筑波山ツーリング(3)

 4月30日の筑波山自転車ツーリングの話のつづき。
 江戸時代からの参詣道「つくば道」を自転車を押して登っているところから。
 一の鳥居をくぐり、神域に入り、さらなる急勾配を登る。
 5メートル先の路面が目の高さにある感じ。

 路傍の石仏。

 このあたりで生活しているのは高齢者が多いのだろうけど、大変そうだ。

 正岡子規の句碑「赤蜻蛉 筑波に雲もなかりけり」

 つくば道から少し左に入ると、筑波六井の一つ、「清水(雲の井)」がある。

 「飲用の可否は各人の責任でお願いします(煮沸消毒してください)」と書いてあるが、飲もうとは思わないなぁ。
 そばに石仏群。

 さらに横道に逸れると、二十三夜供養塔や馬頭観音があった。

 昔の筑波駅から筑波山に登るバスの停留所に「二十三夜前」というのがあった。たぶん今もあると思う。周囲に何もない山の中のバス停で、乗り降りする人を見たことがない。今なら近くに二十三夜供養塔があるのだろうと想像できるが、子どもの頃は「二十三夜」の意味が分からず、でも、その神秘的な言葉の響きに不思議な魅力を感じていた。いつかバス停付近を探索してみようと思っていたのだが、たぶんこれのことだろう。すぐ下から車の走る音が聞こえてくるから、そばを登山道路が通っているはずだ。二十三夜前停留所もその辺にあるのだろう。

 さて、最後まで急坂のつくば道を登って、ようやく筑波山神社下の車道に出た。そこに歩道橋がある。ここは夏の朝、カブトムシを採りにくる場所だった。街灯に集まるカブトムシが朝になると、たくさんうずくまっていたのだ。


 ここがつくば道のゴール地点。最後は階段なので、自転車では迂回しなければならなかった。

 そろそろ正午が近いので、神社前の食堂で昼食。「つくばうどん」を食べる。地元食材を使っていて、うどんは土浦産のレンコンを使った麺らしい。美味しかった。

 お店で自転車を預かってもらって、神社に参拝。


 それにしても、このあたりの雰囲気、昔からほとんど変わっていない。昭和の観光地っぽい。土産物屋の見覚えのあるおじさん、おばさんがそのままおじいさん、おばあさんになっている。子どもだった自分もすっかりおじさんになっているわけだが。
 樹齢800年の大杉。

 ガマの油売りの口上の実演も行われていた。

 子どもの頃、ザリガニ釣りをした境内の池もそのままだ。懐かしい。
 筑波山神社。江戸時代までは神仏習合で中禅寺という寺があったが、明治以降、廃寺となった。今は観音像を安置する大御堂だけが残り、坂東33カ所観音霊場の第25番札所になっている。ここは10年前に参拝した。

 御朱印

 筑波山神社をあとに、筑波山(877m)で自転車でも行ける最高地点、つつじヶ丘に向かう。標高は540メートルほどらしい。

 暑さのせいか、思ったよりきつかった。
 

 ループ橋からの眺め。

 彼方に霞ヶ浦が見える。

 女体山へのロープウェイの乗り場があるつつじヶ丘に到着。駐車場はほとんど満車状態で、サイクリストもたくさん来ている。

 初めはさらに山頂まで歩いて登ろうか、などと考えていたが、予想以上にバテてしまって諦める。もう何度も登ったからね。

 たっぷり休憩して、同じ道を下る。スピードは出るが、急カーブもあるし、路面が荒れていたり、段差もあったりで、かなり神経を使う。

 帰りはつくば道ではなく、筑波鉄道の筑波駅跡まで一気に下ってきた。

 旧筑波駅前からの眺め。植松タクシーは昔、祖父がよく利用していたらしい。もう40年以上前の話。

 時刻は15時を過ぎたところだが、ここで大変なことに気がついた。いつのまにか後輪がパンクしている。下り坂でスピードが出ている時に段差にぶつけたか何かでパンクしたのだと思う。
 ということで、旧筑波駅のホームで修理。出かけた先でパンクというのは北海道の稚内知床半島から九州の対馬までいろいろなところで経験しているが、けっこう久しぶりだ。修理といっても、スペアのチューブと交換するだけだが、携帯用のポンプだとタイヤに空気を入れるのが大変だった。


 自転車が復活して、あとはつくばエクスプレスつくば駅をめざして走るだけ。
 再び線路跡の自転車道「つくばりんりんロード」を今度は土浦方面へ。
子どもの頃、家族旅行での筑波山からの帰り、父の運転する車が山を下り、筑波のふたつの峰がだんだん遠ざかっていくにつれて、なんとなく寂しい気持ちになったものだが、それは今でも変わらない。それだけ愛着のある思い出の多い山なのだ。
 それにしても、自転車道の路面にやたらと亀裂の補修痕があるのが気になる。東日本大震災の時に出来たものだろう。このあたりは震度6に見舞われたはず。内陸部とはいえ、標高の低い沖積平野縄文時代には海が入りこんでいたような土地なのだ。
 北条駅跡を過ぎ、国道125号線をくぐり、まもなく自転車道をはずれて田圃の中の一般道に入る。つくば駅の大体の場所は分かっているつもりだが、太陽の位置と時刻から方角を割り出し、ほとんど勘を頼りに走っている。今はほぼ南に向かって走っているはずだ。
 やがて県道53号線にぶつかり、右折。西寄りに向かうとすぐ太田橋で桜川を渡る。

 さらに学園東通りに左折。このあたりも歩道は亀裂があったり、波打っていたり、震災の痕跡が至る所に残っている。
 広すぎるほど広い筑波大学の前を通る。そろそろつくば駅が近いはずだが、それらしい気配がない。とりあえず適当に走る。そもそも、つくばエクスプレスは終点のつくば駅付近では地下なので、地上から姿が見えないのだ。
 巨大アンテナ。見ている間にもたびたび向きが変わる。

 同じ場所から見た筑波山。だいぶ遠くなった。

 やがて朝も走った道にぶつかり、結局、高架の研究学園駅に着いた。このあたりは道路もきれいで、震災の痕跡はまるでないから、そのあとに出来上がった街ということなのだろう。わずかに残った林からコジュケイの声が聞こえてきた。


 ここで自転車を分解し、駅前の公衆トイレで着替え、電車に乗る。
 研究学園駅のホームにて。向こうの窓越しに筑波山が薄く見える。


 帰りの電車の車中より。

 自宅には20時頃に帰着。本日の走行距離は74.8キロ。