碓氷峠を横川から軽井沢まで歩く(その4)

 9月9日に「青春18きっぷ」で群馬県の横川まで行き、信越本線廃線跡を旧熊ノ平駅跡まで歩いた。ここから先、軽井沢までバスに乗るつもりだったが、道路が通行止めでバスが来ない。先へ進む手段がなく、一度は引き返そうかと思ったが、通行止めの原因は「路肩崩落」。2車線道路の路肩が崩れただけなら、人間は通れるのではないか、と考え、とりあえず軽井沢へ向けて歩いてみることにした。

 碓氷峠まで7キロと書いてある。軽井沢はその先だが、横川からひたすら登って、峠を越えたすぐ先が軽井沢であるから距離的には大したことはない。問題は道路がどの程度崩落しているのか。そして、クマが出たりしないか、ということだ。恐らく、この先には峠まで誰もいないと思われるので、不安はあるが、とりあえず行ってみよう。

 ちなみにいつから通行止めなのか、帰宅後に調べてみたら、近畿地方を縦断した台風7号の影響による大雨で8月15日頃、道路が崩落したようだ。今年度中の復旧をめざしているらしい。

 

 とにかく、しばらく車が走っていない旧道は落ち葉や折れ枝、木の実などが大量に落ちていた。時々、上からドングリが降ってきたりする。ドングリぐらいならいいが、直径が10センチほどもある枝が落ちていたりもするので、危険である。

 ドングリのほかに栃の実や栗なども落ちているから、それらを狙って出てくる動物もいるに違いない。リスぐらいならいいが、木の実はクマの好物でもある。

 少し歩くと、最初の崩落地点。路肩どころか、片側車線がごっそりなくなって、ブルーシートで覆われている。しかし、人間が歩くぶんには問題はない。

 さらに行くと、右側にトンネルが口を開けていた。有刺鉄線付きのフェンスで封鎖されている。

 覗いてみると、トンネルの向こうは旧熊ノ平駅だ。つまり、これは駅の軽井沢方に3本並んでいたトンネルの一番左側のものだ。僕はこれがアプト式だった旧線トンネルだと思い込んでいた。そうすると、ここに線路が通っていたことになるが、地形的にもそんなはずはない。トンネル脇のプレートには「熊ノ平ずい道」とあり、長さは125メートル、設計は日本国有鉄道信濃川工事局、竣工は昭和40年8月31日となっている。つまり、アプト式の旧線から新線に切り替えられた後である。どういうことか、この時はまったく分からなかったのだが、あとで調べてみて、これがいわゆる下り「突っ込み線」を改修して道路までトンネルを掘り抜き、駅構内と道路を結ぶ自動車用トンネルに転用したものであると理解できたわけだ。現場ではその辺はまったくの謎だった。

 その先で右手に線路跡が見えた。これもあとで知ったことだが、熊ノ平~軽井沢間では一部区間を除いて旧線を改修して新下り線に活用しているのだった。

 まもなく、また崩落現場を通りかかる。今度は路肩が崩れているだけだが、ガードレールが無残に落下している。

 とにかく曲がりくねった道で、カーブごとに麓から何番目のカーブか、数字が書いてある。その数字がどんどん増えていく。今は通行止めなので、クルマやバイクは来ないが、もしかしたら、通行止めでないほうが歩行者にとっては危険かもしれない。

 100番目のカーブ。

 廃線路は何度も見ることができた。

 峠まであと5.1キロ。カーブの数字は最終的にどのぐらいになるのだろう。

 30分以上歩いた地点に「軽井沢9㎞」の標識。え、9キロ? 思ったより遠い。しかも、雨が降ってきた。

 反対方向は東京144㎞。

 車も人も全く通らない道を折りたたみの傘をさして、ただ歩く。ひたすら歩く。

 さらにしばらく行くと、右側に廃棄されたトンネル。旧線のトンネルだ。

 この前後の区間だけ新下り線は旧線とは別に新規に建設されたのだった。その新線がすぐ先に見えた。

 通行止めの道を歩いてきて、初めて人の姿を見た。半分だけ。どなたですか?

 今度は右斜面から土砂が流れ込んでいた。ずいぶん粒子の大きな土砂だ。火山の噴出物だろう。この辺だと浅間山あたりから来たものか。

 146番目のカーブ。碓氷峠まで2.2キロ地点。

 このあたりだったか、左側のガードレールの陰にニホンザルがいた。吠えるような声を上げて斜面を駆け下りていった。姿が見えたのは1頭だけだが、複数いたようだ。奴らも驚いたようだったが、こちらもびっくりした。

 標高900メートル。遠くでアオバトの声が聞こえる。いつのまにか、雨はやんだ。

 碓氷峠まであと1キロほど。

 そして、ついに碓氷峠に無事たどり着いた。ここから長野県軽井沢町だ。ゲートが閉まっている。向こうではなく、こちら側が通行止めなのだ。

 時刻は11時42分。熊ノ平をあとにしたのが10時15分頃だったから1時間半弱かかった。横川からは3時間半ぐらい。ちなみに最終的なカーブの番号は確認しなかったが、180は超えていたと思う。

 峠からの眺め。道があまりに曲がりくねっていたので、どちらの方角かも分からない。

 ここでまた父の古いアルバムにあった昭和三十二年夏の碓氷峠の写真。山の形からみて、上の写真と同じ場所だと思うのだが、眼下にアプト式信越本線の線路が写っている。たぶん今は草木が茂って、線路は見えないのではないかと思う。

 碓氷峠。日傘をさしているのは曾祖母。大きな石碑は僕も現地で見た。道路の改修記念碑のようなもの(修路碑)で、わざわざ写真を撮ることはしなかったが、父のアルバムに同じものが写っていると知っていれば、撮っておけばよかったとも思う。

 いま歩いてきた道のどこかで撮ったもの。祖父母と曾祖母。

 ゲートを逆から撮った写真に修路碑が小さく写っていた。

 さて、峠を越えると、急に開けて、高原風の眺めになり、軽井沢の町が見えてきた。

 坂を下っていくと、まもなく左下に線路が現れる。一瞬、廃線跡かと思ったが、違う。新幹線だ。ちょうど列車がやってきた。

 時刻表で調べてみると、金沢行きの「かがやき525号」のようだ。大宮を出ると、次は長野まで停まらないという生意気な列車である。東京発は10時48分なので、僕が「軽井沢9㎞」の標識に出くわした頃に東京を発車して、もうこんなところまで来ている。つくづく生意気なやつだ。

 続いて、信越本線の線路も姿を現した。軽井沢駅の少し手前まではほぼ完全な形で残っているのだった。

 軽井沢の街に入って、まもなく何やら鳥の声。最初、カシラダカか?などと思ったのだが、カシラダカは冬鳥だ。ホオジロか。

 もう1羽いた。

 正午を告げるチャイムが聞こえ、すっかり晴れ渡った軽井沢駅前には12時05分頃に到着。横川から4時間近くかかった。ちなみに横川駅の標高は386.6メートルで、軽井沢は939.1メートル。550メートル以上登ったことになる。