藤沢から茅ヶ崎まで石仏をみて歩く(3)

 藤沢市善行駅から歩き出して、大庭地区の石仏めぐりをした話の続き。

 

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 辻堂に近い藤沢市城南1丁目でいかにも古そうな道が二手に分かれる地点にある折戸地蔵尊。左に「右野道 地蔵も花も笑ひけり」と彫られた句碑がある。「右野道」というのは道標を兼ねた地蔵尊の台石にそう刻まれていたのだと思うが、確認できなかった。

 国道1号線に出て西へ行き、まもなく茅ヶ崎市小和田に入る。国道から北へ入ったところに、ちょっと有名な双体道祖神がある。

 仲睦まじく寄り添う美男美女である。しかも、互いに手を取り合い、肩を抱いている。これは明らかに相模の伝統的な道祖神とは違っていて、むしろ安曇野道祖神に近い。造立されたのは「昭和三十六年正月十四日」と新しいから、よく知られた安曇野道祖神の影響のもとで造られたのだろう。正月十四日は小正月で、この地方ではこの日に地域の人々が門松やしめ飾り、古いお札や破魔矢、書き初めなどを持ち寄って積み上げ、これを燃やして、火の霊力で除災招福を願う「どんど焼き」(左義長、サイト焼きなどともいう)が行われるが、これは道祖神の祭りともされる。この場所でもかつては「どんど焼き」が行われたのだろうか。

 さて、この道祖神がなぜ有名かというと・・・。

 隣接する商店で買い物する女性たちが次々と自転車を止めているのだが、皆さん、どの程度気に留めているのだろうか。

 この道祖神前から国道1号(東海道)の一本北側の道を行く。普通の住宅街だが、墓地が多い。

 まもなく小和田の鎮守、熊野神社。ここにも道祖神がある。双体像は明らかに安曇野風。これは平成7年1月14日造立。これも1月14日だ。

 双体猫神?

 神社前には小さな池があり、厳島神社が祀られ、そばに鐘楼もある。藤沢の大庭神社にも鐘楼があった。鐘というとお寺のイメージだが、この地方では神社にもあるのが普通なのだろうか。

 庚申塔群。

 さらに西に進むと、国道1号線に出て、しばらくは松並木の続く東海道を行く。

 茅ヶ崎の中心地に近い本村で、北に入ると八王子神社があった。ここでも境内に鐘楼があり、鐘を1人1回撞いてもいいらしい。

 鐘楼のそばの一角に双体道祖神1基と庚申塔3基、廻国供養塔が集められている。

 道祖神は安永五(1776)年、廻国供養塔は文化四(1807)年、庚申塔はいずれも古くて、寛文四(1664)年、寛文七(1667)年 延宝八(1680)年の造立。庚申塔はどれも三猿が浮き彫りにされ、それぞれに味がある。

 相模の伝統的な双体道祖神。安永五年のこれも正月十四日の造立だ。

 八王子神社をあとに神社前の道を西へ行き、また墓地を見ながら坂を下ると、ホームセンター島忠の前で2車線の道路(一里塚北通り)にぶつかる。これを左へ行けばJR相模線の踏切を渡って茅ヶ崎の市街へ通じているが、ここは右(北)へ行く。そして、200メートルほど進んで左折すると、厄一王子社(やくいちおうじしゃ)という小さな神社がひっそりとある。調べてみると、祭神は疫神(えやみのかみ)だという。疫病をもたらす、いわゆる疫病神である。疫病を祓うために祀られたということなのだろう。

 祠の脇に双体道祖神。寛政十一年十二月吉日と刻まれてるから1799年である。風化が進んで、男女の区別もつきにくくなっている。

 このように時代を経た道祖神が傷んでくると、新しいものに作り直そうということになり、その結果、伝統的な形式とは異なる道祖神が誕生するということなのかもしれない。だとすれば、それはそれで信仰が続いている証ではあるのだろう。

 神社前を西へ150メートルほど行くと、また墓地を経て相模線の北茅ヶ崎駅に出る。もう少し探索してみようと思う。

 

 つづく

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