養沢の石仏たち

 多摩川の支流・秋川のそのまた支流の養沢川の流域で出会った石仏たち。
 寒念仏供養塔と庚申塔。こんな形の庚申塔は初めて見た。自然石だろうか。 

 寒念仏というのは寒い季節に早朝または夜に僧や信徒が念仏を唱えながら村を回るような習俗らしく、そういう集団が何かの記念に建てたのだろう。このあたりではよく見かける。

 上養沢の石塔・石仏群。

 何とも素朴なお顔。頬杖をついているから如意輪観音かな。
 念仏講の文字が彫られている。

 二十三夜塔。石仏ではないが、月待ち信仰の供養塔。
 子どもの頃、祖父が住んでいた茨城県筑波山に「二十三夜前」という周りに何もないバス停があり、「二十三夜」ってなんだ、と小学生の頃から不思議に思っていたのだが、あそこにもきっと二十三夜塔があるのだろう。一度確認しに行こうと思っているのだけど…。

 養沢神社付近にあった石仏・石塔群。
 右端は百番塔。檜原村でもよく見かける供養塔で、どういう意味だろうと思っていたのだが、坂東三十三ヶ所、西国三十三ヵ所、秩父三十四ヶ所の観音霊場をすべて巡礼した記念に建立したものだ。僕は坂東だけはすべて回ったので、三十三番塔なら建てられるな。建てないけど。

 怒田畑の石仏。この庚申塔も素朴でいい。
 そもそも庚申塔とは何か。
 人々の体内には三尸(さんし)という虫がいて、これが60日に一度めぐってくる庚申の日の夜に体外に抜け出して天に昇り、天帝にその人の悪事を報告、天帝はその悪行の程度に応じて寿命を縮めるという俗信に基づき、庚申の日には虫が抜け出さないようにみんなで集まり、飲食をともにし、夜通し寝ずに過ごす習俗を庚申待ちという。中国から伝わり、初めは貴族社会に広まったが、室町以降に庶民の間でも広く行われるようになった。庚申塔は庚申講の人々が一定の回数の更新待ちを行った記念などに村の辻などに建てた塔で、各地に見られる。主尊は青面金剛像が多く、見ざる言わざる聞かざるの三猿を刻むのも普通。ここの庚申塔青面金剛と三猿が彫られている。

 この2つの石仏もいい感じ。