北海道のオホーツク海に面した浜小清水のユースホステルで迎える朝。
目を覚ますと、寝室は朝の光が差し込んでいた。
すでに起きて出発の準備をしている人、まだ朝の眠りをむさぼっている人。人それぞれの生活習慣を垣間みることのできる旅先の朝。
洗面所の冷たい水で顔を洗って、ひとと顔を合わせるごとに朝の挨拶を交わす。館内にはヴィヴァルディの「春」が流れている。
『おはようございます。朝食の用意ができました』と放送があると、各部屋から眠そうな顔が出てくる。
厨房のカウンターで朝食を受け取り、テーブルについて、いただきます。
トーストにフルーツサラダ、スクランブルエッグ、ハム・・・。トーストにはバターと苺のジャムを塗って。
熱い紅茶を飲みながら、窓の外に視線を送る。もうすぐ3月も終わりだが、青空の下でこの土地はまだ雪と氷の真っ白な世界。今日も素晴らしい一日になりそうだ。
さて、今日はこのあたりをのんびりと歩いてみたい。
そこでまず斜里まで汽車で行って、そこからこの宿まで歩いて帰ってくることにした。
朝食後、重い荷物は宿に置いて、軽装で出発。
同室だった東京のO君、大阪のY君という二人の高校生と一緒に浜小清水駅まで歩き、8時46分発の急行列車で知床半島の付け根にある斜里へ。斜里までは17.2キロ、17分だった。
O君とY君はヒッチハイクで知床半島の宇登呂へ行くそうだが、その前にY君が街なかの靴屋で“ヤング長靴”を買うというので付き合う。彼によれば「札幌では長靴ファッションが大流行」だそうで、確かに地元の若者の多くは長靴を履いているが、Y君がいうヤング長靴とは黒いゴム長靴の上端に毛皮みたいな縁取りがあるタイプのことらしい。
ところが、彼がヤング長靴だといって最初に選んだものは店のおじさんに「それは年寄り用だよ」と言われてしまった。
ふたりと別れ、駅前のスーパーマーケットでお菓子などの買い物をしてから、散歩というにはちょっと長めの徒歩旅行に出発。
道議会議員選挙の候補者の演説で賑やかな駅前通りを網走方面へ歩き出し、斜里川を渡ってすぐに左折して内陸へ向かうと釧網線の踏切を渡る。
すぐに町をはずれて、あたりには雪原が広がるが、トラックなどが行き交い、歩いていても楽しくない。早く静かな道に入りたい。
まもなく右へ分かれる細道があったので、その道を選んだ。
道は地平線まで雪原の中を一直線に伸びていた。最初だけ舗装されていたが、すぐに砂利の交じった土の道となる。とにかく、行けるところまでこの道を歩いてみよう。
しばらく歩くと、右手に牧場があった。馬の親子がいる。眺めていたら、その家の敷地から体格の良い黒い馬が出てきた。後ろに大きなタイヤを引きずっていて、その上におじさんが座っている。お供にはこれまた大きな茶色の犬を連れて、僕の目の前を通り過ぎて行った。ばんえい競馬のトレーニングだろうか。
馬の迫力に驚きながら、その後ろ姿を見送って、僕も歩きだす。
見渡すかぎりの雪野原の中をずんずん歩いて、振り返ると、知床連山の海別岳や独立峰の斜里岳がそびえている。海別岳のやわらかな稜線に比べると、斜里岳は荒々しく男性的な山容で、まるで夫婦のように対照的な姿だ。
(海別岳)
手前にはカラマツの防風林が続く、いかにも北海道らしい雄大な風景で、道端に腰を下ろして休憩がてらスケッチブックを取り出した。
30分近くも海別岳や斜里岳をスケッチする間、人も車も馬も何も通らなかった。
再び歩き出す。どこまでも景色は変わらない。見上げれば青く澄んだ空。カラスが横切り、トンビが輪を描いている。やわらかな陽ざしを浴びて、白い大地は雪解けが進み、あちらこちらに黒い土がのぞいている。気温はまだまだ低いのかもしれないが、春の光のぬくもりは感じられる。
遠い林の向こうをキラキラと光りながら自動車が行き交っている。この道と並行して国道が通っているのだ。あの道路と線路は浜小清水駅前で出合うので、その間にいるかぎり道に迷うことはない。
牛舎の中からモォ~ッと寝ぼけたような声が聞こえた。農家の庭先では雀が群れていた。
冬枯れの林を抜け、広々とした農地の中をまっすぐに続く道をひたすら歩いていくと、やがて小さな川を渡る。下流側を見やると低い丘陵が続いている。あの向こう側がオホーツクの海岸で、線路が通っているのだろう。
川べりの牧場ではホルスタインが干し草を食んでいた。
ずっとまっすぐだった農道が突然、左へ折れ曲がった。そばで農家の人たちが休憩している。馬にタイヤを引かせていたおじさん以来の人の姿だ。
道は林の中に入るので、リスでもいないか、と樹上を見上げたりしながら行くと、まもなく国道に出た。ちょうど斜里から7キロの標識がある。鉄道で斜里から浜小清水までは17.2キロ。国道はそれより遠回りしているから、おそらく20キロぐらいはあるのだろう。まだ半分も来ていない。
国道を行くと、まもなくうどん屋があった。ここで昼食を、とも考えたが、止別(やむべつ)までは頑張ろう、と思い直し、店の前の自販機でジュースだけ買う。止別は斜里と浜小清水の間の唯一の駅で、斜里から11.5キロ地点にある。
なおも国道を行く。あたりは牧草地や畑がうねうねと続く台地で、緑が輝く夏の景色も見てみたいなぁ、と思う。雪が解けたあとにのぞく黒い土がとてもみずみずしくて、春の香りを感じるようだ。畑にかすかに見える緑は秋まきの小麦だろうか。
歩くうちに気づいたが、道端に1キロごとに標識がある。しかし、その1キロがけっこう遠い。足も少し痛くなってきた。
バスの停留所があり、簡素な待合小屋があったので、少し休む。そして、また歩き出す。誰に頼まれたわけでも命じられたわけでもなく、ただ自分が歩いてみたいと思って歩いているのだし、疲れたらヒッチハイクをすればいいという気持ちもあるので、辛いということはない。
仔牛のいる牧場で足を止めたりしながら行くと、小さな集落が見えてきた。止別だ。
すると、タクシーが停まり、紳士がひとり降りて、写真を撮って、また乗り込み、タクシーは走り去った。その人がカメラを向けた方角には緩やかにうねる畑の向こうで斜里岳が日差しを浴びていた。先刻スケッチをした時より少し遠くなったなと思う。
さて、止別の交差点に「右折1キロで止別駅」の標識があった。駅の周辺なら食堂か何かあるだろうと思ったが、たどり着くと食堂などはなく、唯一の商店でパンを買えただけだった。まぁ、仕方がない。
小さな駅前広場では子どもたちが自転車で走り回って遊んでいた。それだけで久しぶりに賑やかなところへ来たと思った。
木造駅舎のある止別駅の脇に海岸砂丘へ通じる小道があったので、そこを登っていくと、すぐに砂丘の上に出た。目の前は流氷のオホーツクだ。右手には氷原の彼方に知床連山が霞んでいる。
ここからは浜辺を歩いていこう。
しばらくは流氷原を眺めながら、砂浜を歩いていたが、あまりに単調なので、もう一度砂丘の上に登る。
夏の間は原生花園として多くの旅行者を魅了するこの砂丘も今は雪の下に埋もれ、枯れたハマナスの枝が風でカサカサと音を立てているだけだ。
そんな寂しい砂丘を雪のないところを探してぴょんぴょん跳びながら歩いた。
やがて釧網線の線路がずっと見渡せる場所に出た。もうすぐ列車が来る時間だ。
少し待つと、止別の方向からディーゼル機関車に牽かれた客車列車が砂丘の間を縫うように近づいてきた。そして眼下を通り過ぎ、浜小清水の方へゆっくりと遠ざかっていった。
列車が見えなくなり、僕もまた歩き出す。
膝まで雪にハマりながら、海とは反対側に砂丘を下り、たったいま汽車が通ったばかりの線路を渡ると、そこに線路と並行してぬかるみ道があった。
その道を歩いていくと、川辺に既に住む人のいない農家とサイロがすっかり朽ち果てていた。昔はどんな人が住んでいたのだろうと思いながら、その廃屋のそばに架かる木橋を渡った。この橋にしても、もう滅多に渡る人もいないのだろう。欄干にとまっていたカラスが2羽、3羽と驚いて舞い上がった。
橋の下を流れる川はそのまますぐオホーツク海に注いでいる。僕もまた線路を横切り砂丘を越え、浜辺に出た。
もう、ここまで来ると、浜小清水も近い。すでに太陽は西に傾いているし、あとはもうこの砂浜を歩いていこう。
頭上をトンビが輪を描いて舞っている。あんなに自由に大空を飛べたら、どんなに素晴らしいだろう。
そして、流氷の色。流氷が明るいブルーに輝いているのは海の青さがそのまま凍ってしまったからに違いない。そんなことを考えながら、浜辺を行くと、岸に近い流氷の上に横たわる茶色の物体が目に留まった。何だろうと寄ってみると、それは小さなアザラシだった。死んでいた。きっとカラスやトンビやキツネの御馳走になるのだろう。
(この時はアザラシだと思ったが、あとで思い返すとトドだったかもしれない)
ようやく浜小清水駅の裏の海岸にたどり着いた。
そこで僕と同世代の旅行者に出会った。ちょっと流氷見物をしているのだという。彼も今夜は僕と同じ宿に泊まるのかと思いきや、もう5日連続で夜行列車の車中泊だそうだ。今夜もこれから釧路に出て札幌行きの夜行「まりも4号」に乗るのだという。ご苦労さまです。
彼と別れて、砂丘を越え、国道に出ると、ユースホステルへの道を急ぐ。
自分が歩いてきた方向を見やると、夕陽を浴びた斜里岳がずいぶん遠く感じられた。
涛沸湖に面したユースホステルに帰着して、一休みしていたら、ペアレントさんが「夕日がきれいだよ」と教えてくれたので、同宿者とみんなで湖畔に出て、全面結氷した湖面の向こうの森の彼方に沈むまでずっと見ていた。
この宿では夕食後のミーティングで毎晩、童話が朗読されるのが恒例になっている。今夜は宿の奥さんが『100万回生きたネコ』という絵本を読んでくれた。
その後は裏庭にある「小さなおうち」という絵本がいっぱいある小屋で、いろいろな絵本のページをめくったり、談笑したりして夜が更けるまで過ごす。