Peter Hammillライヴ

 英国のロックシンガー、ピーター・ハミルの名前を知ったのは高校生の時だから、もうずいぶん前のことだ。しかし、その頃は彼の音楽に触れることを僕はなんとなく躊躇していた。なんだか深い闇の中に引き込まれてしまうのではないか、そんな不安があったのだ。僕がハミルという存在を知るきっかけになったのはアングラ系の音楽雑誌『フールズ・メイト』(のちにビジュアル系専門誌に変貌し、2012年で休刊)。ハミルの1stソロアルバムのタイトルに由来する雑誌で、編集長の北村昌士氏の文章から喚起されるハミル像は華やかなロックスターとはまったく違うスタンスで活動し、一般性とはかけ離れた場所で「狂信的ファン」に支えられている、そんなイメージだった。たとえば、ハミルの率いたバンドVAN DER GRAAF(GENERATOR)のライヴアルバム“Vital”のレヴューの中で北村氏はこんなことを書いている。
「考えてみれば、ピーター・ハミルが率いた唯一のロックバンド、ヴァン・ダー・グラーフは、10年もの長い間何と特異な場所に潜行し続けていた事だろう。多くの人々が、明らかにVDGの存在を識っていたにもかかわらず、その場所は闇と混沌に覆われていて自分は近づくべきではない、とでも考えられていたように思われる」
 まさにそうだった。当時の僕は彼(ら)の世界にへたに近づいてはいけない、と恐れにも似た気持ちを抱いていたのである。
 それでも妙に心惹かれるものを感じていたのも確かで、ついに手を出したのが1984年に出たハミルのベスト盤“The Love Songs”だった。これがとてもジェントルなアルバムで、彼の詩の世界には確かに仄暗い闇のようなものが見え隠れするものの、普通に楽しめた。むしろ、物足りないぐらいだった(でも、今でも大好きなアルバムです)。ということで、僕は彼のソロ作品、そして彼のバンド、ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイターのアルバムを次々と手に入れつつ、ひとつの言葉にいくつもの意味を込め、一筋縄では解釈できない高度に文学的な詩と音楽の世界にはまり込んでいったのだった(彼はミュージシャンであるとともに詩人でもある)。

Love Songs (Reis)

Love Songs (Reis)

 そのピーター・ハミルがまさかの初来日をしたのが1986年秋のこと。もちろん、行った。会場は今はなき渋谷駅前のライヴハウス「ライヴ・イン」。僕は着席して間近で彼のパフォーマンスを楽しむことができたが、ラッシュ時の電車並みのぎっしり超満員で、ほとんどの人は立ち見。当時の音楽誌のライヴレヴューはどれもみんな「あまりの混雑でハミルの姿がまったく見えなかった」と書かれていたものだった。
 その後もハミルは何度となく来日しており、僕もそのたびに出かけていたのだが、2004年の来日を最後に彼のコンサートから足が遠のいてしまった。
 そして、今年。ピーター・ハミルはまた日本へやってきた。初来日の時はまだ30代だった彼も今月5日の誕生日で68歳になった。その間には僕もチケットを買っていた来日公演が彼が心臓発作に襲われたせいでキャンセルになるといったこともあったが、彼は復活し、現在に至るまでコンスタントに作品を発表し続け、ソロ、そして再結成したVDGGで活動を続けているのだ。
 で、今回の日本ツアーは初めて札幌での公演(9日)が実現し、10日から東京で4日連続公演。その東京初日がなんと僕の自宅の近所のホールだったのである。徒歩3分ほどの場所。世田谷の住宅街の中の小さなホールで、その前を何度も通ったことがあるにもかかわらず、僕はそこに音楽ホールがあるとは全く知らなかった。とにかく、あのピーター・ハミルがウチの近所にやってくる、という信じられないような話に、僕は12年ぶりにチケットを買い、出かけたのだった。数えてみたら、彼のライヴを観るのはこれが10回目だ。

 平日ということもあり、開場が19時半、開演は20時というスケジュール。僕は19時15分まで自宅のテレビでトランプ氏関連のニュースなど見ていて、19時20分にはもうホールに着いていた。その頃、小田急線が人身事故で運転見合わせになっていたりして、来場者の足にも恐らく影響があったのだろう。開場時間に間に合わない人もずいぶんいたようだった。
 会場のKarura Hallは一般の住宅の地下に造られ、年代物のグランドピアノもあるクラシック音楽用の小ホール。ということで、席数は50席ほど。満員の盛況で、日本にハミルが来ていることを聞きつけてやってきたと思しき外国人(イギリス人?)も数名。

 今日のライヴは会場の特性を生かして、音響装置を一切使わない完全アコースティックのコンサート。ノイズを消すため、エアコンも切って、完全な静寂の中、すらりとした英国紳士といった風貌のピーター・ハミルが登場。拍手の中、スタインウェイのグランドピアノの前に座ると、一曲目はEasy to Slip Away。続いて、Too Many of My Yesterdays。
 ハミルのパフォーマンスはクラシック音楽のように曲ごとに楽譜で表現された音楽の完成形があらかじめ存在し、それを生演奏で再現することをめざす、というようなものではまったくなく、譜面化されることのない音楽(曲)と言葉(詩)の魂、エネルギーが彼の内部から迸り出て、時に叫ぶように歌い、鍵盤をたたく、そんな印象。
 それにしても、彼の声は衰えていない。
 すべての公演で新曲を披露することをノルマにしているようで、今日は5曲目にThe Descentを演奏(昨日の札幌ではAnagnorisisという曲を初披露したそうだ)。

 そこでピアノを離れて、彼のアコースティックギターを手に取る。I will Find Youから始まって、Sign、そして、僕の好きなThe Birds。この曲はハミルの歌声も歌詞も僕の中に完全に染み込んでいるので、つい一緒に歌ってしまいそうになる。

 Last Frame までギターで6曲歌ったあと、再びピアノに戻って5曲。A Way Outが印象に残る。そして、本編最後はTraintime。この曲がくると、ああ、これで最後だな、と思ってしまう。
 そして、アンコール。再びピアノの前に座ったハミルがイントロを弾き始めただけで客席に感動が広がったのが分かった。Refugees。まさに「来たーっ!!」という感じか。

 きょうの公演は17曲。昨日の札幌の曲目とは1曲もだぶっていない。60年代からほぼ半世紀にわたり途切れることなく作品を出し続けてきたハミルには膨大なレパートリーがあり、しかも、どの曲も時代を超越する力を持ち、今でもまったく古びていない。したがって、ひとつのツアーでも毎日演奏曲目が異なり、まったくダブりがないというのが普通になっている。ファンとしてぜひライヴで聴きたい名曲もたくさんあり、そのすべてを1回のコンサートで聴くことはできない。なので、明日の代官山もまったく違うセットリストになるだろうし、ファンとしてはすべての公演に足を運びたくなってしまうのだ。まぁ、僕は今回は今日だけなのだけど。

本日のセットリスト
1. Easy to Slip Away
2. Too Many of My Yesterdays
3. The Unconscious Life
4. Mirror Images
5. The Descent
6. I Will Find You
7. Sign
8. The Birds
9. Slender Threads
10. Our Eyes Give It Shape
11. Last Frame
12. The Mousetrap
13. Unrehearsed
14. A Way Out
15. Your Time Starts Now
16. Traintime
(encore)
17. Refugees