知床の海〜限りなく暗黒に近いブルー(3)

    2日目の朝

 一夜明けた羅臼はまた雪だった。昨日ほどの悪天候ではないが、天気はよくない。
 日曜日ということで、地元の写真家なども来て、茶の間で宿のおじさんと談笑している。僕らも朝食の後、話に加わって、船が出るかどうか聞いてみると、いま様子を見ているところだという。窓の外は雪が降りしきり、時折、ふぶいたりもしている。
 もし今日もダメならちょっと考えなくてはいけない。午前中に船に乗れたら、午後から羅臼を発って尾岱沼にでも行こうかと思っていたが、この様子だとここでもう一泊ということになりそうだ。残念ながらN君が時間切れで出発することになった。みんなで見送ったが、仲間が減るのは寂しい。

     ワシの姿を求めて

 さて、とりあえず中標津から来ているおじさんの車に乗せてもらって、ワシを探しにいくことになった。
 海岸道路を北へ向かい、ヒカリゴケの洞窟も過ぎて、しばらく走ると、サシルイ川の谷がある。この険しい谷の一帯がワシたちのねぐらになっているそうだが、そこにも全然いない。一体どこに消えてしまったのか。何度か車を停めて上空を見上げてみたが、結局、それらしいのが一羽飛んでいるのをちらっと見ただけで建根別(けねべつ)の集落に入った。羅臼の北、約15キロの地点で、冬の間は道路もここまでである。地の果て・知床の海岸沿いに伸びてきた道がついに行き詰まったところ。つまり本当の最果てである。ある種の感慨を抱いて、降り続く雪の向こう、灰色の海に浮かぶ国後島を眺めた。

     ワシの乱舞

 そこで引き返して街へ戻る途中、おじさんがワシの姿を見つけて車を停めた。全員降りて、切り立った断崖を見上げると、崖の上の大木にワシが2羽止まっている。写真家の人に大砲のような立派な望遠レンズを覗かせてもらうと、オジロワシである。さすがに迫力がある。天候の回復を待っているのか、じっと海原を見下ろしている様は鳥の王者としての風格を感じさせる。
 そこへどこからか別のワシが飛んできて、遥か高空をゆっくりと旋回した。翼を広げると2メートルにもなるというオオワシだ。体は墨のように黒く、尾は雪のように白く、嘴は鮮やかな橙色という美しいワシである。
 ライヴァルの優雅な飛翔に負けじと、木の上でじっとしていたオジロワシもその褐色の巨体を宙に舞わせた。その名の通り、こちらも尾羽は真っ白。みんな感嘆の声をあげて、大空を見上げていると、巨大なワシが次々と姿を現わした。それは羅臼でしか見ることのできない実に感動的な光景であった。

 オオワシオジロワシも漁網からこぼれて海面を漂うスケソウダラを狙うわけだが、なかには魚を捕り損ねて海に落ち、溺死するワシもいるという。彼らの狩りの無事を祈りつつ、空を見上げていた。
 そこへ一陣のつむじ風が路上の雪を激しく巻き上げながら、道路上をこちらに近づいてきた。
 来たぞ、と思いながら、背を向けて、身を屈めていると、猛烈な雪嵐がザザーッと襲ってきて、一瞬のうちに僕らの間を駆け抜けていった。

     いよいよ船で海に出る

 さて、突然のワシの乱舞は天候回復の兆候だったのか、昼前に宿に戻ると、これから船を出すとのこと。さっそく準備をして、何台かの車に分乗して港へ向かった。
 漁港のはずれの昨日アザラシの死体があった波止場に、想像していたより小さな釣り船みたいな船が係留されていた。
 乗り込むと、まもなくエンジンが始動。いよいよ念願叶って海へ出て行くわけだ。素直に嬉しい。
 宿のおじさんだけが操舵室に入り、あとはみんな甲板の上である。ベンチが2脚あるが、腰を下ろす前にシャベルで甲板の除雪作業。滑って海に転落したら大変だ。積もった雪を海に投げ捨てて、それからいよいよ出発。

 ゆっくりと岸壁を離れた船はエンジン全開で海面を滑り出した。ウミウがたくさん翼を休めている防波堤の間を抜けて港外へ出ると、まっすぐ国後島の方へ向かう。流氷のあるところまで行くというけれど、氷は水平線のあたりに白く微かに見えるだけ。あんなに遠くまで行ってしまって大丈夫だろうか。昨夜、仲間たちと部屋でこっそりビールを飲みながら(当時のユースホステルは原則として飲酒禁止)、ソ連警備艇に拿捕されてシベリア送りになる「シベリアツアー計画」なんていう冗談で笑っていたのである(我々はまったく知る由もなかったが、実はこの頃、ソ連では最高指導者のチェルネンコ共産党書記長が病気で死亡し、後にソビエト連邦を崩壊させることになるゴルバチョフ政権が誕生しようとしていたのだった)。

 決して穏やかではない大海原は限りなく暗黒に近いブルー。いかにも冷たそうだ。海岸からいきなり水深数百メートルまで急激に落下する暗黒の世界がこの小さな船の真下に広がることを思うと気が遠くなる。
 僕らの座っているベンチは船の揺れに合わせて甲板上を右に左にズズズ…と移動し、ベンチの上に置いた高価なカメラや望遠レンズが海に落ちそうになった。

 それでも船は休むことなく青黒い海面を切り裂き、白い航跡を一直線に描き続ける。
 だいぶ沖合いに出た頃、我々の遥か上空をオジロワシが1羽旋回しているのが見えた。振り向けば羅臼の港はすでに遠く、雪をかぶった知床半島全体があたかも巨大な大陸のように続いている。前方には北方領土国後島がだいぶ大きく迫ってきたし、流氷の帯もかなりくっきり見えてきた。

     氷の海

 羅臼港を出て1時間近く経った頃、周囲の海面に変化が現われた。あたり一面に青白い蓮の葉のような薄氷が漂っているのだ。そして、その先には分厚い流氷群が静かに、しかし、荒々しくうねりながら海を閉ざしている。何か意思を秘めた生き物のような凄まじい迫力である。
 もうこれ以上は進めないな、と思うより先に船は右に向きを転換し始めた。行く手を阻む流氷と国後島の威圧的な風景は、船が針路を変えるにつれて前方から左舷へ、そして後方へと移っていく。
 左舷に流氷を見る頃、その上を1羽のオジロワシがゆったりと羽ばたいていた。日本とソ連、どちらに帰るのだろう。

 船が羅臼港への帰途につくと、猛烈な寒さが襲ってきた。何しろ、吹きさらしの甲板上で、真正面から強い風が直撃してくるのだ。往路は気持ちに張りがあったので、寒さを意識せずに済んだけれど、復路になると気も緩むせいか、やけに寒さが身にしみる。せっかく船に乗ったのに期待したほどの成果がなかったという失望感もある。海風は鋭利な刃物のように容赦なく突き刺さり、船は波にぶつかるたびにバシャーンと飛沫を上げる。正直なところ、かなり辛い。

     トド

 予想以上の寒さに震えていたら、操舵室の窓からおじさんが顔を出して右舷方向を指差した。
 えっ、何だろう、と海上に視線を走らせる。
 あ、トドだ!
 なんとトドが海面に顔を出しているではないか。かなり大きい。すぐ波間に消えたかと思うと、また別の場所で顔を出す。
 3回くらい頭部が見えたけれど、結局、それきり見失ってしまった。しかし、野生のトドを見ることができた、というのはすごい。急に元気が出てきた。

     酷寒

 船は寒風を衝いて羅臼港へ急ぐ。寒さはいよいよ尋常ではなくなってきた。気温が氷点下何度だか知らないけれど、もはや数字的な問題ではない。とにかく風が冷たく強烈で、もう喋る気力も失せて、早く港に着かないかなぁ、とそればかり考えていたら、いきなり波飛沫を頭からかぶってしまった。泣きっ面に蜂とはこのことで、濡れた眼鏡を拭こうとしたら、すでに半分凍っていた。

 それにしても、この船に乗りたくて、わざわざ羅臼までやってきたのに、いざ乗ってみると、このザマだ。ちょっと情けない。しかし、流氷さえちゃんと羅臼の海岸に居座っていてくれたら、何もこんな沖合いまで出なくてもよかったのだ。沿岸に漂う氷の間を縫って船を進めながら、穏やかな海上でもっと間近にワシやトドやアザラシを見ることができるはずだったのだ。まぁ、自然を相手に文句を言っても仕方がないけれど…。それにワシもトドも一応見たし、この寒さとともに強烈な思い出として心に残りそうだ。ただ、途中でツチクジラの群れも姿を見せたというのを後で聞かされて、それを見逃してしまったことだけが残念であった。

 ソ連との「国境」スレスレか少し越えたか、というところまで行ってきたという2時間ほどの海上遊覧が終わって、やっと港に帰り着き、そのまま車で宿に直行。なんだかホッとしてしまった。しかし、まるで冷凍庫から出てきたみたいで、指は動かないし、顔の表情も強張ったまま。喋ることも笑うこともままならない。とりあえず手と顔面を解凍しないと何も始まらないので、みんなで近くのラーメン屋に入ったが、初めのうちは箸も満足に使えない状態だった。

 一緒に船に乗った仲間の多くはその日のうちに羅臼を発ってしまい、その晩の夕食は僕と、もうしばらく羅臼に滞在して写真を撮るという大阪のFさんの2人だけだった。羅臼の宿の賑わいは流氷とともに去ってしまったようだった。


     ここでちょっと後日談

 北海道から帰って半月後、羅臼で知り合ったFさんが友人の写真展のため上京し、新宿で会った。
 僕が羅臼を発った後、なんと再び流氷が海岸に押し寄せてきたとのこと。彼はもう一度船に乗せてもらって氷の海を回り、氷上で休む巨大なトドやワシの姿をたっぷりと見ることができたそうだ。結局、僕が羅臼に滞在した前後だけ流氷は沖合いに離れていたというわけで、その辺がちょっと悔しい。

 その代わり、小清水のユースホステルで僕に羅臼行きを強く勧めてくれた東京のWさんが望遠レンズでバッチリとらえたオオワシオジロワシの写真を送ってくれた。こちらからは羅臼レポートを正直に書いて送る。