ウォーキング

伊勢原から厚木まで歩く(その3)

2月12日に神奈川県の伊勢原市から厚木市にかけて歩いた話の続き。日向薬師から薬師林道を通って厚木市の七沢温泉までやってきた。 peepooblue.hatenablog.com peepooblue.hatenablog.com 梅の咲く七沢の山里風景。ここには古い社寺や室町時代に存在した七沢…

伊勢原から厚木まで歩く(その2)

2月12日に神奈川県の伊勢原市から厚木市にかけて歩いた話の続き。小田急線の伊勢原駅から1時間半歩いて日向薬師に着いたところから。 peepooblue.hatenablog.com 本堂の仏像を拝んだ後、隣の宝殿も300円払って拝観。ここにある仏像は関東でも屈指のものだろ…

伊勢原から厚木まで歩く(その1)

昨日(2月12日)の話。多摩丘陵あたりを歩いてこようと思って小田急線に乗り、途中で気が変わって伊勢原まで行く。ここから日向薬師まで歩き、さらに厚木市の七沢方面に抜けて、本厚木駅まで歩いてみようと思う。 伊勢原駅から日向薬師までは8キロ弱あり、…

上野原市川合の庚申石祠と「山梨のマチュピチュ」

山梨県大月市の梁川駅から上野原市の四方津駅まで石仏をみて歩いた話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 梁川町の立野と新倉に残る髷を結った男女の双体道祖神(ちょんまげ道祖神)を訪ね、とりあえず今回の目的はほぼ達したが、今回参考にした庚申懇話会監…

大月市梁川の「ちょんまげ道祖神」を見に行く(その2)

1月5日に山梨県大月市の梁川周辺にあるという通称「ちょんまげ道祖神」を見に出かけた話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 梁川町立野の「ちょんまげ道祖神」を拝んで、次は梁川町綱之上の全昌寺に向かう。 梁川駅前から甲州街道を東京方面へ歩く。 中央…

大月市梁川の「ちょんまげ道祖神」を見に行く(その1)

山梨県大月市の梁川駅付近に「ちょんまげ道祖神」と呼ばれる双体道祖神があるというので、それを見たいと思い、昨日(5日)、出かけてきた。 高尾から10時17分発の中央本線大月行きに乗り、少し遅れていたので、10時44分の定刻より数分遅れて5駅目の梁川に…

高尾山から相模湖へ(後編)

昨日(12月3日)、高尾山方面へ出かけた話の続き。 高尾山頂から小仏城山まで歩き、ここで昼食タイム。その後、12時50分に東海自然歩道を神奈川県側へ下り始める。初めて歩く道。 途中、ちょっと険しい区間もあったが、全体としてはよく整備された歩きやすい…

高尾山から相模湖へ(前編)

山歩きがしたくなり、一番手近な高尾山にまた行ってきた。 山の紅葉シーズンもほぼ終わりに近づき、大混雑も少しは落ち着いているかと思ったのだが、高尾山口駅前はやはり人出が多い。 今回は沢沿いの6号路を行く。もう歩きなれた道だ。登り始めは空気が少…

嘉陵紀行「谷原村長命寺道くさ」を辿る(その3)

江戸の侍・村尾正靖(号は嘉陵、1760-1841)が文化十二年九月八日(1815年10月10日)に仲間四人とともに谷原村の長命寺(練馬区高野台)まで出かけた道筋を辿った話の続き。 旧江戸城の清水門から歩き出し、練馬までやってきた。千川通り、目白通りと昔は「…

嘉陵紀行「谷原村長命寺道くさ」を辿る(その2)

江戸の侍・村尾嘉陵が文化十二年九月八日(1815年10月10日)に仲間4人と連れ立って、今の練馬区高野台にある長命寺に出かけた道筋を辿った話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 江戸城の清水門をスタートして、牛込見附跡、神楽坂、江戸川橋、目白坂、雑司…

嘉陵紀行「谷原村長命寺道くさ」を辿る(その1)

江戸の侍・村尾正靖(号は嘉陵、1760-1841)の江戸近郊散策記のルートを辿るシリーズ。今回の行き先は練馬区高野台(昔の豊島郡谷原村)にある長命寺。弘法大師空海の霊場・紀州高野山を模して創建されたため、東高野山、新高野山と呼ばれる真言宗の寺である…

嘉陵紀行「石神井の道くさ」を辿る(その3)

江戸の侍・村尾正靖(号は嘉陵、1760-1841)が文政五(1822)年の秋に石神井村へ出かけた時の道筋を歩いてみた話の続き。目白駅から目白通り、新青梅街道を歩き、杉並区井草二丁目(昔の多摩郡下井草村)で旧早稲田通りにぶつかったところから。 peepooblue.…

嘉陵紀行「石神井の道くさ」を辿る(その2)

江戸の侍・村尾嘉陵が江戸から石神井村まで出かけた話の続き。江古田村(今の中野区江古田)の田園地帯にあった豆腐屋の店先で持参の弁当を食べたところから。 peepooblue.hatenablog.com 田圃の南側には林が連なり、その向こうは上高田村だと教えられたが、…

嘉陵紀行「石神井の道くさ」を辿る(その1)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)の江戸近郊散策日記の道筋を辿るシリーズ。今回は練馬区の石神井である。東京以外の人たちにとっては意外に難読地名かもしれないが、これで「しゃくじい」と読む。 時は文政五年九月十一日頃。日付の後に「頃」がついている…

嘉陵紀行「阿佐谷村神明宮道の記」を辿る

江戸の侍・村尾正靖(1760-1841、号は嘉陵)の江戸近郊散策記の道筋を辿るシリーズ。久しぶりの今回は杉並区阿佐ヶ谷である。昔の多摩郡阿佐ヶ谷村。40年前まで母方の祖父母が住んでいたので、馴染みの町でもある。 嘉陵は文政九年十月四日(1826年11月3日)…

碓氷峠を横川から軽井沢まで歩く(その4)

9月9日に「青春18きっぷ」で群馬県の横川まで行き、信越本線の廃線跡を旧熊ノ平駅跡まで歩いた。ここから先、軽井沢までバスに乗るつもりだったが、道路が通行止めでバスが来ない。先へ進む手段がなく、一度は引き返そうかと思ったが、通行止めの原因は…

碓氷峠を横川から軽井沢まで歩く(その3)

9月9日(土)に旧信越本線の横川~軽井沢に残る廃線跡を歩いた話の続き。 かつてギザギザの歯が付いたラックレールに機関車の歯車と噛み合わせて急勾配を上り下りしていたアプト式の旧線跡を歩き続け、横川から6キロ。第十号トンネルの向こうに旧熊ノ平駅…

碓氷峠を横川から軽井沢まで歩く(その2)

9月9日(土)に群馬県方面に出かけた話の続き。 横川駅から信越本線の廃線跡を整備した「アプトの道」を歩き、いよいよ旧線跡を歩き出したところから。 歩き出して、まもなく北原白秋の歌碑がある。 何と書いてあるのか、読めないのだが、松井田町による解説…

碓氷峠を横川から軽井沢まで歩く(その1)

使用期限が9月10日までの「青春18きっぷ」があと1日分残っているので、9日(土)に出かけてきた。まだ台風13号の影響があちこちに残っていて、多少心配もあるが、記録的な豪雨で鉄道が止まっている千葉県や茨城県は避けて、山の方へ出かけようと思う。久…

八王子城跡探訪(3)

関東における戦国時代最後の激戦地となった八王子城跡を探訪した話の続き。城山山頂部の要害を見て回り、山を下ってきたところから。 peepooblue.hatenablog.com peepooblue.hatenablog.com 登山道入り口には管理棟などがあるが、この平坦地も曲輪(くるわ)…

八王子城跡探訪(2)

八王子城跡のある八王子城山に登った話の続き。標高446メートル(460メートルと書いてある資料もあり)の山頂の本丸跡に着いたところから。 天正十八(1590)年六月二十三日の午前二時過ぎに開始された前田利家・上杉景勝連合軍による攻撃は守る北条軍だけで…

八王子城跡探訪(1)

高尾山の北方にある戦国時代の山城、八王子城の趾を訪ねる。小田原を拠点に関東一円を支配した北条氏の4代目当主、北条氏政の弟、氏照が築いた城である。 高尾駅からバスがあるが、歩いても大したことはないだろう、と駅から歩く。 高尾駅京王線ホームから…

新緑の御岳山(その1)

先日、高尾山に行ったばかりだが、また新緑の山歩きがしたくて、5月4日に奥多摩の御岳山に行ってきた。混雑は覚悟の登山。 家を出て、駅まで歩く途中、なんとキビタキのさえずりが聞こえてきた。渡りの途中で立ち寄ったのだろう。自宅周辺では初めて聞いた…

嘉陵紀行「羽沢氷川・渋谷八幡・伊勢野 道の枝折」を辿る(後編)

江戸の侍・村尾嘉陵が渋谷付近の寺社を訪ねて歩いた道筋を実際に徒歩で辿る話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 嘉陵は渋谷最古といわれる氷川神社に参拝した後、別当寺の宝泉寺へも立ち寄っている。 (氷川神社の)大門の東、林をへだてて薬師堂、其こな…

嘉陵紀行「羽沢氷川・渋谷八幡・伊勢野 道の枝折」を辿る(前編)

江戸の侍・村尾正靖(嘉陵)の江戸近郊日帰り旅の道筋を辿るシリーズ。しつこく続くが、まだまだ続く予定である。こうして東京都内の知らない町を歩いていると、いろいろな発見があって、もちろん大した発見ではないが、実に面白い。 今回は麻布から渋谷にか…

嘉陵紀行「半田いなり詣の記」を辿る(その3)

江戸の侍・村尾嘉陵が江戸の浜町の自宅から今の葛飾区東金町にある半田稲荷に参詣した日帰り旅の道筋を辿る話のつづき。 peepooblue.hatenablog.com peepooblue.hatenablog.com 飯塚村(今の葛飾区西水元)にあった夕顔観音堂を訪れた後、嘉陵は地元の人に教…

嘉陵紀行「半田いなり詣の記」を辿る(その2)

江戸の侍・村尾正靖(1760-1841、号は嘉陵)が文化十四年六月十五日(1817年7月28日)に浜町の家から今の葛飾区東金町にある半田稲荷に参詣した日帰り旅のルートを辿った話の続き。僕は浅草から歩き出し、東京スカイツリーの下から曳舟川跡の曳舟川通りをま…

嘉陵紀行「半田いなり詣の記」を辿る(その1)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)の江戸近郊日帰り徒歩旅行の足跡を辿るシリーズの第四弾。今回は江戸の東郊を歩き、現在の葛飾区東金町にある半田稲荷神社を参拝する。東京と千葉の都県境まで行くので、けっこうな長丁場である。 時は文化十四年水無月十五…

嘉陵紀行「千束の道しるべ」を辿る(その3)

村尾嘉陵(1760-1841)の紀行「千束の道しるべ」で彼が歩いた道を辿っている。彼が出かけたのは文政十一年七月二日、今の暦だと1828年8月12日である。この時、嘉陵は六十九歳。 peepooblue.hatenablog.com peepooblue.hatenablog.com 当初の目的地だった中延…

嘉陵紀行「千束の道しるべ」を辿る(その2)

文政十一年七月二日(1828年8月12日)、江戸の侍・村尾嘉陵が三番町の自宅から洗足池(千束池)まで歩いた日帰り旅の記録「千束の道しるべ」の足跡を辿っている。 江戸城下から虎ノ門を出て、今の桜田通りを歩き、三田、高輪と丘の上の旧街道を行き、雉子宮…