歴史

嘉陵紀行「千束の道しるべ」を辿る(その1)

江戸の侍・村尾嘉陵の紀行『江戸近郊道しるべ』を手にその足跡を辿るシリーズの第三弾。今回は「千束の道しるべ」である。大田区の洗足池まで行くので、けっこうな距離がある。 文政十一年文月二日(1828年8月12日)、六十九歳の嘉陵は中延村の八幡宮に参拝…

村尾嘉陵の旧宅跡

江戸の侍・村尾正靖(1760-1841、号は嘉陵)が残した江戸近郊散策記の足跡を辿るシリーズ。これまで井の頭弁財天、代々木八幡宮の旅のルートを江戸時代の風景に思いを馳せながら実際に歩いてみたが、第三弾の前にスタート地点である彼の自宅跡を訪ねてみた。…

村尾嘉陵「代々木八幡宮道の枝折」を辿る(その2)

江戸の侍・村尾嘉陵が代々木八幡宮に参詣した道筋を辿る話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 渋谷区代々木五丁目の代々木八幡宮と隣接する別当寺院の福泉寺参拝を終えた嘉陵は往路とは異なる道筋で帰路につく。そのルートは以下の通り。 南出の門を出れば…

村尾嘉陵「代々木村八幡宮道の枝折」を辿る(その1)

今から二百年ほど前、江戸近郊の散策記録を後世に残した侍・村尾正靖(号は嘉陵、1760-1841)の紀行を辿るシリーズの第二弾。いつの間にかシリーズ化しているが、それぐらい面白い。ただ、日帰りなのに、ものすごい距離を歩くので、その足跡を実際に辿るのは…

村尾嘉陵の墓

正月に麻布十番に母方の祖父母の墓参りに出かけたついでに南麻布の西福寺を訪ねる。古川橋に近い明治通りに面した浄土真宗の寺である。 ここに『江戸近郊道しるべ』を書いた江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)の墓があるらしい。 本堂に向かって左手に墓が並ん…

村尾嘉陵「井の頭紀行」を辿る(その3)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)が文化十八年九月十五日(1816年11月4日)に井の頭弁才天に参詣した道筋を辿った話の3回目。たぶん最終回。杉並区の古社・大宮八幡宮に参拝したところから。 peepooblue.hatenablog.com peepooblue.hatenablog.com 「今日は…

村尾嘉陵「井の頭紀行」を辿る(その2)

前回の投稿からだいぶ間があいてしまったが、江戸の侍・村尾正靖(嘉陵)が文化十三年九月十五日(1816年11月4日)、井の頭弁才天まで出かけた道筋を辿る話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 嘉陵は堀ノ内村(杉並区堀ノ内)にある「厄除け祖師」で有名な…

村尾嘉陵「井の頭紀行」を辿る(その1)

江戸時代後期の侍・村尾正靖(1760-1841、号は嘉陵)が江戸の郊外のあちこちを歩いて旅した記録『江戸近郊道しるべ』については過去に記事を書いた。 peepooblue.hatenablog.com 村尾正靖は徳川御三卿の清水家に仕えた幕臣で、多忙な日常に追われながらも、…

武蔵国府の国司館跡

古代の武蔵国府が置かれた東京・府中市。その全容を解明すべく地道な発掘作業が継続的に行われているが、大國魂神社の西側に都から派遣された国司の居館兼執務室があったことが判明し、最近、史跡として整備された。 何やら儀式が行われていた。 というのは…

『廻国雑記』の道興准后は半沢のどこに泊まったのか?

先日、「『廻国雑記』の道興准后は小野路を通ったのか?」という記事を書いた。 peepooblue.hatenablog.com 道興准后(どうこうじゅごう、1430-1501or1527)とは室町時代の僧侶である。関白・近衛房嗣の子として生まれ、修験道本山派の総本山、京都・聖護院…

木曽の一里塚

町田市木曽西にある「木曽一里塚」。 町田市内では小野路と木曽に残る一里塚。同じ街道沿いにあり、双方の距離が一里(約4キロ)ということになる。 元和3(1617)年、前年に駿府で死去した徳川家康を日光東照宮へ改葬すべく、仮埋葬していた久能山から遺…

『廻国雑記』の道興准后は小野路を通ったのか?

先日、町田市の古い宿場町・小野路を訪れた後、ちょっと気になった、というか、関心を持ったこと。 道興准后は小野路を通ったのか? 道興准后(どうこうじゅごう)とは室町時代の僧侶である。1430年に関白・近衛房嗣の子として生まれ、幼くして仏門に入り、…

世田谷区大蔵5丁目の地蔵尊と庚申塔

世田谷区大蔵5丁目に仙川に面して立つ地蔵尊と2体の庚申塔がある。 現在、近くで東名自動車道と東京外環自動車道のジャンクションが建設中で、そのジャンクションと世田谷通りを結ぶ道路の建設計画も進行中。それがちょうどこの場所を通るらしく、お地蔵さ…

79年前の12月8日の日記

12月8日。26年前に亡くなった母方の祖母の誕生日で、健在なら109歳だが、世間的にはジョン・レノンが亡くなって40年というのが話題になっている。あの日、学校から帰宅したら、夕刊のトップで報じられていたという記憶はあるが、当時はジョン・レノンやビー…

藤蔵と勝五郎の道を歩く(2)

いまから200年ほど前の江戸時代に多摩地方で実際にあったと伝わる生まれ変わりの物語。前記事では「藤蔵と勝五郎の道を歩く」と題しながら一歩も進まなかったが、ここからいよいよ歩き出します。 今回のスタート地点は京王相模原線の南大沢駅。多摩ニュータ…

藤蔵と勝五郎の道を歩く(1)

「自分」という存在は物理的な「肉体」と非物理的な「魂」(心、意識、精神)から成り立っている。両者は常に一体なのだろうか。肉体の誕生とともに魂も芽生え、肉体の死とともに魂も滅びるのだろうか。肉体が一回限りの存在であるのと同じように、魂も一回…

高幡不動駅から多摩動物公園まで歩く(2)

京王線の高幡不動駅から多摩動物公園まで歩いた話。2キロにも満たない距離で、簡単に終わるはずだったが、いろいろ調べてみたら、勝五郎の生まれ変わり物語という不思議すぎる話が出てきて、予想以上に面白いことになってきた。藤蔵と勝五郎の話はまたその…

高幡不動駅から多摩動物公園まで歩く(1)

現在、多摩動物公園の最寄り駅といえば、言うまでもなく京王線および多摩モノレールの多摩動物公園駅である。しかし、多摩動物公園が1958年5月5日に開園した当時、2000年開業の多摩モノレールはもちろん、京王動物園線もまだ存在せず、動物園に一番近い駅は…

岡本隧道

今日の東京は晴れたものの、午後から暴風に近い強風が吹き荒れ、東京の最大瞬間風速は24.3mに達したそうだ。夜には静まる。 きのう訪れた岡本民家園の敷地内、古民家の裏手に不思議なものがある。 立ち入りできないように封鎖されたトンネル。岡本隧道。下部…

84年前の日記

今日の東京は最高気温が9.4℃。朝まで雨で、その後も曇り空。久々に冬が戻ってきた。 2月26日。今から84年前(昭和11年)のこの日の祖母の日記が手元にある。 「終日雪が降り積る。 帝都一大不祥事の日。 岡田、斎藤、渡辺等の重臣即死。直ちに軍事警備が施行…

府中崖線&国分寺崖線サイクリング

午後からサイクリング。 いつものように成城から野川沿いを走り、ダイサギやコサギを見かける。 今日はすぐに野川から離れて狛江方面へ。そして、府中崖線沿いに府中まで行く。 多摩川が何万年もかけて武蔵野台地を削って形成した河岸段丘。多摩川沿いの沖積…

多摩川・登戸の渡し跡

多摩川をはさんだ東京都狛江市和泉(昔の多摩郡和泉村)と神奈川県川崎市多摩区登戸(昔の橘樹郡登戸村)を結んでいたのが登戸の渡し。江戸から世田谷、喜多見、狛江を通る津久井往還が通っていた。 旧街道が多摩川の土手に出るところ。 多摩川の流路は時代…

三軒茶屋の道標

現在の国道246号線は都心部では青山通り、渋谷以西では玉川通りなどと呼ばれるが、その元となった道は昔、矢倉沢往還と呼ばれていた。矢倉沢とは箱根の北にある足柄峠の麓にあった関所の所在地である。古代の東海道は箱根峠ではなく足柄峠を越えていたのだ。…

常盤伝説

世田谷に残る伝説に常盤の悲話がある。江戸時代の『名残常盤記』に書かれた話で、写本によりいくつかのヴァリエーションがあるものの、大体こんな感じである。 戦国時代の世田谷領主だった吉良氏(足利氏の支族)の第7代・吉良頼康には13人の側室がいたとい…

縄文の村

小田急と京王の多摩センター駅近くで電車から見える「縄文の村」というのが前から気になっていたのだが、実際に行ってみた。 まず東京都埋蔵文化財センターを見学(入館無料)。旧石器時代から人が暮らしていた多摩ニュータウンの丘陵地で発掘された遺跡の出…

ラスコー展

国立科学博物館で開催中の特別展「世界遺産ラスコー展」に行ってきた。 現生人類(ホモサピエンス)の直接の祖先であるクロマニョン人がおよそ2万年前にフランス南西部にあるラスコー洞窟に残した壁画を洞窟壁面の形状も含めて実物大で精密に再現。まさに本…

「春の小川」記念碑

1912年に発表された文部省唱歌「春の小川」はかつて東京・渋谷区を流れていた小川がモデルになっているというのはわりとよく知られた話だろう。正確には渋谷のど真ん中を流れる渋谷川の支流・宇田川のさらに支流の小さな流れがモデルとされ、その小川はコウ…

日本人の歴史

上野にある国立科学博物館に各時代の日本人の姿と生活がリアルに再現されている。 沖縄で発見された旧石器時代の港川人。 日本列島は酸性の火山灰土壌に覆われていて、旧石器時代以前の古い人骨は溶けてしまい、ほとんど残っていない。わずかに石灰岩の地層…

ネアンデルタール人

最近聞いた話。 最新の研究によると、日本人や中国人など東アジア人はネアンデルタール人の遺伝子をヨーロッパ人よりも多く受け継いでるらしい。 (国立科学博物館にあるネアンデルタール人の骨格標本と復元模型) はるか遠い昔、ヨーロッパを中心に西アジア…