高幡不動駅から多摩動物公園まで歩く(1)

 現在、多摩動物公園の最寄り駅といえば、言うまでもなく京王線および多摩モノレール多摩動物公園駅である。しかし、多摩動物公園が1958年5月5日に開園した当時、2000年開業の多摩モノレールはもちろん、京王動物園線もまだ存在せず、動物園に一番近い駅は京王線高幡不動駅だった。来園者はそこから2キロ近い道のりを歩かねばならなかったという。

 開園初日こそ無料開放だったため、推定25万人もの人が訪れ、高幡不動駅から長い行列ができたともいうが、交通が不便で、広大な園内の整備不足もあって、来園者数は低迷。

 そんな状況を改善すべく、高幡不動駅からの京王動物園線(2.0㎞)が開通したのが開園から6年後の1964年4月29日のこと。この年には世界で初めてライオンの群れが暮らす広い放飼場内をめぐるライオンバスが運行を開始したこともあり、多摩動物公園にとって画期的な年となった。

 さて、そういうわけで、多摩動物公園に行くには京王線多摩モノレールを利用するわけだが、京王動物園線は日中20分間隔の運行で、タッチの差で乗り遅れてしまった時など、高幡不動駅から速足で歩けば、次の電車を待つよりは早く動物園に着ける。実際、僕は何度も歩いている。

 モノレールが頭上を走る道路が最短経路だが、付近の湧水を集めて流れる程久保川沿いの遊歩道もカワセミに出会えたりして楽しい。しかし、最近はそれらの道より少し距離は長いが、この地域に古くからある旧道をたどるのが面白い。

 ということで、今回は高幡不動から多摩動物公園までの旧道を歩いてみよう。

 高幡不動駅をあとにモノレール沿いの広い通りに出て、日野市立高幡図書館の先で右に入るのが旧道である。このあたりは昔の多摩郡三沢村で、現在の地名は日野市三沢である。

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(まっすぐ行くのが動物園への近道だが、ここで右に入る)

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 左右に丘陵を見ながら、その間に広がる谷沿いの住宅地を行く。

 まもなく、町名が日野市三沢から程久保に変わる。昔の多摩郡程久保村。

 村の入口付近に六地蔵がある。寛政7(1795)年に程久保村の念仏講中の人々が建立したもの。ここを左に入ると、多摩モノレール程久保駅

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 ところで、僕はここでへ来る途中、高幡図書館に立ち寄り、地域資料コーナーで「日野市郷土資料館講座・村絵図を楽しむ1~三沢・程久保」というパンフレットを見つけ、そのコピーを手にして歩いているのだが、この六地蔵を過ぎて、すぐ右手にあるお宅は「勝五郎生まれ変わり物語の前世、藤蔵(とうぞう)の生家」だという。

 僕はこの物語をまったく知らなかったのだが、200年ほど前の江戸では大変有名な話(一応、実話ということになっている)であり、後には小泉八雲ラフカディオ・ハーン)によって欧米にも紹介されたらしい。

 江戸後期の文化・文政の頃、現在の八王子市にあった中野村に8歳になる勝五郎という男の子がいた。この子は前世の記憶をもっていて、彼の前世は程久保村の六地蔵のそばに住んでいた藤蔵という男の子だったというのだ。藤蔵は6歳の時に疱瘡に罹り、亡くなってしまったのだが、遺体から抜け出した魂は藤蔵の記憶を持ったまま、3年後に中野村の勝五郎として生まれ変わったというわけだ。

 勝五郎は祖母を連れて、程久保村を訪ねたが、初めての土地のはずなのに、藤蔵の生家の場所も家の中の様子も藤蔵の両親の名前も知っていて、家の向かいにある「たばこや」の木は昔はなかったなどと言い当てて、人々を驚かせたりしたという。

umarekawari.org

 

 藤蔵の生家の小宮家(元は須崎姓)は今もあり、また藤蔵の墓は高幡不動尊にあることから、その境内に2018年に「藤蔵・勝五郎生まれ変わりゆかりの地記念碑」が建立されているという。

 

 さて、さらに進むと、左手に小高くなった塚があり、庚申塔や首のない地蔵尊などの石仏が並んでいる。いかにも古道らしい風情。

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 パンフレットによれば、このあたりに安永9(1780)年の馬頭観音があり、藤蔵の実父、須崎藤五郎の造立だという。

 さらに行くと、右手に長屋門がある。このあたりが下程久保高札場跡だそうだ。村の名主の家だったという。

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 つづく