日原街道(後編)

 まだ続く日原(にっぱら)日帰り旅の話。今回でおしまいなので、もうしばらくのご辛抱を…。
 日原から日原街道を歩き、途中の川乗橋の停留所でバスに乗ろうか、という気になりかけたのだが、やっぱり最後まで歩くことにした。時刻は15時前。たぶんあと1時間も歩けば奥多摩駅のある氷川に着くだろう。
 ということで、日原川の峡谷に沿って狭い街道を歩いていくと、まもなく興奮するような物件が…。
 道路と峡谷をまたぐアーチ橋が頭上に架かっているではないか…。


 古びていて、廃線の鉄橋のようだが、よく見ると、線路上にトロッコみたいなものが止まっている。
 あとで調べたら、かつては日原小学校に置かれていた機関車がトロッコを引いていたようだが、現在はケーブルカーのような方式でトロッコをケーブルによって牽引して無人運転しているとのこと。日原の鉱山と氷川の工場との間の大部分がトンネルなので、この地点が線路を見られるほとんど唯一の場所であるらしい。往路のバスでは気がつかなかった。

 この鉄橋が見られただけでも川乗橋でバスに乗らなくてよかったと思う。まもなくそのバスに追い抜かれた。次のバスは当分来ないので、これでもう最後まで歩くしかなくなった。


(よく揺れる吊り橋の上から)
 それにしても、日原川を眺めていると、山のあちこちで湧き出た水が集まって、これだけの水量になり、絶えることなくどんどん流れてくるというのは信じられないぐらいすごいことだと思う。世界各地には水不足に苦しむ人々がたくさんいることを考えると、日本というのは豊かな国だと改めて思う。

 まもなく、何やら鍾乳洞らしいのがあったが、看板はカバーで覆われ、立入禁止になっている。大増鍾乳洞というらしいが、なぜか閉鎖されているようだ。あとで調べたら、私有地内にある個人経営の小さな鍾乳洞らしく、真っ白な鍾乳石が見られるとのことだった。

 スズメバチの巣(の残骸?)

 黄花コスモス

 相変わらず山は深いが、人家も見られるようになってきた。

 路上にはドングリのほか、栗も落ちている。森の動物たちの貴重な食料だ。

 やがて、眼下に再びアーチ橋。

 これは多摩川をせき止める小河内ダム奥多摩湖)の建設の時に資材輸送のために建設された鉄道の廃線跡だ。

(彼方に奥多摩工業の工場が見える)
 奥多摩湖まで通じており、大井川や黒部のように観光鉄道として再利用すれば、それなりに人気が出そうに思うのだが、すでに老朽化が進み、復活は難しいのだろうか。
 間もなく奥多摩町の中心、氷川の集落に入った。ここで日原川は多摩川に合流するのだ。そして、これらの水は羽村堰で取水され、都民の水道用水となる。

ギンナンがたくさん生っているイチョウの木)
 氷川の神社にある「三本杉」。根元では1本だが、3本になってそびえ、樹齢は700年以上だそうだ。東京で一番高い杉であるらしい。

 べつの杉の木にある穴。ムササビでも入っているのかも。

 さて、16時に奥多摩駅前に到着。

 トータルで15キロ以上は歩いただろうか。

 かつて奥多摩駅には何本もの貨物側線があり、日原で採掘された石灰石を貨車に積んで、青梅線南武線経由の貨物列車で臨海部へ運んでいたが、鉄道による貨物輸送が廃止され、線路も撤去されてしまった。

 とにかく、あとは電車で帰るだけだ。