谷中の石仏~安立院と永久寺

 11月も間もなく終わりだが、昨日、最高気温が20.1℃まで上がった東京は今日も18.3℃で、暖かな晴天。

 ちょっと前に谷中の石仏を見て歩いた話の続き。天王寺を出て、左へ行くと、すぐに安立院がある。創建年不詳で、もとは天台宗天王寺塔頭の一つだったというが、その後、独立して曹洞宗系の単立寺院となっている。

 境内には将軍地蔵がある。昭和十五(1940)年建立。

 上部に「南無将軍地蔵尊」とあり、「皇軍将兵」「武運長久」の文字が彫られている。尊像は猪に乗っている。

 地蔵尊

 谷中霊園を南へ抜けて、谷中四丁目の興福山永久寺へ。曹洞宗の寺で、谷中玉林寺中興開山の風室興春和尚(慶安三年1650年遷化)が隠居寺として創建したという。

 ここには幕末~明治の戯作者、新聞記者の仮名垣魯文(本名・野崎文蔵、1829‐94)の墓があり、墓石の中に聖観音を線刻した板碑がはめ込まれている。

 先日、長瀞で見た結晶片岩秩父青石で造られたこの板碑は鎌倉末期の作と推定されるが、摩滅した板碑に後から観音像を追刻した「改ざん板碑」と考えられているという。

 仮名垣魯文の名を高めた作品に明治十二年発表の「高橋阿伝夜刃譚」がある。これは「明治の毒婦」などと呼ばれ、明治九年に浅草で古着商を殺害して逮捕され、斬首刑に処せられた高橋お伝(1850‐79)をモデルとしたもので、当時の世上を賑わせたという。

 魯文の墓から遠くない谷中霊園にその高橋お傳の供養碑がある。碑には「高橋お傳の墓」とあるが、実際に埋葬されたのは小塚原回向院だという。

 つづく

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(おまけ)きょうの夕景

 一番星。