1985-01-01から1年間の記事一覧

急行「だいせん1号」

9月8日、日曜日。西宮の祖父母宅で朝を迎え、弁当まで作ってもらって、9時前に出発。空は青く、今日も暑くなりそうだ。 まずは新大阪に出て、益田行きの急行「だいせん1号」(701D)に乗車。7両編成の古ぼけたディーゼルカーは9時42分に出発した。車内は…

がんばれ猛虎号

朝9時44分に大阪着、と書くと、早朝の新幹線で来たみたいだけれど、実は昨夜遅く東京を発ち、鈍行を乗り継ぎ、10時間以上もかけて、ようやく辿り着いたのである。このスピード時代にそんなバカなことをするのは珍種の人間に属するはずだが、それでも列車は満…

稚内から東京へ(3)

羊蹄丸の青森入港は未明の4時30分。 眠りから覚めて、窓越しに青森港の灯台が青く光っているのを目にした瞬間、自分はもう北海道にいないんだな、と思う。あの北の大地はまた遥か遠い憧れの地になってしまった。 接岸作業が完了してタラップが下りると、一…

稚内から東京へ(2)

北海道で迎える最後の朝がやってきた。昨夜の雪も止み、よい天気になった。気温は氷点下8度。もうこのぐらいではちっとも驚かない。なんだ、その程度か、ってな感じである。 そして、最後に神様からのプレゼント。ダイヤモンド・ダスト。窓辺に立って目を凝…

稚内から東京へ(1) 

昭和60年晩冬/早春の北海道旅行。東京を急行「十和田」で出発してから17日目の夕刻、最北の街・稚内に到達しました。あとはもう帰るだけ。ここでは稚内から東京までの長い道のりを列車と青函連絡船を乗り継いで3日がかりで帰った記録を紹介します。 ちょ…

北海道縦断 Part2(紋別〜稚内) 

身を切るような寒さの中、紋別流氷の宿ユースホステルのすぐ下の浜辺は静まり返っていた。オホーツク海に昇る日の出を拝もうと、同宿の仲間たちと一緒に早起きしたのである。明るさを増した海に波はなく、紋別港の赤色灯台は規則的に明滅している。 浜に置き…

北海道縦断 Part1(釧路〜紋別)

釧路から根室本線・池北線・石北本線・名寄本線・宗谷本線・天北線を経由して稚内へ至る2日がかりの旅の記録。 池北線 雪の朝、太平洋岸の釧路から極北の稚内をめざす。もっとも、一日では行けないので、今夜は紋別に泊まる予定。 釧路まきばユースホステル…

羅臼脱出記

さて、3月11日。車は国道を標津へ向かって走っていた。隣でハンドルを握っているのは40代ぐらいの網走で水産関係の仕事をしているという人。 バスで建根別方面へ向かうというFさんと別れ、僕はひとり羅臼の宿を出発し、街はずれで手を上げたら一台目で停まっ…

知床の海〜限りなく暗黒に近いブルー(3)

2日目の朝 一夜明けた羅臼はまた雪だった。昨日ほどの悪天候ではないが、天気はよくない。 日曜日ということで、地元の写真家なども来て、茶の間で宿のおじさんと談笑している。僕らも朝食の後、話に加わって、船が出るかどうか聞いてみると、いま様子を見…

知床の海〜限りなく暗黒に近いブルー(2) 

知床半島の羅臼に行けば、越冬のために北から渡ってきた多数のオオワシやオジロワシを見ることができる、ユースホステルで出してくれる船に乗れば流氷の海でトドやアザラシの姿を目にすることもできる、という噂を聞きつけて、羅臼へやってきた。僕にとって…

知床の海〜限りなく暗黒に近いブルー(1)

1985年の早春に北海道を旅した時のこと。北海道の知床半島と網走の間にある浜小清水のユースホステルで、同宿者から、知床の羅臼にはオオワシやオジロワシがそれこそカラス並みにたくさんいて、また、羅臼のユースホステルでは流氷の海に船を出してくれてト…

根室本線最果て紀行

昭和60(1985)年3月1日、札幌発釧路行きの夜行急行「まりも3号」の寝台で目を覚ます。よく眠ったと思った。 ブラインドの隙間から覗くと、外はすでに白々と明るい。荒涼とした原野を走っており、まだ色彩を持たない太平洋が静かに打ち寄せている。同じ北海…

深名線の旅

今は存在しない旧国鉄・深名線の旅の記録。 北海道の数あるローカル線の中でも酷寒、豪雪、ついでに超過疎地帯を走る深名線に乗るべく、札幌11時半発の稚内行き急行「天北」に乗車。3時間以上かけて名寄までやってきた。14時39分到着。 深名線の列車は名寄…

北海道への旅(1985.2.25〜26)

1985年の晩冬から早春にかけての北海道旅行のプロローグ。上野発青森行きの急行「十和田」号と青函連絡船「摩周丸」の旅の記録。 2月末の寒い夜、上野駅。電車が着くたびに人々は競って乗り込み、家路を急ぐ。そんなラッシュの喧騒から少し離れて立っている…