谷内六郎展


(ポスターの絵は元祖「ゆる鉄」作品とも言えそうな「郊外電車」)
 栃木市の「とちぎ蔵の街美術館]で開催中の「谷内六郎展〜あの頃への帰り道」に行ってきた。
 『週刊新潮』の表紙絵を昭和31年の創刊号から昭和56年に亡くなるまで実に1336枚、休むことなく描き続けた谷内六郎さん(1921-1981)は僕の一番好きな画家の一人で、東京近辺で開催される展覧会には大抵出かけている。神奈川県の横須賀美術館谷内六郎館が併設されているので、その気になれば、いつでも作品に触れることができ、僕も何度か行ったが、それ以外の美術館での展覧会は久しぶりだ。
 小田急線〜千代田線で北千住へ出て、東武線で栃木駅まで自宅から2時間半。蔵造りの町並みが残る市内でも現存する最古の土蔵(19世紀前半)を改装した美術館までは駅から徒歩15分ほど。実際はあちこちに寄り道したので、もう少しかかったかな。

(市内を流れる巴波川。渡良瀬川の支流で、利根川・江戸川経由で江戸と結ぶ舟運ルートがあった)

(この3棟の土蔵が「とちぎ蔵の街美術館」)
 展示されているのは週刊新潮の表紙絵の原画65点ほどだが、それぞれの作品に「表紙の言葉」が添えられているのがありがたかった。全部読んでしまった。
 自分を取り巻く世界がまだ不思議に満ち溢れていた幼少期ならではの空想や幻想、夢の感覚、あるいは不安やおののきの心理までも見事に絵画化した谷内さんの絵が愛されるのは、日本人の心の中の根源的な部分において共鳴する何かがあるのだろう。
 そして、僕がそんな幼少期を思い起こすとき、「シュウカンシンチョウはきょう発売されます」という女の子の声とピアノが奏でる「赤とんぼ」のメロディー、そして谷内さんの絵による『週刊新潮』のテレビCMは我が家の平和な朝の光景の一部として記憶に残っているのだ。もちろん、当時は谷内六郎という名前は知らなかったけれど、そのノスタルジックな絵の世界は幼い自分が実際に目にした現実の光景と渾然一体となって、心の中に定着していったように思う。なので、僕はこの人の絵が好きだ、という意識はなんとなくではあるけれど、ずっと持ち続けていたように感じているのだ。
 その後、高校2年の時に2週間余りの北海道旅行を終えて、函館駅青函連絡船を待つ間にキオスクの小さな書棚で文庫版の谷内六郎画集をみつけて迷わず購入して以来、画集や関連グッズを買いそろえたり、あちこちの展覧会に出かけたり、ということを現在までずっと続けているわけである。
 今回も蔵の中という趣のある空間で谷内ワールドを堪能してきた。

(帰り道に公園で見かけたセミの抜け殻の群れ)

(おまけ)今日の夕景