成城3丁目緑地と喜多見不動

 世田谷区成城というと東京を代表する高級住宅街だが、大正末に成城学園が移転してきて昭和2年に小田急線が開通するまでは人家も稀な原野や林ばかりで、住んでいるのはキツネやタヌキやノウサギやヘビ、野鳥ばかりという土地だった。当時の地名は北多摩郡砧村大字喜多見。
 明治39年にこの地の喜多見不動滝を訪れた大町桂月は『東京遊行記』の中で鉄道の最寄り駅として中央線の吉祥寺駅や境駅(現・武蔵境)を挙げているほどの僻地だったわけだ。この本は老若男女に対して歩くことの重要性を説くのが趣旨でもあるので、本人は都内の自宅から徒歩で訪れている。
 そんな今からは信じられないような時代からほとんど変わっていないと思われるのが、成城3丁目緑地。もともと喜多見御料地だった場所でもある。

 多摩川河岸段丘の最上段に広がる成城の街を縁取る国分寺崖線の森の奥から湧き出た水が斜面を流れ下ってくる。

 いまでもヘビやタヌキぐらいは住んでいるだろう。サワガニもいるそうだ。

 こちらは大町桂月が訪れた喜多見不動滝。

「台地を下れば、崖より小瀑滴る」と書いている。
 石段を上ると、崖の中腹に喜多見不動堂。明治初期に多摩川の大洪水で喜多見の河原に流れついた不動明王像を地元の人々が成田山新勝寺で入魂のうえ、ここにお堂を建てて安置したもの。明治9年創建。

 狭い境内に玉姫稲荷や岩屋不動、蚕蔭大神などが祀られている。