日暮里の石仏~本行寺・啓運寺・養福寺

 昨日、都心の朝の最低気温が2.5℃と今季最低を記録した東京は今朝はそれより少し上がって4.4℃。日中の最高気温は13.8℃。冬らしい穏やかな天気ではある。 

 先月、谷中の石仏巡りをして、日暮里駅から谷中商店街へ続く通りに出て、駅に近い長久山本行寺(日蓮宗)を訪れる。通りの北側は荒川区西日暮里である。

 本行寺は大永六(1526)年に太田道灌の孫、資高により江戸城内平河口に創建され、江戸時代に神田・谷中を経て、宝永六(1709)年に現在地へ移ってきた。縄文時代の海進期には波が打ち寄せていた海食崖の上に立地する景勝地でもあり、通称「月見寺」とも呼ばれていた。現在は崖下に京浜東北線や山手線、新幹線、東北線常磐線、京成線など14本もの線路が敷かれ、ひっきりなしに電車が行き交っている。

 境内にある聖観音像。

 この寺は多くの俳人が訪れたようで、種田山頭火の句碑がある。

 ほつと月がある 東京に来てゐる 山頭火

 

 小林一茶の句碑もある。

  陽炎や 道灌どのの 物見塚  一茶

 

 本行寺の西隣の経王寺の角を曲がり、諏訪台通りを北へ行く。昔は海だった東京低地と谷中・藍染川の谷に挟まれた尾根道である。

 すぐに右手に法要山啓運寺(法華宗本門流)がある。元和元(1644)年、下谷に創建され、当地へは明治十八年に移転してきた。

 境内には延宝八(1680)年の庚申塔がある。この塔は表面が一部剥落しているものの、谷中天王寺の「妙法」庚申塔と全く同じ「三守庚申三尸伏、妙法、七守庚申三尸滅」の文字が刻まれており、荒川区内では唯一の日蓮宗庚申塔として区の登録文化財となっている。

 啓運寺の隣が補陀落山観音院養福寺。

 元和六(1620)年に創建された真言宗豊山派の寺院で、宝永年間(1704‐11)建立と伝わる仁王門は荒川区指定文化財

 境内には多くの石仏が並んでいる。

 右端にある宝永四(1707)年の庚申塔

 六手の青面金剛は二匹の邪鬼の頭上に立ち、さらに両脇に鬼を従えた大変珍しいもの。その下の三猿の両脇には二羽の鶏もいる。踏まれている鬼に不満げな表情は見られない。まるで、これが自分の役目と受け入れているかのようだ。

 その隣の庚申塔は元禄十五(1702)年の建立で、青面金剛が右手で人の頭をつかんでいるのが特徴。

 『石仏地図手帖』ではこれを「ショケラの首」であるとしているが、ショケラとは何かについては諸説あるようで、確かなことは分からない。しかし、首の正体が何であれ、この扱いを考えれば、人間を病気にしたり、悪事を働いたりする魔物のようなものか、あるいは、庚申の夜に人の体内から抜け出して、天に昇り、その人の悪行を天帝に報告して、その人の寿命を縮めるという三尸(さんし)の虫を表現したものだろうか。

 観世音菩薩。

 如意輪観音

 六地蔵

 如意輪観音地蔵尊

 つづく

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(きょうの1曲)Ralph Vaughan Williams / Symphony No.5 in D. 3rd Movement-Romanza


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