筑波山(その4)

 1月9日に筑波山に登った話のつづき。

 まず最高峰の女体山(877m)に登り、続いて西にそびえる男体山(871m)に登るべく、鞍部の御幸ヶ原にやってきたところから。このあたりの雰囲気は昭和の頃からあまり変わらない。ただ、かつては回転式だったコマ展望台は今はもう回っていない。

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 懐かしい風景だろうと思い、妹弟に写真を送ったら、妹から「自転車で行ったの?」という返信が来た。東京に住む人間が茨城県筑波山に登ったといって、自転車で行ったのか、と聞かれることは普通はない。

 筑波山ライブカメラ

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 さて、こちらもブナ林に覆われた斑糲岩の山である男体山までは御幸ヶ原から普通なら簡単に登れるが、こちらも雪と氷の道なので、慎重に登って、15分ほどでたどり着いた。時刻は11時35分。

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 こちらには男体山御本殿があり、伊弉諾尊イザナギノミコト)が祀られている。

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 御朱印。こちらも女体山と同じクリアファイル付きで500円。

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 男体山からは南から西の眺望が開ける。

 富士山・・・かと思ったら、違った。あれはどこの山だろう? 浅間山かな、と直感的に思ったのだが。

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 こちらが富士山。関東平野の広さを実感できる眺め。

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 男体山には気象観測所がある。日本初の山岳測候所だそうだ。

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 その始まりは今から120年前。1902年に旧皇族山階宮菊麿王が自己資金で山階宮筑波山測候所を建設し、通年観測を開始したのだそうだ。

 1909年には国に寄贈され、中央気象台付属筑波山測候所となり、1928年に現在の建物が完成。

 1976年に完全無人化され、2001年にはアメダス(地域気象観測システム)の統廃合により気象庁の観測所としては閉鎖されるが、筑波大学に引き継がれ、2006年に観測再開。現在は筑波山神社が所有し、筑波大学計算科学研究センターが神社と共同で管理・運営し、最新の気象研究や天気予報に活用されているという。

 

 さて、筑波山の二つの山頂で神様に挨拶を済ませ、御幸ヶ原に戻ってきた。

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 ちょうど昼食時で、お店はどこも賑わっているが、その中で空席があった一軒で昼食。鶏つくねや豚肉、野菜など地元の食材を使った「つくばうどん」を注文。これはどこのお店でも看板メニューになっていて、値段も各店共通の1,000円だ。ちょっと高いが、まぁ、観光地だからね。

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 美味しかった。そして、何よりもお店のおばちゃんの茨城弁に心がなごんだ。茨城弁をしゃべる人に悪い人はいないのではないか、と思ってしまう。

 こんなのがあった。

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  さて、あとは山を下るだけだが、どうしようか。当然、歩いて下るつもりだったが、凍った雪道だと、ちょっと危険かもしれない。ということで、帰りはケーブルカーにしようという気持ちになりかけていたが、ケーブルカーの山頂駅の脇から筑波山神社へ下る「御幸ヶ原コース」を確認したら、整備された階段で、雪もほとんどない。これなら行けそうだ。

 ということで、当初の予定通り、下りも歩き。最初のうちは丸太を使った階段で、どんどん下っていく。登ってくる人たちにとっては最後に長い階段が続き、ちょっと大変かもしれない。半袖のTシャツ一枚になっている男性もいた。

 階段が終わると、露出した岩や根っこを階段がわりにして、下っていく。こちらには白雲橋コースのような名前の付いた巨岩・怪石はあまりないが、斑糲岩がごろごろしているのは同じである。そして、小さな祠もある。

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 御幸ヶ原から筑波山神社まで2.1キロ。

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 最初のうちはブナなどの落葉樹が多かったが、下るにつれて杉が目立ってくる。その下にはアオキなどが多くなる。ブナ林から暖帯林へという植物の垂直分布がはっきりしているのも筑波山の特徴だ。

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 まもなく岩の間から流れ出る湧水がある。これが男女川(みなのがわ)の水源。

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 男女川はここから山麓まで流れ下り、桜川に合流し、土浦で霞ケ浦に通じている。

 小倉百人一首に選ばれた陽成院の歌がよく知られている。

 筑波嶺の峰より落つる男女川 恋ぞつもりて淵となりぬる

 

 男女川を越えると、道はいったん登りに転じたりもするが、すぐにまた下る。この道は昔、家族でも登ったり、下ったりしたし、中学生の時には友人と3人で登ったりもした。その時は御幸ヶ原から筑波山の北側に少し下った地点にあったユースホステルに泊まったが、そのユースも今はなくなってしまった。

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 やがて、ケーブルカーの線路が見えてくる。下り始めの時点では線路は左側にあったのだが、登山道の下をケーブルカーはトンネルで抜けているので、ここでは右側に線路がある。ちょうど中間地点で、行き違いが行われる区間だ。

 そして、ここにはかつて中の茶屋という茶店があったが、これもすでに廃業して、今は礎石を残すのみだ。跡地にはベンチがある。

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 ケーブルカーが登ってきた。


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 ケーブルカーの行き違いを見物して、さらに下る。

 筑波山は上部が斑糲岩、下部が花崗岩になっていて、このあたりから花崗岩地帯になるそうだが、風化が進んで、土壌化してしまったのか、はっきりと花崗岩と分かるような岩は見当たらなかった。斑糲岩は相変わらずゴロゴロしている。

 それでも筑波山の内部には巨大な花崗岩が存在し、その岩体は筑波山から北の山地へと続いている。筑波山北麓の真壁やさらに北の笠間では花崗岩が石材として採掘され、真壁石、稲田石として知られている。稲田石は国会議事堂や東京駅にも使用されている。

 

 とにかく、ヒガラ、ウグイス、メジロ、カケス、アオゲラなどの声を聞きながら下り続け、ケーブルカーの宮脇駅のそばで登山道は終わり。そこに鳥居がある。

 女体山と男体山御朱印をいただいたので、筑波山神社でも、と思っていたが、大行列ができていたので、今回はパス。筑波山神社御朱印は過去に2回頂いている。

 ということで、神社の境内を通り抜け、子どもの頃に散歩した懐かしい道を歩く。

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 陽射しが暖かい。ホオジロやモズの姿を見かけ、今年初めてオオイヌノフグリが咲いているのを発見。小さな春を見つけた気分になる。

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 最後に江戸時代までは筑波山信仰の中核だった旧中禅寺の大御堂にも寄ってみた。

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 2020年に新しい本堂が完成したそうだが、ご本尊の千手観音像も金ぴかになっていた。一度山崩れに飲み込まれ、土の中から無傷で現れたというあの黒々とした観音様は秘仏になったのだろうか。それともあの観音様を修復して、金箔をはり直したのだろうか。

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 ここでも御朱印を頂こうと思ったが、数人が並んでいたので、諦めて、15時10分のバスに乗って山を下ってきた。17時45分に帰宅。22,297歩。