ウォーキング

小湊鉄道沿線を歩く(その4)

6月30日(日)に千葉県のローカル私鉄、小湊鉄道の沿線を旅した話の続き。 月崎駅から養老渓谷駅まで歩くつもりだったが、途中区間が土砂崩れで通行止めになっており、中間駅の上総大久保からまた月崎駅方面に別ルートで歩いて戻ることにした。 トンボが飛び…

小湊鉄道沿線を歩く(その3)

6月30日に千葉県の小湊鉄道の沿線を旅した話のつづき。月崎駅で下車して、市原市田淵の養老川沿いの崖に露出したチバニアンの地層(地磁気逆転地層)を見学したところから。 チバニアンビジターセンターをあとに月崎駅とは逆方向に歩き出す。このまま養老渓…

小湊鉄道沿線を歩く(その2)

今日の東京は都心の最高気温が35.0℃まで上昇し、今年初めての猛暑日となる。 6月30日に千葉県のローカル線、小湊鉄道の沿線を歩いた話の続き。月崎駅で下車し、約2キロ歩いて、チバニアンビジターセンターに着いたところから。 peepooblue.hatenablog.com …

小湊鉄道沿線を歩く(その1)

毎年、今ごろの季節になると、千葉県の小湊鉄道に乗りたくなる。というより、沿線の田舎道を歩きたくなる。ということで、今年も6月30日、日曜日に行ってきた。 千葉県市原市の五井駅を起点に房総半島の内陸部に分け入る39.1キロのローカル線、小湊鉄道の沿…

高尾山3号路で初夏の花ウォッチング

昨年のこの時季に高尾山で見たギンリョウソウの奇妙な姿などが心に浮かんで、もう何度も登った高尾山にまた出かけてきた。 高尾山口駅前を流れる案内川ではカジカガエルが鳴いている。姿を見たいと思ったが、見つけられず。 1号路を登り、3号路に入る。初…

嘉陵紀行「南郊看花記」を辿る(その5)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)が文政二年三月二十五日(1819年4月20日)に江戸南郊の桜を見て歩いた日帰り旅の足跡を辿っている。 peepooblue.hatenablog.com 昔の大井村の鎮守・鹿島神社の向かい側にあった名主・大野五蔵邸(品川区大井7-4)の桜を観た…

嘉陵紀行「南郊看花記」を辿る(その4)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)が江戸南郊の桜を見て歩いた日帰り旅の足跡を辿っている。 peepooblue.hatenablog.com 嘉陵は途中で知り合った大日向民右衛門と一緒に品川の御殿山から東海寺をめぐり、さらに南へと足を進める。 当時は東海寺境内を横切るよ…

嘉陵紀行「南郊看花記」を辿る(その3)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)の江戸近郊散策日記『江戸近郊道しるべ』の「南郊看花記」のルートを辿っている。文政二年三月二十五日(1819年4月20日)、嘉陵が六十歳の春の記録である。 peepooblue.hatenablog.com peepooblue.hatenablog.com 高輪・泉岳…

嘉陵紀行「南郊看花記」を辿る(その2)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)が文政二年三月二十五日(1819年4月20日)に江戸の南郊を花見をしながら散策したルートを辿った話の続き。 愛宕下通りから切通し坂を経て、増上寺境内に入り、山内の桜を愛でながら、南の赤羽門を抜け、赤羽橋を渡って、今の…

嘉陵紀行「南郊看花記」を辿る(その1)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)の江戸近郊日帰り旅のルートを辿るシリーズ。今回は江戸南郊の桜を見て歩いた記録である。当然、僕も桜の季節に歩くべきであったが、この日の記録を読むと、江戸からあちこちに立ち寄りながら池上本門寺まで歩いていて(もち…

嘉陵紀行「小日向道永寺・柏木村円照寺 桜のつと」を辿る(後編)

江戸の侍・村尾正靖(1760-1841、号は嘉陵)の江戸近郊日帰り旅の記録『江戸近郊道しるべ』のコースを辿るシリーズ。今回は今の文京区小日向にある道栄寺から新宿区北新宿(旧柏木村)の円照寺まで歩く。タイトルで「小日向道永寺」となっているのは誤りであ…

嘉陵紀行「小日向道永寺・柏木村円照寺 桜のつと」を辿る(前編)

江戸の侍・村尾正靖(1760-1841、号は嘉陵)の江戸近郊日帰り旅の道筋を辿るシリーズ。久々の今回は今の文京区から新宿区にかけて桜の季節に歩いた話。 「文政三年辰の弥生十日、小日向はとり坂の上に、道永寺といふてらあり、その庭に、よき花ありと聞て、…

旧甲州街道・春景色

3月31日に高尾山に登った話の続き。高尾山から小仏城山、日影林道を通って裏高尾へ下ってきた。 最寄りの日影バス停には十数人のハイカーがバスを待っていたが、僕は素通りする。 バスに乗るよりは旧街道の面影を残す道をのんびり歩く方が断然楽しい。高尾駅…

小仏城山~日影林道

3月31日に高尾山に登ってきた話の続き。 高尾山頂では休む場所もないので、すぐに奥高尾方面へ向かう。まだ3月だというのに、かなり暑く感じる。 これはダンコウバイ(檀香梅)かな。 一丁平で休憩を、と考えていたが、木陰のベンチはほとんど塞がっている…

春爛漫の高尾山

東京で3月としては観測史上1位となる28.1℃を記録し、初夏の陽気となった3月31日、高尾山に登ってきた(高尾山がある八王子市では28.2℃)。 桜が咲き始めたケーブルカーの清滝駅前。 まずは琵琶滝まで6号路を歩く。古くから修験の山であった高尾山の水行道…

初夏の陽気の3月31日

きょうで3月もおしまい。東京は都心の最高気温が28.1℃と7月上旬並みの暑さ。3月としては観測史上最高を更新する高温。郊外の府中市では28.6℃。 また高尾山に登ってきた。今回は6号路で琵琶滝まで行き、そこから1号路のケーブルカー駅まで登って、3号路…

伊勢原から厚木まで歩く(その3)

2月12日に神奈川県の伊勢原市から厚木市にかけて歩いた話の続き。日向薬師から薬師林道を通って厚木市の七沢温泉までやってきた。 peepooblue.hatenablog.com peepooblue.hatenablog.com 梅の咲く七沢の山里風景。ここには古い社寺や室町時代に存在した七沢…

伊勢原から厚木まで歩く(その2)

2月12日に神奈川県の伊勢原市から厚木市にかけて歩いた話の続き。小田急線の伊勢原駅から1時間半歩いて日向薬師に着いたところから。 peepooblue.hatenablog.com 本堂の仏像を拝んだ後、隣の宝殿も300円払って拝観。ここにある仏像は関東でも屈指のものだろ…

伊勢原から厚木まで歩く(その1)

昨日(2月12日)の話。多摩丘陵あたりを歩いてこようと思って小田急線に乗り、途中で気が変わって伊勢原まで行く。ここから日向薬師まで歩き、さらに厚木市の七沢方面に抜けて、本厚木駅まで歩いてみようと思う。 伊勢原駅から日向薬師までは8キロ弱あり、…

上野原市川合の庚申石祠と「山梨のマチュピチュ」

山梨県大月市の梁川駅から上野原市の四方津駅まで石仏をみて歩いた話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 梁川町の立野と新倉に残る髷を結った男女の双体道祖神(ちょんまげ道祖神)を訪ね、とりあえず今回の目的はほぼ達したが、今回参考にした庚申懇話会監…

大月市梁川の「ちょんまげ道祖神」を見に行く(その2)

1月5日に山梨県大月市の梁川周辺にあるという通称「ちょんまげ道祖神」を見に出かけた話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 梁川町立野の「ちょんまげ道祖神」を拝んで、次は梁川町綱之上の全昌寺に向かう。 梁川駅前から甲州街道を東京方面へ歩く。 中央…

大月市梁川の「ちょんまげ道祖神」を見に行く(その1)

山梨県大月市の梁川駅付近に「ちょんまげ道祖神」と呼ばれる双体道祖神があるというので、それを見たいと思い、昨日(5日)、出かけてきた。 高尾から10時17分発の中央本線大月行きに乗り、少し遅れていたので、10時44分の定刻より数分遅れて5駅目の梁川に…

高尾山から相模湖へ(後編)

昨日(12月3日)、高尾山方面へ出かけた話の続き。 高尾山頂から小仏城山まで歩き、ここで昼食タイム。その後、12時50分に東海自然歩道を神奈川県側へ下り始める。初めて歩く道。 途中、ちょっと険しい区間もあったが、全体としてはよく整備された歩きやすい…

高尾山から相模湖へ(前編)

山歩きがしたくなり、一番手近な高尾山にまた行ってきた。 山の紅葉シーズンもほぼ終わりに近づき、大混雑も少しは落ち着いているかと思ったのだが、高尾山口駅前はやはり人出が多い。 今回は沢沿いの6号路を行く。もう歩きなれた道だ。登り始めは空気が少…

嘉陵紀行「谷原村長命寺道くさ」を辿る(その3)

江戸の侍・村尾正靖(号は嘉陵、1760-1841)が文化十二年九月八日(1815年10月10日)に仲間四人とともに谷原村の長命寺(練馬区高野台)まで出かけた道筋を辿った話の続き。 旧江戸城の清水門から歩き出し、練馬までやってきた。千川通り、目白通りと昔は「…

嘉陵紀行「谷原村長命寺道くさ」を辿る(その2)

江戸の侍・村尾嘉陵が文化十二年九月八日(1815年10月10日)に仲間4人と連れ立って、今の練馬区高野台にある長命寺に出かけた道筋を辿った話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 江戸城の清水門をスタートして、牛込見附跡、神楽坂、江戸川橋、目白坂、雑司…

嘉陵紀行「谷原村長命寺道くさ」を辿る(その1)

江戸の侍・村尾正靖(号は嘉陵、1760-1841)の江戸近郊散策記のルートを辿るシリーズ。今回の行き先は練馬区高野台(昔の豊島郡谷原村)にある長命寺。弘法大師空海の霊場・紀州高野山を模して創建されたため、東高野山、新高野山と呼ばれる真言宗の寺である…

嘉陵紀行「石神井の道くさ」を辿る(その3)

江戸の侍・村尾正靖(号は嘉陵、1760-1841)が文政五(1822)年の秋に石神井村へ出かけた時の道筋を歩いてみた話の続き。目白駅から目白通り、新青梅街道を歩き、杉並区井草二丁目(昔の多摩郡下井草村)で旧早稲田通りにぶつかったところから。 peepooblue.…

嘉陵紀行「石神井の道くさ」を辿る(その2)

江戸の侍・村尾嘉陵が江戸から石神井村まで出かけた話の続き。江古田村(今の中野区江古田)の田園地帯にあった豆腐屋の店先で持参の弁当を食べたところから。 peepooblue.hatenablog.com 田圃の南側には林が連なり、その向こうは上高田村だと教えられたが、…

嘉陵紀行「石神井の道くさ」を辿る(その1)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)の江戸近郊散策日記の道筋を辿るシリーズ。今回は練馬区の石神井である。東京以外の人たちにとっては意外に難読地名かもしれないが、これで「しゃくじい」と読む。 時は文政五年九月十一日頃。日付の後に「頃」がついている…