寺社めぐり

伊勢原から厚木まで歩く(その3)

2月12日に神奈川県の伊勢原市から厚木市にかけて歩いた話の続き。日向薬師から薬師林道を通って厚木市の七沢温泉までやってきた。 peepooblue.hatenablog.com peepooblue.hatenablog.com 梅の咲く七沢の山里風景。ここには古い社寺や室町時代に存在した七沢…

伊勢原から厚木まで歩く(その2)

2月12日に神奈川県の伊勢原市から厚木市にかけて歩いた話の続き。小田急線の伊勢原駅から1時間半歩いて日向薬師に着いたところから。 peepooblue.hatenablog.com 本堂の仏像を拝んだ後、隣の宝殿も300円払って拝観。ここにある仏像は関東でも屈指のものだろ…

伊勢原から厚木まで歩く(その1)

昨日(2月12日)の話。多摩丘陵あたりを歩いてこようと思って小田急線に乗り、途中で気が変わって伊勢原まで行く。ここから日向薬師まで歩き、さらに厚木市の七沢方面に抜けて、本厚木駅まで歩いてみようと思う。 伊勢原駅から日向薬師までは8キロ弱あり、…

江戸のアイドル「笠森お仙」(後編)

江戸時代に谷中の笠森稲荷門前にあった水茶屋「鍵屋」の看板娘で、浮世絵師・鈴木春信(1725?-70)の錦絵に描かれて、瞬く間に江戸っ子のアイドルとなったお仙(1751-1827)にまつわる史跡を歩く。「かさもり稲荷」は現在、谷中界隈に三か所あり、それぞれに…

江戸のアイドル「笠森お仙」(前編)

町歩きをする時、あてもなくぶらぶらと歩くのも楽しいけれど、何かテーマをもって歩くのも面白い。江戸に関する本を読んでいて、たまたま目に留まったのが、江戸時代のアイドル「笠森お仙」。谷中の茶店の看板娘で、現代のアイドルに通じるような人気者にな…

新春の豪徳寺

初詣の賑わいが落ち着いた1週間前(1月8日)の豪徳寺。近年は招き猫目当ての外国人観光客が激増していて、奉納された招き猫が片付けられることもなく、どんどん増える一方である。 招福観音堂の正面にまで猫が進出していた。 三重塔には十二支の彫刻があ…

大月市梁川の「ちょんまげ道祖神」を見に行く(その2)

1月5日に山梨県大月市の梁川周辺にあるという通称「ちょんまげ道祖神」を見に出かけた話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 梁川町立野の「ちょんまげ道祖神」を拝んで、次は梁川町綱之上の全昌寺に向かう。 梁川駅前から甲州街道を東京方面へ歩く。 中央…

大月市梁川の「ちょんまげ道祖神」を見に行く(その1)

山梨県大月市の梁川駅付近に「ちょんまげ道祖神」と呼ばれる双体道祖神があるというので、それを見たいと思い、昨日(5日)、出かけてきた。 高尾から10時17分発の中央本線大月行きに乗り、少し遅れていたので、10時44分の定刻より数分遅れて5駅目の梁川に…

嘉陵紀行「谷原村長命寺道くさ」を辿る(その4)

江戸の侍・村尾正靖(号は嘉陵、1760-1841)が谷原村の東高野山長命寺(練馬区高野台)に出かけた時の道筋を歩いて辿った話の続き。練馬区富士見台四丁目(昔の谷原村)の通称「谷原の庚申塔」を過ぎたところから。 peepooblue.hatenablog.com 今は普通の郊…

嘉陵紀行「谷原村長命寺道くさ」を辿る(その3)

江戸の侍・村尾正靖(号は嘉陵、1760-1841)が文化十二年九月八日(1815年10月10日)に仲間四人とともに谷原村の長命寺(練馬区高野台)まで出かけた道筋を辿った話の続き。 旧江戸城の清水門から歩き出し、練馬までやってきた。千川通り、目白通りと昔は「…

嘉陵紀行「谷原村長命寺道くさ」を辿る(その1)

江戸の侍・村尾正靖(号は嘉陵、1760-1841)の江戸近郊散策記のルートを辿るシリーズ。今回の行き先は練馬区高野台(昔の豊島郡谷原村)にある長命寺。弘法大師空海の霊場・紀州高野山を模して創建されたため、東高野山、新高野山と呼ばれる真言宗の寺である…

嘉陵紀行「石神井の道くさ」を辿る(その3)

江戸の侍・村尾正靖(号は嘉陵、1760-1841)が文政五(1822)年の秋に石神井村へ出かけた時の道筋を歩いてみた話の続き。目白駅から目白通り、新青梅街道を歩き、杉並区井草二丁目(昔の多摩郡下井草村)で旧早稲田通りにぶつかったところから。 peepooblue.…

嘉陵紀行「高田村天満宮詣の記、附、上高田村仙元塚」を辿る

江戸の侍、村尾正靖(号は嘉陵、1760-1841)が江戸近郊を歩いた記録『江戸近郊道しるべ』のルートを辿るシリーズ。前回の「藤稲荷に詣でし道くさ」とほぼ同じルートなので、合わせて探索。 ところで、タイトルの「高田村天満宮」は新宿区西早稲田二丁目にあ…

嘉陵紀行「藤稲荷に詣でし道くさ」を辿る(後編)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)が文政七年九月十二日(1824年11月3日)に江戸城下・三番町の新居から今の新宿区下落合にある藤稲荷に参拝した話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 新宿区西早稲田から神田川を面影橋で渡り、豊島区高田の南蔵院前を通り、…

嘉陵紀行「藤稲荷に詣でし道くさ」を辿る(前編)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)が書き残した散策記録『江戸近郊道しるべ』の道筋を辿るシリーズ。今回は新宿区の下落合界隈である。嘉陵は文政七年九月十二日(1824年11月3日)に出かけている。 「落合村の七曲がりに、虫の音を聞きに行くのなら、年寄りの…

嘉陵紀行「阿佐谷村神明宮道の記」を辿る

江戸の侍・村尾正靖(1760-1841、号は嘉陵)の江戸近郊散策記の道筋を辿るシリーズ。久しぶりの今回は杉並区阿佐ヶ谷である。昔の多摩郡阿佐ヶ谷村。40年前まで母方の祖父母が住んでいたので、馴染みの町でもある。 嘉陵は文政九年十月四日(1826年11月3日)…

世田谷八幡宮の奉納相撲

世田谷八幡宮の例大祭。今日は午後2時から奉納相撲が行われた。 世田谷八幡宮の相撲は江戸時代から江戸三大相撲の一つとして有名で、現在は近くの東京農業大学の相撲部によって奉納されている。 神社に着くと、ちょうど土俵上で神主さんの神事が始まるとこ…

ひたちなか海浜鉄道の旅(その3)

8月6日に茨城県のローカル線、ひたちなか海浜鉄道沿線を旅した話の続き。 阿字ヶ浦から磯崎、平磯にかけて続く、恐竜が生息していた中生代白亜紀の地層が露出した磯浜を散策している。 遠くから笛や太鼓の音が聞こえてくる。お祭りをやっているようだ。 平…

ひたちなか海浜鉄道の旅(その2)

今日は立秋だが、最高気温は東京は最高気温が35.9℃で、年間最多記録を更新する17回目の猛暑日。 さて、8月6日(日)に茨城県のひたちなか海浜鉄道沿線を旅してきた話の続き。 阿字ヶ浦駅に近い「ほしいも神社」に立ち寄った後、坂を下って阿字ヶ浦の浜辺へ…

ひたちなか海浜鉄道の旅(その1)

昨年の夏に十数年ぶりに「青春18きっぷ」を購入して、日帰りで5回、あちこちへ出かけた。それぞれに面白い旅だったので、今年もまた買ってしまった。「青春18」といっても年齢制限はないが、使用期限はある。夏は7月20日から9月10日まで。この期間中の5日…

新緑の御岳山(その1)

先日、高尾山に行ったばかりだが、また新緑の山歩きがしたくて、5月4日に奥多摩の御岳山に行ってきた。混雑は覚悟の登山。 家を出て、駅まで歩く途中、なんとキビタキのさえずりが聞こえてきた。渡りの途中で立ち寄ったのだろう。自宅周辺では初めて聞いた…

嘉陵紀行「谷中に遊ぶ記」を辿る

江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)の江戸近郊散策記『江戸近郊道しるべ』のルートを辿るシリーズ。今回は谷中である。文政六年三月十二日のことで、現代の暦では1823年4月22日。ちょうど200年前だ。この年には勝海舟が誕生し、シーボルトが来日している。嘉陵…

嘉陵紀行「羽沢氷川・渋谷八幡・伊勢野 道の枝折」を辿る(後編)

江戸の侍・村尾嘉陵が渋谷付近の寺社を訪ねて歩いた道筋を実際に徒歩で辿る話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 嘉陵は渋谷最古といわれる氷川神社に参拝した後、別当寺の宝泉寺へも立ち寄っている。 (氷川神社の)大門の東、林をへだてて薬師堂、其こな…

幽霊坂のお化粧地蔵

港区三田四丁目に玉鳳寺という曹洞宗寺院がある。慶長四(1599)年、八丁堀に創建され、寛永十三(1636)年に現在地に移転してきたという。 その山門の傍らに地蔵堂があるのだが、堂内に安置されているお地蔵さまがちょっと変わっている。 御化粧延命地蔵尊…

嘉陵紀行「羽沢氷川・渋谷八幡・伊勢野 道の枝折」を辿る(前編)

江戸の侍・村尾正靖(嘉陵)の江戸近郊日帰り旅の道筋を辿るシリーズ。しつこく続くが、まだまだ続く予定である。こうして東京都内の知らない町を歩いていると、いろいろな発見があって、もちろん大した発見ではないが、実に面白い。 今回は麻布から渋谷にか…

嘉陵紀行「千束の道しるべ」を辿る(その3)

村尾嘉陵(1760-1841)の紀行「千束の道しるべ」で彼が歩いた道を辿っている。彼が出かけたのは文政十一年七月二日、今の暦だと1828年8月12日である。この時、嘉陵は六十九歳。 peepooblue.hatenablog.com peepooblue.hatenablog.com 当初の目的地だった中延…

村尾嘉陵「代々木村八幡宮道の枝折」を辿る(その1)

今から二百年ほど前、江戸近郊の散策記録を後世に残した侍・村尾正靖(号は嘉陵、1760-1841)の紀行を辿るシリーズの第二弾。いつの間にかシリーズ化しているが、それぐらい面白い。ただ、日帰りなのに、ものすごい距離を歩くので、その足跡を実際に辿るのは…

村尾嘉陵の墓

正月に麻布十番に母方の祖父母の墓参りに出かけたついでに南麻布の西福寺を訪ねる。古川橋に近い明治通りに面した浄土真宗の寺である。 ここに『江戸近郊道しるべ』を書いた江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)の墓があるらしい。 本堂に向かって左手に墓が並ん…

村尾嘉陵「井の頭紀行」を辿る(その3)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)が文化十八年九月十五日(1816年11月4日)に井の頭弁才天に参詣した道筋を辿った話の3回目。たぶん最終回。杉並区の古社・大宮八幡宮に参拝したところから。 peepooblue.hatenablog.com peepooblue.hatenablog.com 「今日は…

村尾嘉陵「井の頭紀行」を辿る(その2)

前回の投稿からだいぶ間があいてしまったが、江戸の侍・村尾正靖(嘉陵)が文化十三年九月十五日(1816年11月4日)、井の頭弁才天まで出かけた道筋を辿る話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 嘉陵は堀ノ内村(杉並区堀ノ内)にある「厄除け祖師」で有名な…