永林寺

 先日、八王子市下柚木の永林寺(曹洞宗)を訪れた。生まれ変わり物語の小谷田勝五郎の墓参りが目的で、訪れるまでは、どこにでもありそうな小さなお寺なのだろうと想像していた。しかし、実際に訪れた永林寺はかなりの大寺院だった。ということで、今回は金峰山永林寺をご紹介。

 「金峰山」の額がかかる総門。通称「由木の赤門」。1546年建立。1595年、野火により焼失し、1758年に再建。

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 まずは境内にある解説板。
「永林寺は、大石源左衛門尉定久公の居館(由木城)であったものを、定久公が滝山城主として滝山城へ移るに至り、叔父である一種長純大和尚に譲り、天文元年(一五三二年)三月永麟寺として創建された。その後八王子城北条氏照公の助成を受けて天文十五年七堂伽藍の完備された大寺院が完成された。
 天正十五年後陽成天皇より勅願寺の綸旨を受け護国殿の勅願を受ける。天正十九年九月徳川家康公が当寺に巡拝された折り、朱印十石、公卿格式拾万石を授けられ、赤門の建立が許可された。又、永麟寺の麟の文字を林に変え、現在の永林寺の寺名となり今日に至っている。又、当地域に十ヵ寺の末寺を有する。格地本寺寺院である。
永林寺には、大石家丸に三つ星、北条家三つ鱗、天皇家菊、五三の桐、徳川家三つ葉葵等五つ紋を有しており、往事を偲ぶことが出来る」

 

 上の説明で、赤門が当寺を訪れた徳川家康の許可により建立されたことがわかる。しかも勅願寺院。驚くほど格式の高い寺院であったわけだ。

 赤門をくぐると、参道に十六羅漢像が並び、さらにちょっと変わった仏像。

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 「笑佛」。

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「ちょっと、あんた。笑っちゃうわよねぇ、あはははは」

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 そして、二層の三門(=三解脱門。1546年建立、1669年再建)。

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 仁王様に睨まれながら山門をくぐると、その先に一段高い中雀門。1587年、後陽成天皇より勅願寺の綸旨を賜り、建立を許された門。この門も1595年に野火で焼失し、1669年に再建。その後も火災や震災、台風などの被害を受け、再建されたり、ほかの寺の三門を移築したりしてきたが、2013年に新たに再建されたのが現在の門。本来は勅使門であり、天皇やその使者(勅使)しか通れない門で、勅使門を有する寺院ではふだんは閉鎖されているのが普通だが、永林寺では本堂に通じる最後の門として開かれ、誰でも通ることができる。

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 中雀門の門扉には天皇家の菊の御紋。そして、その先に本堂。

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 本堂は法堂とも呼ばれ、ご本尊は釈迦牟尼仏。脇侍として普賢菩薩文殊菩薩が祀られている。

 1546年建立。総門、三門と同じく1595年に野火で焼失。1669年に再建。現本堂は1745年に大改修されたもので、向拝は1857年に小谷田忠五郎棟梁により再建とのこと。生まれ変わりの小谷田勝五郎の一族だろうか。しかも、同時代の人だ。

 向拝が本堂の中心より左に寄っているのはこの地方の禅寺の特色だという。

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 建物のあちこちに「五三の桐」や「三つ鱗」の紋が見られる。堂内には「護國殿」の勅額。

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 本堂に向かって左手には豊川殿。1937年建立。寺の守護神として豊川稲荷(荼枳尼眞天=稲を荷い、白狐に跨った女神)が祀られている。その背後の山には三重塔。これは1980年の建築だから新しい。今年で築40年。

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 右手には鐘楼、大庫裡(香雲閣)がある。

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(書院と庭園)

 本堂の左側を進むと、六地蔵や岩船地蔵の前を通り、右に書院と庭園を見て、墓地へ至る。この地に居館を置き、のちに滝山城主となった戦国武将・大石定久(1491‐1549)の墓所もある。大石定久は関東管領・上杉氏の重臣だったが、上杉と北条の関東派遣をめぐる争いが北条優位に傾くと、北条氏康の三男・氏照を娘婿に迎えて北条傘下に入り、氏照に滝山城を譲って隠居している。

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 墓地を見下ろす裏山には大石定久公像が立ち、「史蹟由木城址」の碑が立っているが、遺構は失われている。

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 また墓地の奥には沼があり、水源は湧水と思われるので、由木城の時代には貴重な水源だったのだろう。

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 三重塔のある高台から眺めた境内。上空を横田基地の米軍機が何度も通る。

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 自分にとっては縁もゆかりも何もない勝五郎(1815‐1869)にたまたま関心を持ち、お墓参りをしたことで、訪れたお寺だったが、なかなか良い場所を知ることができたな、と思う。