さようなら、夕張支線

 JR北海道・石勝線の夕張支線(新夕張~夕張、16.1キロ)が本日の運行をもって廃止される。

 新夕張で発車を待つ夕張行き。2000年8月。

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 かつて石炭産業で栄えた夕張は炭鉱の閉山後、人口が激減し、石炭輸送で活躍した鉄道も衰退の一途をたどり、ついに終焉を迎えた。

 SLの牽く長大な石炭列車が何本も発着していた夕張駅も最後は1両のディーゼルカーがやってくるだけの駅となり、しかも再開発の邪魔とみなされたのか、線路はかつての夕張駅より2キロも手前で切断され、そこに短いホームを添えただけの駅になっていた。

 僕は2000年8月に一度だけ、この路線を往復したが、昔の賑わいはまるで消え去っており、乗っているのは物好きな鉄道ファンばかり。地元の人はクルマが当たり前で、本数が少なく不便な鉄道を利用する人はほとんどいないようだった。

 夕張駅にて。線路1本に短いホームがあるだけの小さな駅。

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 決められた線路の上を決められた時刻表に従って列車が走る鉄道は日本が近代化する過程で国土を空間的にも時間的にも制度化する手段であった。誰もが国家的な制度の一部でありたいと願って地元にも鉄道が建設されることを望んだ。その結果、国土の隅々まで鉄道が敷かれることになったわけだが、人間というのは制度から疎外されることは望まないけれど、制度に縛られるのも嫌がるものである。

 都会のように待つことなく、次々と列車がやってくるのならともかく、地方のローカル線では1時間に1本、あるいは数時間に1本しか列車が来ない、なんてことも珍しくない。そんな不便な鉄道より、張り巡らされた道路ネットワーク上を自分の都合に合わせて自由に移動できる自動車のほうが好まれるのは当然だ。

 ローカル線の利用者といえば、車に乗れない高齢者と通学生だけというのが全国共通の実態だが、過疎が進めば、設備の維持にコストのかかる鉄道よりもバスで対応したほうがよい、ということになるのだろう。

 先日、JR東日本が事実上見捨てた旧山田線の釜石~宮古間が第三セクター三陸鉄道リアス線として東日本大震災による被災から8年ぶりに復活したが、地方鉄道の苦境はこれからも続きそうだ。