高幡不動駅から多摩動物公園まで歩く(2)

 京王線高幡不動駅から多摩動物公園まで歩いた話。2キロにも満たない距離で、簡単に終わるはずだったが、いろいろ調べてみたら、勝五郎の生まれ変わり物語という不思議すぎる話が出てきて、予想以上に面白いことになってきた。藤蔵と勝五郎の話はまたそのうち改めて書くことにして、とにかく先に進む。

 かつて程久保村の高札場があったという長屋門前を過ぎたところから。

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 その先に消防団の建物があり、そのあたりに「番匠谷戸」という谷が入り込んでいる。昔、高幡不動金剛寺のお堂を建てる番匠(大工)たちが住んだと伝えられる谷戸で、中世にはこの一帯の「木伐り沢」と呼ばれた山林で伐採した木材を用いて不動堂を建てたという。

 程久保村はその大部分が山林で、かつては薪炭の生産が盛んだったというが、現在は山林の多くが宅地化され、急な傾斜地を造成した住宅が並んでいる。いまたどっている旧道から右に入る道は急勾配の坂道で、そこを杖を突いたお年寄りが下ってくるのを見ると、大変だなぁ、と思う。丘陵地帯が新興住宅地として開発された当初に住み始めた人々がみな高齢化して、現在に至っているのだろう。

 ちなみに6歳で亡くなった程久保の藤蔵が生まれ変わった勝五郎の住んでいた中野村(いまの八王子市東中野)はここから南の方角にあり、勝五郎が前世の記憶を頼りに祖母とともに程久保を訪れた時、この道を歩いてきたはずである。勝五郎は村まで来ると、迷うことなく藤蔵の生家を探し当てたという。彼にとっては、かつて自分が住んでいた懐かしい家だったのだろう

 道は急坂になったり、緩い坂になったりしながら一貫して上っていき、やがて程久保川にぶつかる。現在は改修され、直線化されているが、昔は流路も今とは違っていたと思われる。

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 川沿いに行くと、右手に小さな番匠谷戸公園というのがあり、説明板が立っている。

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 再び程久保川と別れ、細道を上っていくと、程久保村の鎮守だった神明神社がある。

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 鳥居の傍らには小さなお堂があり、庚申塔馬頭観音が並んでいる。堂内には小さな観音像が安置されている。「再建の由来」という石碑があり、その碑文によれば、明治38(1905)年4月8日、日露戦争に際して程久保の有志が十一面観世音菩薩を祀って建立したもので、その子孫が昭和53年に観音堂を再建したそうだ。

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 このあたりにはかつて岩戸山正福寺という神明神社別当寺があり、手元のブックレットによれば、開山の栄伝法印は元禄年間の人で、本尊は虚空蔵菩薩。また、尼僧の妙智法印が墓地に穴を掘り、村人の見守る中、入定したという話が伝えられている。寺は明治6年頃に廃寺となった。

 石段を登ると神明神社。祭神は国常立尊クニトコタチノミコト)。創建年代は不詳ながら、この土地に村ができた時に創建されたと思われ、本殿には寛永15(1638)年の棟札が残されているという。

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 明治43年に番匠谷戸にあった山王権現と上程久保秋葉権現・稲荷明神の3柱が合祀されており、境内の本殿に向かって左奥に小さな祠があるが、祭神は不明。

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 境内からの眺め。多摩モノレール京王動物園線多摩モノレール通り、程久保川が見える。

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 神明神社をあとにさらに行くと、まもなくモノレール通りに合流。京王多摩動物公園駅も見えてくる。

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 あとはモノレールを見上げながら行けば、動物園はすぐである。

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 動物園の手前の高台に長楽寺という真言宗寺院があるが、これは新宿区角筈にあったお寺で、昭和20年5月の空襲で焼失し、昭和35年に当地に移転してきたそうだ。門前に元禄時代の大きな庚申塔が2基あるが、これも都内より移されたもの。寺の造成時には古い炭窯がいくつも発掘されたという。

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 さて、多摩動物公園前までやってきた。動物園は程久保川に流れ込む湧水が長い年月をかけて丘陵地を侵食してできた谷戸の地形を利用して造成されている。中でもここは程久保川流域で最大規模の谷戸で、長谷戸の名があり、江戸時代には幕府の直轄林(御林)とされ、御巣鷹山(将軍が鷹狩に使う鷹を繁殖させる山林)に定められていた。

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 旧程久保村の村域は程久保川の上流へとさらに続き、この奥の中央大学のキャンパスを越えた彼方には勝五郎の生まれた中野村があった。勝五郎は前世の藤蔵が2歳だった時に亡くなった父親の墓参りがしたいと言って、祖母に付き添ってもらって中野村から山を越え、勝五郎に生まれ変わってからは初めて程久保へやってきたわけだが、いま多摩動物公園前となっているこの地点をはやる気持ちで通り過ぎ、記憶にある藤蔵の生家へと坂道を下って行ったのだろう。