さよなら、ジプシー

 いつかはこんな日が来ることは分かっていたけれど、こんなに突然その日が来るとは思わなかった。
 多摩動物公園のスーパーおばあちゃん、オランウータンのジプシーが休園日だった昨日(27日)の16時過ぎ、天国に旅立ってしまった。本日、公式発表。
 8月初めより口の中から出血するようになって、やわらかいものしか食べられなくなり、投薬による治療をしていたそうだが、治癒に至らず、昨日、麻酔をかけて検査と治療をしたところ、麻酔から覚醒途上で容体が急変し、そのまま亡くなったそうだ。下顎に腫瘍らしき病変が見つかったという。
 「亡くなる」という表現は普通、人間以外の動物には使わないもので、報道でも「死ぬ」という表現が使われているが、ジプシーを知っている人なら誰だって人間と同格以上の扱いで語りたくなるはずだ。

 歯が痛いらしいという話は聞いていたけれど、彼女にとってはこの夏は我々が思っていた以上に辛い夏だったのかもしれない。でも、そんな素振りは少なくともお客さんの前ではまったく見せなかったので、こんなことになるとは予想もしていなかった。
 先日の長寿のお祝いでも、4歳のリキと一緒に最初に登場したものの、リキの母親キキがなかなか出てこないのを気にかけて何度も立ち止まっては振り返っていた姿や、オランウータンの社会に慣れていないバレンタインがほかのオランウータンに乱暴な振舞いをした時に真っ先に駆け付けたりとそんな姿が目に浮かぶ。穏やかで、やさしくて、常にみんなのことを気遣っている、そんなおばあちゃんだった。

 ボルネオオランウータンとしては世界最高齢の62歳。飼育下でも平均寿命は40〜50歳ということなので、とんでもなく長生きだったことは確かだし、大往生であることも間違いないのだけれど、残念だし、寂しい。
 動物園で誰からも愛される動物はたくさんいるけれど、ジプシーのように誰からも尊敬される存在は滅多にいない。濡れたタオルをしぼって窓や床を拭いたり、団扇であおいだり、ガーデニングをしたり、といった仕草がまるで人間みたいだったからではなく、ホモサピエンスの世界でもそうはいない「人格者」であるのが誰にでも分かったから、みんな敬意をこめて「ジプシーさん」と呼んでいたのだった。
 動物園でも「菩薩様のようなオランウータン」と紹介されていたけれど、まさに生き仏。もう菩薩を通り越して如来のレベルだった。煩悩とかなさそうだったし。
 そして、最後まで自分の娘や孫と一緒に暮らし、血縁のない小さな子どもたちにも囲まれて、幸せな“人生”だったと思いたいし、きっとジプシーもそう思っているだろう。
 現在、日本で飼育されているボルネオオランウータンは33頭。そのうち16頭がジプシーの血統だそうだ。北海道から九州まで各地に子どもや孫だけでなく曾孫や玄孫までいるのだ。
 長女のジュリー(左)と。

 リキにチュ〜。

 1958年に多摩動物公園が開園した時からずっと多摩で暮らしていたので、今日は多摩動物公園の歴史の中で初めてジプシーのいない一日になってしまった。生前のジプシーをこの目で見た、ということはあとになればなるほど貴重な経験だったことがわかってくるのだろう。
 天国でも、先に旅立っていった家族と一緒に、安らかに過ごしてほしい。そして、この世で暮らすオランウータンたちを見守ってあげてほしい。
 在りし日のジプシーの動画。