84年前の日記

 今日の東京は最高気温が9.4℃。朝まで雨で、その後も曇り空。久々に冬が戻ってきた。

 2月26日。今から84年前(昭和11年)のこの日の祖母の日記が手元にある。

「終日雪が降り積る。
 帝都一大不祥事の日。
 岡田、斎藤、渡辺等の重臣即死。直ちに軍事警備が施行せられ、尚午後三時から戒厳令が施行せられた。主人も午後九時頃帰宅される。」

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 祖母の日記は昭和11年から真珠湾攻撃直後の昭和16年末までの6年分がある(3年連用日記2冊)。ほとんどは東京で暮らす主婦の日記だが、時々、貴重な記録が含まれている。

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 事件発生から4日目、2月29日の日記

「朝六時半から終日ラヂオをかけ放し。逆軍人達慰撫の効なく事態急迫する放送刻々相次ぐ。交通杜絶一部避難など恐ろしい様だったが、午後二時頃には大体平静に復したとのこと。
 岡田首相の義弟身代りのラヂオに驚かされる。主人夕方六時過ぎ帰宅せられ一安心」

 

 祖父は当時陸軍の技術部門にいたので、事件とは無関係ながら、28日は帰宅しなかったようだ。

 なお、「岡田首相の義弟身代り~」というのは死亡したと思われていた岡田啓介が危うく難を逃れ、義弟で首相秘書だった松尾伝蔵氏が岡田と誤認され殺害されていたことを指している。ほかに斎藤実内大臣高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎教育総監らが犠牲になっている。