歴史
江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が書き残した日帰り旅日記『江戸近郊道しるべ』の道筋を辿るシリーズ。今回は埼玉県川口市の善光寺参りである。上野駅からずっと歩いて善光寺に到着し、その日は川口駅から電車で帰った。嘉陵は善光寺の後、川口から舟で対岸…
江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)の日帰り旅日記『江戸近郊道しるべ』で嘉陵が歩いた道筋を辿るシリーズ。今回は今の埼玉県川口市にある善光寺まで行く。上野駅から歩き始めて、当時は荒川の渡し場があった荒川区西尾久の小台橋までやってきた。昔の豊島郡上…
江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が今の埼玉県川口市にある善光寺に参詣した道筋を辿っている。 上野駅から歩き始め、根岸の里を抜け、日暮里(にっぽり)駅前までやってきたところから。 peepooblue.hatenablog.com 「日ぐらしの里(荒川区西日暮里)の山下…
江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)の江戸近郊散策記の道筋を辿るシリーズ。今回は埼玉県川口市の善光寺である。 長野・善光寺、甲府・善光寺と並び「日本三大善光寺」とも称された川口の善光寺は平等山阿弥陀院と号する真言宗智山派の寺である。鎌倉初期の建…
江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)の江戸近郊散策記録の道筋を辿るシリーズ。今回は「中野長者」伝説にまつわる土地をめぐった文政元年八月二十六日(1818年9月26日)の紀行。 peepooblue.hatenablog.com 旧角筈村(いまの新宿区西新宿)の熊野十二社をあとに…
江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が書き残した『江戸近郊道しるべ』の散策記の道筋を辿るシリーズ。今回は中野の成願寺から新宿の熊野神社にかけて中野長者伝説にまつわる土地をめぐっている。文政元年八月二十六日(1818年9月26日)のことである。 peepoobl…
江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)の江戸近郊日帰り旅の道筋を歩くシリーズ。今回は新宿区から中野区にかけて、いわゆる「中野長者」伝説にまつわる地を散策。 嘉陵が出かけたのは文政元年八月二十六日。現代の暦では1818年9月26日。嘉陵は数えの五十九歳。こ…
江戸の侍、村尾嘉陵(1760‐1841)が今の東京都足立区の北端に近い花畑(当時の花又村)にある大鷲神社(鷲大明神)に参詣した道筋を辿った話の続き。参詣を終え、綾瀬川の東岸沿いに家路を急ぐ嘉陵の足跡を辿りながら、江戸時代にはなかった荒川(荒川放水路…
江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が文化十(1813)年八月二十八日に今の足立区花畑にある鷲大明神(大鷲神社)に参詣したルートを辿った話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 鷲大明神の参拝を済ませた嘉陵が家路を急いだ道を辿る。途中から往路とは別ルー…
4月29日、昭和の日に神奈川県の大磯界隈を散策した話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 湘南平からの360度の眺望を存分に楽しんだ後、丘陵の尾根伝いに東へ歩く。現在時刻は11時40分。 すぐに「曽我十郎 硯水の池」というのがある。 鎌倉時代初期の「曽我…
江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が文化十(1813)年八月二十八日に今の足立区の北端近くにある鷲大明神(大鷲神社、花畑七丁目)に参詣した道筋を辿った話の続き。鷲大明神に着いたところから。神社は綾瀬川沿いに北上してきた道から左へ入った場所にあるが…
江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が今の足立区花畑にある鷲大明神(今の大鷲神社)に参詣した道を辿った話の続き。千住宿を出て、日光街道から下妻道に入り、江戸時代にはなかった荒川を千住新橋で越えたところから。 peepooblue.hatenablog.com 両岸の堤防…
江戸の侍・村尾正靖(号は嘉陵、1760‐1841)の江戸近郊日帰り旅のルートを辿るシリーズ。今回は足立区花畑にある大鷲神社である。当時は鷲大明神と呼ばれていた。 これが何年の旅だったかは明記されていないが、「正靖十二三の比、先考と共にここに遊ぶ、今…
3月30日に隅田川界隈を散策した話の続き。最終回。 peepooblue.hatenablog.com 台東区橋場の妙亀塚を見た後、浅草方面へ歩き、隅田川の河畔に出る。 カロライナジャスミンとスカイツリー。 スポーツセンターのプールで羽を休めるユリカモメ。 対岸の墨田区で…
3月30日に隅田川周辺を散策した話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 向島百花園を出て、子育地蔵堂前に戻る。ここから墨堤通りの東側に昔の墨堤の道が残っている。その堤に並行する下の道を行く。風情のある家並みが残っていて、まもなく白髭神社に行き当…
3月30日に浅草隅田川から向島にかけて隅田川周辺を散策した話のつづき。 peepooblue.hatenablog.com 墨田区向島の三囲神社をあとにさらに北へ行く。 「海抜0.3m」という表示がある。海抜は東京湾の平均海面からの高さであるから、満潮時には海面より低くな…
中目黒にある目黒川の船入場。目黒川を運河として水運に利用するため、船が入って来られるように昭和十二(1937)年に完成した。今は船が入ってくることはないが、ここまでは海水が遡上し、潮の干満の影響を受ける感潮域である。 船入場で見かけた水鳥たち。…
東京は今日も暖かな一日。20℃を超えた昨日ほどではなかったが、都心の最高気温は19.6℃。朝の最低気温も8.5℃。 昨日は庭で今年初めてヒキガエルを見たのだが、なぜか睡蓮鉢の中にいた。どうやって入ったのか、というか、登ったのか。侵入経路が謎である。とり…
昨日の東京はうららかな晴天だったが、今日は曇り空で、午後、雨も少し降ったりする。 鉢植えで育てているあんずの花が咲き始めた。梅とあんずの交雑種だといわれる豊後梅の花とそっくり。昨年は初めて1個だけ実がなり、シロップ漬けにしたのだったが、今年…
江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が文政三年三月四日(今の暦では1820年4月16日)に上目黒村(現在の目黒区上目黒)方面に散策に出かけた道筋を辿った話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 麻布十番からスタートして仙台坂を登り、南部坂を下り、広尾から祥…
江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)の日帰り旅日記のルートを辿るシリーズ。今回は目黒である。 江戸近郊道しるべ 現代語訳 (講談社学術文庫) 作者:村尾嘉陵 講談社 Amazon 江戸近郊道しるべ (東洋文庫0448) 作者:村尾嘉陵 平凡社 Amazon 「文政三年辰陰暦三月…
江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が文政十一(1828)年十月に新曾村(埼玉県戸田市新曽)にある妙顕寺に参詣した日帰り旅日記のルートを辿った話の続き。最終回。 peepooblue.hatenablog.com 目的地の妙顕寺に着き、娘の出産のために頂いていた安産の護符を…
江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が孫娘が無事に生まれ、母子ともに健康であることの御礼参りに新曾村(埼玉県戸田市新曽)の妙顕寺に参詣した道筋を辿った話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 有楽町線護国寺駅から歩きだして、中山道を北上し、戸田橋で…
江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が『江戸近郊道しるべ』に書き記した文政十一年十月十八日(今の暦では1828年11月24日)、孫娘が無事に生まれたお礼参りで新曾(にいぞ)村(埼玉県戸田市新曽)の妙顕寺に出かけた道筋を辿った話の続き。 peepooblue.hatena…
江戸の侍・村尾嘉陵(1760‐1841)が新曾村(埼玉県戸田市新曽)の妙顕寺に参詣した道筋を辿った話の続き。中山道の日本橋から二里目にあたる平尾一里塚(現存せず)までやってきたところから。 peepooblue.hatenablog.com この一里塚付近は明治維新の新政府…
江戸の侍・村尾正靖(号は嘉陵、1760‐1841)の江戸近郊日帰り旅の道筋を辿るシリーズ。今回は埼玉県戸田市まで足を延ばす。 文政十一年戊子十月十八日。今の暦では1828年11月24日。この日の日記の最後に「正やす時に六十七歳」と書かれているが、嘉陵は宝暦…
先日、江戸の侍、村尾嘉陵の江戸近郊散策記『江戸近郊道しるべ』の「志村に遊ぶ」の足跡を辿るため、板橋区の志村周辺に出かけた。最寄りは都営地下鉄三田線の志村坂上駅だが、あえて埼京線の板橋駅から旧中山道を歩いた。その時に通った中山道最初の宿場町…
江戸の侍、村尾正靖(1760‐1841、号は嘉陵)の江戸近郊散策記の足跡を辿るシリーズ。久々の今回は板橋区志村周辺である。 「文政元戊寅葉月十二日、志村に遊ぶ」 現代の暦では1818年9月12日、嘉陵は数えで五十九歳である。なお、この日の記録は現代語訳の「…
荒川区西日暮里の石仏散策の続き。 谷中から縄文時代には海だった東京低地に面した海食崖の上の尾根筋を続く諏訪台通りを行くと、左手に富士見坂がある。かつてはここから富士山が見え、「関東の富士見100景」にも選定されたが、マンションが建設されて見え…
街なかにひっそりとたたずむ石仏を探しながら歩くのは楽しいものだが、日本石仏協会編『石仏地図手帖・東京編』(1990年)という本を古書店で入手した。以前、図書館で手にした神奈川編を参考にして藤沢市から茅ヶ崎市にかけて道祖神などを見ながら歩いたこ…