十方庵敬順『遊歴雑記』

遊歴雑記初編 (1) (東洋文庫 (499))

遊歴雑記初編 (1) (東洋文庫 (499))

遊歴雑記初編〈2〉 (東洋文庫)

遊歴雑記初編〈2〉 (東洋文庫)

 先日、村尾嘉陵の『江戸近郊道しるべ』を取り上げたが、同じく江戸時代の江戸とその周辺の紀行。
 江戸・小日向(現・文京区)廓然寺(浄土真宗明治12年廃寺)の住職だった十方庵敬順(1762‐1832)が隠居後に各地を旅した先での見聞を詳細に記録したのが『遊歴雑記』と題する書物。全5編から成り、各編とも上・中・下の3冊ずつで合計15冊が存在するが、現在出版されているのは初編の3冊のみ。それが『遊歴雑記初編1』(上・中を収録)と『遊歴雑記初編2』(下と解説)の2巻で、平凡社東洋文庫から刊行されている。現代語訳ではなく原文のみ(朝倉治彦校訂)。
 僕は世田谷区に関する地誌や紀行を集めた『世田谷地誌集』(世田谷区教育委員会)を図書館で借りて読んで、初めてその存在を知ったのだが、非常に面白い。
世田谷地誌集 (1985年)

世田谷地誌集 (1985年)

 十方庵は村尾嘉陵よりも遠くまで足を延ばし、初編では江戸市中から鎌倉や江の島、川越、八王子、市川あたりまで取り上げられているが、残念ながら江戸からの道中についての記述は少ない。そのかわり現地での見聞については詳細に書かれており、当時の人が実際にその土地に出かけてみないと分からないような貴重な話がたくさん出てきて、それが面白い。ほかの編では三河尾張まで出かけているらしい。
 僕にとって身近な場所ではたとえば世田谷の豪徳寺。十方庵は文化11(1814)年に訪れていて、次のように書いている。
「表門は南のせたがやの宿(世田谷新宿=現ボロ市通り)の北裏手にあり、境内爪先あがりに自然に高く、且広大に寂々寥々たり、栗鼠・ましら(=猿)・諸鳥の声のみありて清閑の伽藍といふべし」

 これで200年前には豪徳寺にリスやサルがいたらしいということが分かる。江戸の住人である十方庵にとって、当時の世田谷は辺鄙で不便なド田舎であり、俗世間を離れて花鳥風月を愛でながら隠遁生活を送るのにふさわしい場所と映ったようだ。

 また下北沢の森巌寺の境内にある淡島堂はどんな病にも効果があるという「淡島様の灸」が有名で、お灸が施される毎月3と8の日には江戸市中からも大勢がつめかけたという。ここまでは僕も知っていたが、どんな様子か見物に訪れた十方庵によれば、とにかく大変な人出だったようで、番号札を受け取った人たちが順番を待つための茶屋が門前に3,4軒あり、飲食だけでなく遠方からの客が宿泊もできるようになっていたらしい。そのあたりの様子が生き生きと描かれていて、貴重な証言となっている。

(森巌寺)

淡島堂
 当時の下北沢村も十方庵には辺鄙な土地だが、そこにこれだけの人が集まるということは「寺は勿論、一村の潤ひなるべし」と書いている。
 ちなみに彼の知人9人も淡島様に通って灸の治療を受けたそうだが、二人は病気が全快したものの、「七人は悉くいぼひて起居動静もなりかね、久しく床に臥、服薬して漸くに本服しける」とのこと。
 お灸の効果について謗る人もあれば貴ぶ人もいて「いろいろの人ごころも又面白し」と結んでいる。