房総半島一周の旅(1)

 久しぶりに「青春18きっぷ」を購入したので、各駅停車でのんびり鉄道旅行を楽しもうと思い、まずは昨日8月11日の「山の日」に海へ行ってきた。房総半島を一周しようと思う。

 朝5時過ぎには家を出て、7時前にはもう千葉駅に到着。7時10分発の外房線、上総一ノ宮行きに乗る。ステンレス車体に黄色と青の帯を巻いた209系8両編成。
 209系は首都圏の通勤用車両として広く利用されたが、房総地区で使用される車両は先頭車が一部ボックス席になっていたり、トイレが設置されていたり、と他地区の209系とは違う特徴を持っている。進行方向左側のボックス席の窓際に座る。一応海側である。ただし、上総一宮までは海は見えない。車内は座席がほぼ埋まり、立ち客も出る乗車率。お盆休みで家族連れも多い。

 蘇我内房線を右に見送り、房総半島の基部を東へ向かう。千葉市近郊の住宅街を進むにつれ、だんだん農地の比率が高まり、のどかさが増してくる。外房線に乗るのは久しぶりである。記憶をたどると、15年ぶりか。

 土気(とけ)を過ぎると、トンネルをくぐる。こんなところにトンネルがあったかな、と思いかけて、東京湾と太平洋の分水界を越えたのだな、と理解する。

 田園は早くも緑から黄金色に変わりつつある。そういえば、早朝に家を出て駅まで歩く間にもコオロギの声をずいぶん耳にしたので、連日の猛暑の中でも季節は少しずつ移ろってはいるのだ。上空は晴れているが、雲がもくもくと湧いている。昨日までのようなギラギラと夏の日差しが照りつける天気ではないのかもしれない。

 大網で東金線を分岐し、ここから南下して、茂原付近からは南東へ向かって、九十九里海岸に近い上総一ノ宮には7時59分に到着。昨年の東京オリンピックのサーフィン競技が実施された一宮町の玄関駅である。

 ここでは4分後に接続の安房鴨川行きがある。E131系という新型で、初めて見る車両だ。たった2両編成のワンマン列車。最後は空席が目立つようになっていたとはいえ、8両編成の電車から多くの乗り換え客が殺到し、あっという間に座席はすべて埋まり、多くの立ち客が出る。僕も座れなかった。外房の海を眺めながら、のんびり列車の旅を楽しむという目論見ははずれてしまった。経営環境の悪化に苦しむJR東日本の立場からすれば、無駄に多くの車両を繋ぐより、最小限の車両に乗客を詰め込んだ方が効率的ということなのだろう。上総一宮から先は列車本数も少なくなり、線路は一部区間を除いて単線となる。

 とにかく、列車は8時03分に発車。僕はドアの脇に立って、車窓を眺めていると、まもなく道路が濡れていることに気がついた。次の東浪見(とらみ)に着いて、ドアが開くと、雨がぽつぽつと降っている。下車した人たちが空を見上げながら、無人の改札口へ急ぐ。予想外の雨だったが、雨はすぐに止んだ。ちょっとした通り雨だったらしい。それでも雲の多い空模様ではある。

 いすみ鉄道の乗換駅、大原を過ぎ、御宿には8時30分着。1995年の夏に房総半島を自転車で旅行した時、初日に宿泊したのが御宿だった。あれはもう27年も前のことなのか。当時はまだアクアラインが開通しておらず、川崎と木更津を結ぶフェリーが健在だった。あの日も暑かったが、やはり途中で通り雨に遭ったことを思い出す。

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 御宿を出ると、ようやく車窓に海が見えるようになる。同時にトンネルも多くなる。車内はいつしか乗客が減って、空席が目立ってきたので、僕も着席できたが、窓を背にして座るロングシートで、車窓を楽しむのには向いていない。

 27年前の自転車旅行で、外房の海沿いの道を走りながら、並行する外房線の電車を目にして、車窓から夏の緑の合間にちらちらと海を眺めながら駅弁でも味わう、そんなのどかな旅のイメージを思い浮かべたのを思い出す。実際にそういう汽車旅を楽しんだ記憶は僕にもあるけれど、もはやそういう旅は過去のものになってしまったのかもしれない。現代でも車内で豪華な料理を味わいながら、車窓風景を楽しめる高額料金の観光客向け特別列車があちこちで運行されているが、それはまたちょっと違うのだ。閑話休題

 勝浦では13分停車。後続の勝浦止まりの特急わかしお1号からの乗り換え客を待つ。車窓をツバメが飛び交っている。

 再び乗客が増えて、8時48分に勝浦を発車。房総半島は南へ行くほど地形が険しくなって海に山が迫り、美しい海岸が広がったかと思えば、トンネルに入り、闇を抜ければ、また海。そして、またトンネルといった風景の連続になる。

 途中に行川アイランド駅がある。小さな無人駅。フラミンゴのショーなどが有名だった行川アイランドはもうだいぶ前に閉園となっており(2001年8月閉園)、ほとんど秘境駅の雰囲気だが、観光らしい親子連れが降りていった。

 このあたりから長いトンネルが多くなる。上総国安房国を分ける房総丘陵を越えるのだ。自転車の旅では丘陵が太平洋に落ち込む断崖沿いの道を走ったが(下写真)、鉄道や国道はトンネルの連続でこの難所を抜けていく。

 国境のトンネルを抜けると、安房小湊日蓮上人生誕の地である。市原市の五井が起点のローカル私鉄・小湊鉄道は本来、ここをめざして建設が始まったがゆえの名称であるが、資金難などで途中の上総中野などという何もないところで終点になっている。

 平坦な土地が広がり、人家も増えてきて、9時16分に終点・安房鴨川に到着。

 外房線の特急わかしお号の終着駅であり、シーワールドが有名な観光都市でもあるが、このような大きな街ではなく、海辺の小さな駅で降りたいので、さらに先へ進むことにする。次の列車は9時40分発の内房線・木更津行きである。線路はさらに外房の海岸沿いを行くが、ここからは内房線と路線名が変わる。

 今度はまた209系の4両編成で、車内はガラガラなので、海側のボックス席に陣取って発車を待っていると、また雨が降り出した。しかも、かなり強い降り方である。

 この後、海辺の駅で降りて、少し歩こうと考えているのだが、まさか雨に降られるとは思わなかった。まぁ、どうにでもなれ、という気分でいると、雨はすぐに上がって、また日が差してきた。

 木更津行きは定刻に発車。岩礁の多い海岸線に沿って走る。やっと期待していたような海を眺めながら列車に揺られる旅のムードになってきた。

 仁右衛門島で有名な太海を過ぎ、次の江見で下車。9時50分着。ここから次の和田浦まで歩いてみようと思う。

 江見駅のホームには黄色や赤のカンナのほか待宵草が咲いている。夏の旅では駅に咲く花々も色鮮やかで存在感があり、記憶に残ることが多い。

 江見は無人駅で、郵便局と一体型の駅舎。今日は休日なので、郵便局は閉まっている。

 駅舎の脇には昔の郵便車を模したクリーム色と紺色に塗り分けた郵便ポストが設置され、クモユニ74012という形式番号がついている。クモユニ74は実在した郵便荷物電車で、クモユニのクは運転台の付いた制御車、モはモーターの付いた電動車、ユは郵便車、二は荷物車を意味する。つまり、クモユニとは運転台の付いた電動車で、1両の中に郵便室と荷物室が併設された車両ということになる。そして、調べてみると、クモユニ74012は実際に房総地区で走っていた車両であることが分かった。廃車になったのは1987年1月とのこと。そういえば、クモユニ74の郵便ポストは品川駅構内にもあり、過去に記事にしている。品川のはオレンジとグリーンのいわゆる湘南色で、運転席のフロント窓の部分に二つの投函口があるのに対し、江見駅のは側面に投函口が一つあるタイプ。品川駅のポストには車輪や線路まで備わっているが、江見駅のには車輪もレールもないなどの違いがある。

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 とにかく、鉄道から郵便車というものが消えて久しいが、かつては幹線だけでなくローカル線の列車にも郵便車や荷物車が連結され、鉄道が郵便物や荷物の輸送を担っていたものだ。全国からの郵便物がこの電車で運ばれ、駅ごとに下ろされ、各駅の地元の郵便局員の手によって各家庭などに配達されたわけだ。また、宅配システムが発達していなかった時代には、最寄りの駅で荷物を預けると、鉄道の荷物車に積んで目的の駅まで運ばれ、そこで相手が荷物を受け取ることができた。一部では駅からの配達サービスもあったらしい。僕の地元の小田急線でも荷物電車が走っていたし、駅には荷物の受付窓口があったと記憶している。そういう時代にはローカル線の小さな駅でも複数の駅員がいたのが普通で、無人駅などはほとんどなかったのではないか。路線網が全国津々浦々にまで張り巡らされ、鉄道が最も活気に満ちていた時代の話である。

 さて、江見駅で降りて、隣の和田浦まで歩くつもりだが、和田浦まで路線距離は4.6キロ。次の電車の和田浦発車時刻は11時14分。現在の時刻は9時57分。この区間の電車は概ね1時間に1本だ。間に合うだろうか。まぁ、間に合わなければ、その次に乗ればよい。

 今日の旅がどんな旅になるのか、一応の心づもりはあるが、実際にどうなるかは自分でもまだ想像がつかない。