小湊鉄道の旅2022(その4)

 6月4日に小湊鉄道に乗った話の続き。上総鶴舞駅から11時55分発の上総中野行きに乗り、どこで降りようかと迷っているところから。何の目的も用事もなく、ただ列車に乗っているだけなので、とにかく自由なのである。唯一の制約条件は列車本数が少ないということだが、その制約の中であれこれ考えるのもまた楽しい。

 月崎駅。何もないところだけど、好きな駅である。何もないはずなのに、そのわりに降りる人が多い。何かあるのだろうか。「チバニアン」と命名された地磁気の向きが逆転していた時代の地層が見られるポイントの最寄り駅ではあるけれど。

 地層といえば、列車に乗っていても、丘陵地帯の切通しを抜けるたびに線路の両側にむき出しになった地層がはっきりと確認できるが、それがすべて北寄りに傾いていることに気づく。関東平野は中央部が沈降し、周辺部が隆起する地殻変動を受けており、沈降の中心は東京湾北部などである。房総半島は南部の丘陵地帯が隆起し、東京湾に向かって北西に傾いているのだ。養老川など房総半島の内陸部を流れる川の多くが北へ流れ、東京湾へ注いでいるのはそのためだ。半島に降った雨の大半は太平洋へは流れず、東京湾へ流れるのである。とにかく、房総半島が傾いているのが地層を見ても、よく分かる。ちなみにこの地層は280万年前~50万年前にかけて海底に堆積した砂泥互層で、上総層群と呼ばれる。上総層群はここでは地上に露出し、上総丘陵を形成しているが、東京の中心部では地下数百メートルの深さに埋没している。そして、東京都内でも都心を離れた多摩丘陵などでは地上に露出しているのを見ることができる。

 

 上総大久保駅。ここで降りることも考えたが、結局、終点まで行くことにする。

 養老渓谷駅で大半の乗客を降ろし、12時40分に上総中野に到着。

 上総中野は小湊鉄道の終点ではあるが、外房の大原からのいすみ鉄道(旧国鉄木原線)と接続し、房総横断ルートを形成している。そもそも小湊鉄道はその名の通り、外房の安房小湊をめざして建設が始まり、一方、木原線は木更津と大原を結ぶのが本来の目的だった。木更津と大原で木原線である。2本の房総横断鉄道の交差点が上総中野であったわけで、ここで両者が出合ったところで、資金難もあり、その先の工事はストップし、当初の目的とは違う1本の横断ルートができてしまったわけである。お互いに目的地とは違うけれど、内房と外房が繋がれば、まあいいか、といったところだろうか。木原線が本来、繋がるはずだったのは木更津から上総亀山まで建設された久留里線であるが、久留里線だけが結ばれるはずの相手が山の向こうで別の相手と結ばれていることも知らずに、今日も木更津と上総亀山の間を行ったり来たりしながら房総横断鉄道実現の日を待ち続けているのである。

 

 接続のいすみ鉄道は12時51分発で、まもなく到着した。

 小湊鉄道の五井行きは12時50分発。僕もこれで引き返し、次の養老渓谷駅で下車。この駅の駅舎も登録有形文化財

 小湊鉄道沿線では一番の観光地でもあるので、駅前は観光客で賑わっており、ここでも屋台が出ている。その前を通りかかると、ジェラートの試食をさせてくれ、ジェラートは買わなかったが、いちご大福を買う。帰宅後に食べたが、大変美味しかった。

 ここでは45分後にこの駅折り返しの列車があるので、それに乗る。

 13時40分にやってきたのはキハ40の2両編成。キハ40-4と最初に乗ったキハ40-3である。

 小湊鉄道で終点の上総中野まで行くのは1日5往復しかなく、そのほかに1つ手前の養老渓谷折り返しが5往復ある(休日ダイヤ。平日は6往復。トロッコ列車を含む)。片道30分ほどかかる里見~上総中野間には行き違い設備がなく、1本の列車がこの区間に入ると、その列車が里見に戻ってくるまで次の列車はこの区間に進入できず、運転間隔は1時間以上空いてしまうことになる。そこで養老渓谷折り返しにして、少しでも早く里見まで戻って、次の列車がこの区間に入れるようにしようということだろう。養老渓谷~上総中野間は1駅とはいえ10分かかるので、往復で20分短縮できるわけだ。

 かつてはこの養老渓谷駅や途中の月崎にも行き違い設備があり、もっと頻繁に列車を走らせることができたわけだが、最盛期にはどのぐらいの運行回数があったのだろう。

 とにかく、13時45分に養老渓谷をあとにする。あと1カ所、どこかで降りようと思っている。

 前回、上総大久保から月崎まで歩いた道はなかなか良かったが、今回はパス。

 小湊鉄道の全18駅の中で今まで乗り降りしたことのない駅というのはあと1駅しかない。そこで降りてみよう。

 ということで、あと1回続く。