小湊鐡道の旅1

 JR内房線五井駅から房総半島の内陸部に分け入るローカル線、小湊鐡道に乗りに出かけてきた。ちょうど2年ぶりだ。
 7時半前に五井駅に着くと、たちまち昭和にタイムスリップ。現代の日本ではここでしか見られない鉄道風景がそこにある。

 この存在自体が文化財のような鉄道は実際に大正14年の開業当時のままの姿を残す駅舎や橋梁、隧道など建造物22件が今年5月、「小湊鉄道駅舎群等」として国の登録有形文化財に認定されたらしい。

 この「五井機関区機関庫及び鍛冶小屋」も開業当時のままで、文化財登録。そこに昭和30年代〜40年代生まれの気動車キハ200が休んでいる。
 昭和と平成が同居する五井駅

 上総牛久発の列車がやってきた。聞こえてくる踏切のカンカンカンカンカン・・・という鐘の音も昭和だ。

 キハ212と211の2両連結。7時41分着。

 これがそのまま折り返して、7時54分発の上総牛久行きになるのかと思ったら、後ろを切り離して、キハ212の単行だった。それでも車内は空いているが、ワンマン運転ではなく、女性の車掌さんが乗務している。
 小湊鉄道1日フリー乗車券を手に、出発。


 内房線から分かれると、単線のレールは宅地化の進む田園風景の中をたどる。

 4分走って最初の駅、上総村上に到着。この駅も駅舎が文化財。前回はここで下車して上総国分寺跡を訪ね、そのまま隣の駅まで歩いたのだった。

 ここで五井行きと行き違い。鉄道用語でいえば列車の交換。


 村上の次は海士有木(あまありき)。

 この駅も駅舎が文化財

 手書きの駅名標も昔懐かしいスタイル。

 上総三又を経て、上総山田。この駅舎も文化財。大体、どこの駅も似たような造りではある。でも、どの駅で降りても、それぞれに独特の味わいがある。時間があれば、すべての駅に降りてみたいぐらいだ。

 この後、いずれも開業時のままで、文化財に登録された第一柴の下橋梁、第二柴の下橋梁、第一養老川橋梁(川沿いのポプラ並木が印象的)を渡り、光風台に到着。小湊鉄道では一番新しい駅で、起点の五井を除けば、唯一、跨線橋がある駅でもある。ここはさすがに文化財ではない。

 その次が馬立。ここは文化財。このように昔と変わらぬ駅舎が数多く残る小湊鉄道だが、合理化によってほとんどの駅は無人駅になっている。

 ずっと同じような、でも飽きることのない風景の中を1両だけのディーゼルカーは坦々と走り続け、これも文化財の第二養老川橋梁を渡り、少し家並みが増えたなと思うと、沿線最大の町、上総牛久に着く。この列車もここが終点。8時21分着。ここも駅舎は文化財で、主要駅だから駅員もいる。




 五井駅でもらった時刻表によると、牛久から8時29分発のトロッコ列車里山ロッコ91号」があるが、姿が見えないので今日は運転日ではないようだ。トロッコ列車は牛久〜養老渓谷間に3往復設定されていて、あとの2往復は運転されるようだから、どこかで姿を見ることはできるだろうし、乗ってみてもいいかな、と思う。SLの外観を模したディーゼル機関車が引く列車で、これだけはある意味で平成っぽい存在といえるかもしれない。

 さて、牛久に初めてやってきたのは1995年の夏に人生初の自転車旅行をした時のことで、川崎から木更津にフェリーで渡り、そこから汗だくになりながら自転車を走らせ、へろへろになってたどり着いた街がここだった。その時、駅前商店街で朝市をやっていた。

牛久駅舎も文化財
 朝市は3と8のつく日に開催と記憶しているが、その後は朝市の開催日に来ることはなかった。今日は7月8日だ。ということで、朝市をやっているはずだ、と思い、それを期待して、途中下車せずに牛久まで来たわけなのだが、駅に近いメインストリートに出ても、それらしい気配はない。以前は牛久駅前だけでなく、近隣の駅にも朝市の案内看板が出ていたのだが、それが見当たらない。どうなってしまったのだろう、牛久の朝市。
 ということで、牛久ではすることがなくなってしまったので、今乗ってきた列車の折り返し、8時37分発、五井行きに乗車。
 次の馬立(うまたて)で下車。この駅で降りるのは初めてだ。

 走り去る五井行き。



 文化財馬立駅舎。駅員の姿はない。

 貨物ホームが残っている。この鉄道でも昔は貨物列車も運転されていて、貨物ホームに貨車を横付けして積み下ろしをしていたのだ。各駅には当たり前のように駅員がいて、今よりずっと活気があったはず。


 駅舎の脇に登録有形文化財の解説版がある。

 馬立駅本屋
「開業当初からの駅舎のうちの一つで、建築は大正14年頃とみられ、設計・施工は鹿島組(現鹿島建設株式会社)によるものです。木造平屋の寄棟造で屋根は瓦葺、外眼は洋風下見板張りです。昭和7年頃に小規模な増改築はありますが、待合室と事務室の大部分に大きな改築はなく、出札口や手荷物扱い口カウンター、北側窓際ベンチ、内壁の堅板張の腰板、天井など内外観ともに開業当初からのたたずまいをよく伝えています」

 出札窓口。

 板で閉ざされた手荷物扱い口カウンター。

 今のように宅配便のネットワークが発達していなかった頃は全国に張り巡らされた鉄道ネットワークが荷物の輸送を担っており、人々は送りたい荷物を駅に持っていったり、届いた荷物を駅で受け取ったりしていた。昭和の終わりまではローカル線でも荷物車を連結していたものだ。
 それにしても、のどかだ。

 次の列車が隣の駅を発車した。小湊鉄道ではこんなものでもハイテク設備に感じてしまう(笑)。

 8時57分発の牛久行き。


 先ほど五井駅で切り離されたキハ211の単行列車だった。これに乗ってまた上総牛久へ。

 つづく