筑波山ツーリング(1)

 4月30日、茨城県筑波山へ行ってきた。
 朝5時過ぎに自転車で家を出て、分解・袋詰めした自転車を担いで小田急線〜千代田線を乗り継ぎ北千住へ。都心部を通るのでデカイ荷物を担いでいる者としては混雑していたら困るな、と思ったが、さほどのことはなかった。
 北千住では東武線に乗り換えれば日光にも行けるなぁ、渡良瀬遊水地も魅力的だなぁ、などと行き先変更もちょっと考えたが、当初の予定通り、つくばエクスプレスに乗車し、つくば方面へ。
 終点のつくば駅までは行かず、1つ手前の研究学園駅で降りるつもりだったが、気が変わって、さらに1つ手前の万博記念公園駅で下車。7時06分着。


 人の姿もまばらな駅前で自転車を組み立て、7時20分に走りだす。

 すでにめざす筑波山は見えているが、まっすぐ向かうのも面白くないので、適当に道に迷いながら行ってみよう。
 走りだしてすぐ上空からヒバリの声が聞こえ、ウグイスやキジの声も聞こえてきた。道端にはナガミヒナゲシがあちこちでオレンジ色の花を咲かせている。
 新幹線並みに立派なつくばエクスプレスの高架橋を見ながら走って、ある研究施設の前を通りかかったら、構内からまたキジの声が聞こえ、姿も見えたので、閉じられたゲート越しにカメラを向ける。傍からみると産業スパイかと疑われそうだが、土曜日の朝8時前ということで守衛室も含め人影はなかったし、撮った写真はこれである。まぁ、大した写真ではない。

 研究学園駅のコンビニでサンドウィッチなど購入し、走りだす。
 この駅は開業当初は駅前に赤土が剥き出しになった広大な更地が広がっていたはずだが、いつのまにか巨大ショッピングモールやマンションなどが立ち並び、この10年でまるで様変わりしていた。
 昔、祖父が筑波山に住んでいて、祖父が亡くなった後も家は残ったので、山荘代わりに利用していた(家は今はもうない)。なので、筑波山へは数えきれないぐらい出かけた。というか、家族旅行の9割ぐらいは筑波山だったのでは、というぐらい行った。クルマで行く場合はこのあたりを通ったので、田畑や雑木林が広がる昔ながらの農村風景が記憶に残っているが、いつのまにか、そうした風景はすべて消去され、この土地の風土や歴史とはまるで関係ない無機的な街並みが出来上がりつつある。昔からある面野井という地名だけが今も辛うじて残されているようだった。
 こんな土地は早く脱出して、のどかな農村地帯を走りたい。そう思うが、つくばの研究学園都市はとにかく広いし、どんどん領域が拡大しているようだ。
 だんだんどこを走っているのか分からなくなってきたが、ようやく農村部に入り、藤棚がある神社があったので、そこで朝食タイム。時刻は8時05分。


 相変わらず青空からはヒバリのさえずりが降り注ぎ、そばでキジが鳴き、あたりをツバメが飛び回っている。コゲラもやってきた。
 15分ほど休んで、再び走りだす。当面の目標地点は昭和62年に廃止された筑波鉄道(土浦〜岩瀬)の線路跡を利用したサイクリングロード。40キロほどの道で、筑波山麓の旧筑波駅はちょうど中間地点にあった。とりあえず東へ向かえば土浦と筑波の間のどこかで線路跡にぶつかるはずだ。太陽の位置を参考になるべく東をめざすが、道は曲がりくねり、完全に道に迷っている。道に迷うのは旅の楽しみである。
 のどかな風景と筑波山

 水が濁った桜川を渡る。

 田圃は水を入れ、田植えが始まる頃。

 ようやく筑波鉄道跡の自転車道に出た。常陸藤沢〜田土部間だろう。過去に何度も走っているので大体分かる。とりあえず筑波とは反対方向に走り、常陸藤沢駅跡まで行ってみた。今も相対式のホームが残り、休憩所になっている。

 ここで折り返し、いよいよ筑波方面へ走りだす。12キロほどだ。
 田土部(たどべ)駅跡。

 一時姿を隠していた筑波山が再び見えてきた。

 麦畑を緑の風が走る。

 田土部の次は常陸小田駅だが、その手前で自転車道は線路跡を離れて急カーブで左へ迂回する。中世の常陸国に勢力を持った小田氏の居城で、南北朝時代南朝方の重臣北畠親房が滞在して「大日本ハ神国ナリ」で始まる『神皇正統記』を書いた場所として知られる小田城址国史跡)があり、線路はその本丸跡を貫通していたのだが、廃線後に整備された自転車道は史跡保全のために本丸を避けて通るようになったのだ。

 復元された本丸。

 再び線路跡に復帰するとすぐ常陸小田駅跡。中学1年の時にこの駅で降りてみたことがある。理由は何もなさそうな田舎の駅だったから。当時は小田城のことは知らなかった。ただ、そののどかな駅のたたずまいに心を惹かれたのだった。子どもの頃からそういうのが好きだったわけだ。
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 常陸小田駅もホームは残っている。駅も小田城の一部で、「駅跡」ではなく「城址」であることを示す石碑が立っている。


 常陸小田駅跡を出ると、広々とした田園風景の中を走る。

 筑波山も近づいてきた。

 レンゲ畑。空からはヒバリ、田圃からはカエルの合唱。絵に描いたようなニッポンの田舎。すれ違う散歩のおばちゃんもみんな挨拶してくれるので、僕も「こんにちは」と挨拶しながら走る。東京からそんなに遠くないのに、茨城県に来ると、東京にはいないタイプの魅力的な人々がたくさんいる。


 田植え。

 葉桜の並木道。

 常陸北条駅跡にやってきた。旧筑波町の役場のあった土地で、2012年5月6日に集落の中心部が竜巻に襲われ、1人が死亡したほか建物にも大きな被害が出たことは記憶に新しい。

 北条駅跡では八重桜が満開。


 さて、ここから次の筑波駅までは筑波山を間近に望む絶景区間として有名だが、今日はここで自転車道から離れ、北条からまっすぐ筑波山に通じる「つくば道」を行くことにする。
まだまだ話は続くので、今日はここまで。