先日、群馬県の下仁田ジオパークを探訪して、そこで目にした地質、三波川変成帯の続きであり、日本の地質学発祥の地である埼玉県の長瀞に改めて興味を持ち、11月9日に出かけてきた。
前日から意気込んでいたせいか、4時には目が覚めたので、5時前に家を出る。

長瀞は秩父鉄道の沿線にあるが、そこまでの経路はいくつか考えられる。最寄りのターミナルが新宿なので、西武新宿から西武線で西武秩父まで行くのが真っ先に思い浮かぶ経路だが、池袋から西武池袋線、また東武東上線で寄居まで行っても秩父鉄道に乗れる。JRで熊谷まで行って、そこから秩父鉄道という手もあるな、と小田急線の車内であれこれ考えていたが、結局、西武新宿線に乗った。各駅停車で所沢まで行き、ここで池袋線に乗り換え。ちょうど所沢始発の西武秩父行き特急があることが分かった。2019年にデビューした斬新なデザインの新型車両ラビュー(Laview)に乗れる。ということで、ホームで西武秩父まで600円の特急券を購入した(西武新宿~西武秩父間の運賃は800円)。

6時43分発の特急「ちちぶ61号」。この時間なので、乗客はまばら。車内に入ると、黄色のシートはゆったりして、生地も上等そうで、座り心地も良い。そして、窓の上下幅が非常に大きい。



走りだすと、揺れもほとんどなく、音も静か。乗っているだけで嬉しくなってくるような車両だ。西武秩父までちょうど1時間の旅。
途中、入間市に停車して飯能に到着。ここから進行方向が変わる。僕は出来ればシートを回転させて、前向きに座りたいほうである。後ろの席には男性が1名座っていて、どうするかな、と思っていたら、早速座席を回転させて向きを変えているので、僕も同じようにシートの向きを変える。これが満席で、隣に他人が座っていたりする場合、シートの向きを変えるのはちょっと面倒かもしれない。自分たちの座席だけ回転させると、後ろの席と向かい合わせになってしまうので、前後の席の動向にも気を配らねばならばい。近くの席の女性はずっとスマホを見ているので、シートの向きなどどうでもいいのか、飯能から先もそのまま後ろ向きで座っていた。人気列車に違いない特急ちちぶ号の座席の向き問題はどうなっているのだろう?
飯能を出た列車は単線区間に入り、関東山地に分け入る。車窓に山里の風景が流れ、渓谷を何度も渡る。前にこの区間で車窓からサルの群れを目撃したのを思い出す。
デッキへ通じるドアの上の画面に運転席からの前面展望風景が映し出されているのに途中で気づいた。

途中に行き違いのできる信号場がある長い正丸トンネルを抜けて、列車は秩父盆地へと下っていく。
横瀬に停車して、左車窓に武甲山が見えると、まもなく秩父鉄道の線路が見えて、7時43分に西武秩父駅に到着。実に快適な1時間だった。
駅を出ると、空気がひんやりしている。昨夜の天気予報では秩父の朝の最低気温は2℃とのことだった。秋というよりはもう冬の空気である。この日の秩父の実際の最低気温は1.9℃だったので、東京の人間にとっては真冬の気温といっていい。ちなみに最高気温は16.3℃だった。
三峰山へのバス乗り場に行列ができている駅前から狭い路地を数分歩くと、秩父鉄道の御花畑駅がある。次の長瀞方面は8時14分発で、少し時間があったので、駅の立ち食い蕎麦で朝食。
天ぷらそば、460円。

3両編成の熊谷行きに乗り、秩父や長瀞を過ぎ、約30分。8時43分に樋口駅で下車。御花畑から17.6キロ、運賃は650円だった。ここから秩父方面へ歩いて戻りながらの散策である。


今日は最近、図書館で見つけた『ジオパーク秩父公式ガイドブック・秩父に息づく大地の記憶』という本を参考にして、長瀞周辺を歩く。該当ページをコピーしてきたのだが、現地で本を購入した。帯に「秩父で地球の3億年を歩く」とある。
さて、樋口にやってきて、最初に訪ねるのは「野上下郷石塔婆」である。駅の北側に線路と並行して国道が通っていて、その向こう側に長瀞第二小学校がある。交通量の多い国道を横断歩道で渡り、小学校の東側から北へ入り、裏道を東へ行く。すぐにモズの声が聞こえてきた。電線で高鳴きしている。適当に写真を撮ったら顔が隠れていた。


まもなく、桜の木の下に石塔群があった。

下仁田でも見た三波川結晶片岩で造られたと思われる石碑が並んでいる。
二十三夜塔かと思ったら「二十二夜待塔」と刻まれ、主尊の如意輪観音を表す種字(キリーク)が彫られている。二十三夜は各地で見るが、二十二夜は初めて見た。

文化六(1809)年に地元の女性たちが建てたものだ。陰暦二十二日の深夜に昇る月の出を待ちながら女性たちが集まって飲食を共にし、お経を上げたりしながら過ごすのが二十二夜待ちで、調べてみると、二十二夜待ちは群馬・埼玉を中心に東北南部から中部地方にかけてみられるという。
ほかにも「大黒天」とか「聖徳皇太子」などの文字碑や石仏が並んでいる。

右膝を立てて右手を頬にあてる姿は如意輪観音だろうか。なかなかの秀作。女人講中による造立。

「聖徳皇太子」碑。

そこから国道へ出る道の左側に国指定史跡の「野上下郷石塔婆」があった。南北朝時代の北朝の年号で応安二(1369)年に建てられたもので、高さ約5メートル、厚さ13センチの巨大な石塔婆で、現存するものでは日本一の大きさである。

説明板によれば、表面上部に釈迦如来を表す種字、その下に光明真言が梵字で刻まれているという。南北朝期、この地にあった仲山城の城主・阿仁和直家が落城時に荒川の河原で討ち死にし、その十三回忌に際して奥方の芳野御前(妙円尼)が追善供養のために建てたものだという。
碑は「秩父青石」と呼ばれる三波川変成岩の一種、緑泥石片岩で造られている。5メートルの高さの割に厚さが13センチしかなく、これは片岩ならではの薄く剥がれやすい性質を活かしたもので、秩父青石を利用した薄い板状の石碑(板碑)は東京都内を含む関東各地で見られ、その多くは鎌倉時代から室町時代にかけてのものである。
三波川変成岩については、このあとたくさん出てくるので、その時に改めて触れる。
さて、ここから来た道を戻る。タカサゴユリがまだ咲いていた。

相変わらずモズの声を聞くが、それに交じってジョウビタキの声も聞こえてきた。今季初めて姿を目撃。オスだ。

ほかにもヒヨドリやムクドリ。電線に止まっている小鳥がいて、あれは何だろうと思いながらカメラを向けると、スズメだった。最近のニュースによれば、スズメの数が急減しているとか。スズメが絶滅危惧種になるようでは、人類の未来も明るいとは言えない。
また「大黒天」と「二十二夜塔」。もうひとつ供養塔。この地方では月待ちは二十二夜のようだ。

そして、長瀞第二小学校の裏手に「寛保洪水位磨崖標」というのがある。これが本日二番目の探索ポイント。
カップル誕生なのか、縄張り争いなのか、雄雌のジョウビタキが追いつ追われつしているのを見ながら行くと、それは柵に囲まれてあった。こちらは県指定史跡。

これは江戸時代の寛保二(1742)年、関東各地に未曽有の大災害をもたらした豪雨による大洪水の驚くべき水位を示すもので、岩に「水」の文字が刻まれ、そこまで水が来たことを示している。旧暦七月二十七日(今の暦では九月上旬)から降り始めた豪雨で、4日目の八月一日に荒川が最高水位に達し、この地域は完全に水没。その時の水位を地元の四方田弥兵衛と滝上市右衛門が「水」の文字を刻むことで記録し、この時、荒川の水位がおよそ18メートルも上昇したことが分かるという。

この岩も三波川結晶片岩。

実際、この場所は南側の国道より数メートルは高く、その南の秩父鉄道の線路のさらに向こうの谷底を荒川が流れているのだから、その水がここまで来たというのは信じられないほどの大洪水だ。
いま同じ洪水が発生したなら、線路も国道も水面下に沈み、小学校も1階ぐらいは水没してしまうが、そうならないように上流に治水目的のダムが建設されている。
ジョウビタキ♀。

とにかく、いきなり地味な見どころ2連発であるが、この先も派手なのか、地味なのか、よく分からないスポットを、長瀞に来たのに川下りの舟にも秩父鉄道のSL列車にも乗らずに、ひたすら歩いて訪ねて回ることになる。
ちなみにこの日は自宅から自宅で3万5千歩以上も歩いた。
つづく
