突然のラストラン

 今日、ハンガーに掛けて物干し竿に吊るしていた洗濯物が地面に落ちていて、なおかつハンガーだけがどこかへ消えた。どうやらカラスが巣材として持ち去ったらしい。最近、枝を咥えて飛んでいるのをよく見かけるので、近所に巣を作っているようなのだ。

 テレビでアベノマスクの配達が世田谷区の郵便局で始まったというニュースをやっていたので、届くのかと思っていたが、届かず。要らないけど。

 

 昨日、火野正平の「こころ旅」は無事に北海道までたどり着けるだろうか、と書いたばかりだが、三重県からスタートし、愛知、静岡と来て、次は神奈川というところで旅が中断となったようで、来週からは当面、過去の旅の再放送となるようだ。まぁ、仕方がない。

 

 さて、JR北海道の札幌駅(正確には隣駅の桑園駅)と新十津川駅を結ぶ札沼線(愛称:学園都市線、76.5㎞)のうち、末端区間北海道医療大学駅新十津川駅の間47.6㎞の廃止が決まったというニュースはずいぶん前に知った。そして、ラストランが今年のゴールデンウィークの最終日5月6日であることも知っていた。

 その路線廃止を前倒しするとの発表があったのは一昨日(15日)のことである。言うまでもなく新型コロナウイルスの感染拡大防止のためだ。このような路線廃止の際には全国から別れを惜しむ鉄道ファンが押し寄せ、列車や駅や沿線各所が大混雑するのが常であり、それを防ぐために連休前の廃止が決まったのだった。通常の運行は4月24日で終了し、27日に沿線住民のみを対象としたお別れ列車が運転されるという話だった。それでも、あと1週間ある。人が押し寄せるようなことにならなければいいなぁ、と思っていたら、昨日の政府による「緊急事態宣言」の全国拡大を受けて、JR北海道は今日(17日)午前10時に新十津川を発車する石狩当別行きの列車をもって廃止区間の運転をすべて終了すると発表。まさに突然決まったラストランだった。

 なぜ、朝10時発でラストだったかというと、これが新十津川を発車するこの日の最終列車だったからである。終点の新十津川駅に発着する列車はなんと1日1往復だけだったのだ。

 札沼線は1935年に札幌と留萌本線の石狩沼田を結ぶ鉄道として開業。札沼線の名称は両端の駅名から採ったものであったが、1972年には新十津川~石狩沼田間が利用者の減少を理由に廃止。その後、札幌近郊区間は宅地開発が進み、利用者も増えて、途中まで電化され、運転本数も増えたものの、過疎地を走る末端区間(といっても、全区間の半分以上)は非電化のままでディーゼルカーが走っていた。列車本数もどんどん減り、ついに終点まで行くのは1日1本というあまりに寂しすぎる状況になってしまったのだった。経営の苦しいJR北海道として、この区間の廃止は当然の結末だったのだろう。

 僕はこの札沼線には1982年3月に一度だけ乗っている。札幌から新十津川まで行き、そこから函館本線滝川駅までバスで出たのだった。

 当時の記録。札幌のスキーのジャンプ台のてっぺんまで登ってみた時の写真あり。

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 1982年3月23日の新十津川駅。まだ腕木信号機が健在だった。ちなみに新十津川とは明治時代に大水害で被災した奈良県十津川郷の住民が移住して開拓したことに由来する地名である。

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 当時の札沼線時刻表。

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 当時は新十津川駅に下り7本、上り6本の列車が発着していたことがわかる。

 ちなみに、この時刻表にある「大学前」が今回の廃止で札沼線の新たな終点となった北海道医療大学駅の前身である。大学前には札幌からの距離が表記されていない。これは当時、大学前が国鉄当局から正式な駅として認可されていない仮乗降場だったためである。そんな大学前仮乗降場が正式な駅に昇格したのは僕が乗車した直後の1982年4月1日のこと。そして、1995年3月に北海道医療大学駅に改称されたのだった。

 こうして、また鉄道路線がひとつ消えてしまったのは寂しいことだが、仕方がない。

 

(おまけ)昨年の春、多摩動物公園内にたびたび出没していた野生のノウサギ

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多摩動物公園の野生ノウサギ

 

(きょうの1曲)中村由利子/パストラル


パストラル - 中村由利子