが、前方の路上に人がちらほら。川乗橋のバス停だ。朝のバスも2台出してどちらも超満員だったが、乗客のほとんどがここで下車した。ここから川苔谷沿いの林道を入ると川苔山への登山ルートであるほか、奥多摩随一の「百尋の滝」へも行けるようだ。
 そこにいたのは帰りのバスを待っている人たちで、時刻表を見ると、あと10分足らずで奥多摩駅行きのバスがやってくることが分かった。

(川苔谷の沢。向こうに見えるのが日原川本流)

(合流点)
 まぁ、ずいぶん歩いたし、ここでバスに乗るか、という気になった。

 まだ続く。