知床の海〜限りなく暗黒に近いブルー(2) 

 知床半島羅臼に行けば、越冬のために北から渡ってきた多数のオオワシオジロワシを見ることができる、ユースホステルで出してくれる船に乗れば流氷の海でトドやアザラシの姿を目にすることもできる、という噂を聞きつけて、羅臼へやってきた。僕にとっては初めての知床半島でもある。前日の午後、標津から50キロの道のりをヒッチハイクで到着し、ユースホステルで知り合った仲間たちと楽しい一夜を過ごし、朝が来た。

    暴風雪の朝

 「あーあ、こりゃダメだ」
 のそのそと布団から這い出て窓の外を見た時、誰もが諦めきったような溜め息をついた。みんな、宿で出してくれる船に乗って沖合いに流氷やワシやトドやアザラシを見にいくことを楽しみにしていたのである。
 3月9日、羅臼の一日は壮絶な暴風雪で始まった。地吹雪というのかブリザードというのか、地上に積もった粉雪が強風に煽られ舞い上がり、激しく暴れている。空からも雪は容赦なく降りしきり、すべては真っ白。路上の車も雪だるま。家並みの向こうに広がる根室海峡は暗い鉛色で、沖の国後島はどこかへ消えた。
 朝食の後、念のため宿のおばさんに聞いてみたけれど、失望にダメを押されただけであった。というわけで、今日は船が出ないので、僕らはここでもう一泊して明日に期待することにした。
 そうなると、今日は一日ヒマなわけだ。部屋でゴロゴロするうちにいくらか風が弱まったようで、大荒れだった天気も少し落ち着き、町はごく普通に動いている。地元の人々にとってはこんな天気は日常茶飯事だろうし、厳冬期はもっと壮絶に違いない。

     羅臼漁港

 宿でじっとしていても仕方がないので、とりあえず外に出た。
 羅臼川を渡って街の中心部の交差点を過ぎ、まっすぐ行くと、凍った坂道の途中でバンが立往生していた。
「おーい、ちょっと押してくれよ」
 というので、みんなでエイヤッと押すと、すぐに動いた。

 坂を登ると羅臼漁港を眼下に望む「しおかぜ公園」で、オホーツク老人像というのが立っていた。『知床旅情』を作詞したあの森繁久弥がモデルである。
 道はさらに半島の東海岸沿いに相泊という土地まで通じているが、僕らは港への道を下りていった。

 生臭い魚の匂いが漂う港では、折しも漁から帰ったばかりの船上で漁師たちがスケソウダラを網から外す作業の真っ最中(あの悪天候でも、ちゃんと漁に出ていたのだ!)。水揚げされた魚は山積みのケースに次々と詰められ、セリにかけられ、ひっきりなしにトラックで運び出されていく。スケソウは目玉がギョロッとした、いかにも深海魚らしい不気味な魚で、タラコを取り出すと、あとはスリ身にされてカマボコなどの材料になるそうだ。
 ゴムズボン姿で寒さなど物ともせずに働く漁師たちを眺めながら、この人たちもみな豪勢な御殿に住んでいるのだろうか、と考えていた。

     ヒカリゴケ洞窟

 街なかの喫茶店で時間をつぶし、いったん宿に帰り、11時前のバスで出発する東京の兄さんを見送ってから、我々もまた出かける。今度はヒカリゴケの洞窟へ行ってみた。現在のメンバーは5人、全員がひとり旅で、羅臼の宿で知り合った仲間である。もうひとり、大阪芸術大学で写真をやっているFさんという人がいるのだが、彼は朝から独りで写真撮影に出かけている。

 ヒカリゴケ洞窟は「しおかぜ公園」からさらに北へ海沿いに行くとある。
 急峻な断崖の下に洞窟があって、内部に光る苔が密生しているというのだ。で、鉄格子で保護された洞内をのぞいてみたが、よく分からない。その代わり、洞窟内にできたツララがじつに見事で、剣のような細長いものから、ひと抱えもある巨大な氷の柱まで、まるで鍾乳洞みたいな景観だ。

 とりあえず、檻の外にできた青白い氷の柱の前で記念撮影などしていたら、気温が上がったのか、短剣や針のようなツララが頭上から次々と降ってきた。頭部を直撃されたら流血の惨事になりそうなので、早々に退散して羅臼の街に戻った。

     アザラシ

 「うわっ、血だ!」
 羅臼漁港のはずれの人気のない波止場に行くと、白い雪の上に血が点々としている。
 何だろうと訝りながら、岸壁の下を覗くとアザラシの死体がいくつも浮いていた。腹に穴が開いて内臓の飛び出しているのもある。アザラシは漁網を破って魚を食ってしまうので、ここでは害獣なのだ。「かわいそう」と言うのは簡単だけれど、そこには都会人の感傷を超えた難しい問題もあるのだろう。僕のように都会で暮らす者がそうした問題について日常生活の中ではあまり考えずに済んでいるのは、東京のような街があらかじめ邪魔な自然は徹底的に排除した上に成り立っているからだ。考えていると気が重くなる。何とかならないものか…。

     トドを食べる

 カモメやカラスが盗んで食べたスケソウダラの残滓が散乱する波止場をあとに、活力漲る漁港を通り抜けて街に出ると、もうお昼を過ぎている。
 羅臼川の橋の袂に高砂という小さな食堂があって、ここが全国で唯一軒のトド料理を出す店だという。アザラシの無残な姿を見たばかりなので、ためらう人もいたけれど、その店に入ってみた。

 先客はおらず、みなカウンターの席に座って、大盛りラーメンを注文し、それから「知床ルイベ」というのを5人で一皿頼む。これがトド肉の刺身を冷凍したものだという。
 店内にはトドの頭部の剥製やアザラシの毛皮が飾ってあった。いずれもこの店の主人が撃ったものだそうで、体重が1トンもあったという巨大なトドはなぜか顔が笑っている(ように見える)のが可笑しかった。壁には著名人の色紙もたくさん飾ってある。羅臼に来たら誰もがこの店でトドを味わって帰るらしい。

 熱いラーメンを食べるうちにおばさんがルイベを出してくれた。一皿で10切れぐらいあるというので、「じゃあ、1人2切れずつだね」なんて計算していたのだが、出てきたのを見ると3切れずつあった。目の前でいじましい計算をしていたので、特別にサービスしてくれたようだ。
 刺身のシャーベットという感じで、解けかかったところを食べるのだが、意外に美味かった。店にはアザラシの缶詰などというのも売っていて、どんな味がするのか、おばさんに聞いてみたら、「脂が強いから食べたら下痢するよ」と言われた。

 すっかり満足して大盛りラーメン600円とトド1人当たり160円(一皿800円)の計760円を払い、トドを食べたという証明書を一枚ずつもらって店を出た。

     熊の湯

 午後は温泉に行くことにした。一度宿に戻って支度をしてから、缶ビール等を買い込み、温泉ツアーに出発。
 知床半島を横断してオホーツク側の宇登呂に続く国道を知床峠に向かってずんずん歩く。めざすのは「熊の湯」という露天風呂。メンバーのうちN君とS君は昨日同じバスで羅臼に着いて、一緒に熊の湯まで行ってきたというが、徒歩で1時間近くかかるそうだ。
 羅臼川の渓流沿いに雪道を登っていくと、街から50分ほど歩いた地点で、ついに道が途切れた。ゲートが閉ざされ、その先は1メートル以上の積雪が道路を埋めているのだ。
 そんなかなり山に入った地点に熊の湯はあった。ゲートの手前を左に入り、渓流を渡ると木立の中に大小2つの露天風呂が湯煙を上げている。それぞれに掘立小屋のような脱衣場があって、つまり男湯と女湯なのだが、粗末な仕切りがあるだけなので、どちらも丸見えである。我々が着いた時にはちょうど湯上りのおじさんがいただけで、風呂には誰もいなかった。
 温泉はかなりの熱湯で、温度を調節するための水道も凍結して出ない。ではどうするのかというと、それはもう周囲にどっさりとある雪をぶち込んで温度を下げるわけである。熊の湯なんていう名前からして、いかにも、という感じのまさに野趣あふれる温泉なのだ。
 すっかり身体が温まって茹でダコみたいになったら風呂の縁の岩に腰かけて一服し、またすぐお湯の中へ。なにしろ、いつの間にか雪が降り出して、それが強い風に乗ってビューッと吹きつけてくるのである。雪見酒などと風流なことを言っている場合ではない。
 出たり入ったりしていると、元プロ野球選手でタレントの板東英二にソックリなおじさんが来た。地元の漁師さんで、N君たちは昨日も会ったそうだ。未明からの仕事が終わると毎日ここへ来るらしい。
 いろいろと漁の話など聞くうちに板東さんがお湯を取り換えようと言い出し、風呂の栓を抜いて、隣の女湯へ引越し。そこに漁師さんがさらに5、6人ドヤドヤとやってきて、男湯のほうを覗き、「全然湯が入ってないじゃないか」と言いながら、こっちの小さい風呂に入ってきたので、たちまち超満員になってしまった。外見だけで判断すると、刺青をしている人もいて、かなり怖い感じの面々であり、昨日乗ったトラックの運ちゃんが、羅臼にはヤクザみたいな人も集まってくる、と言っていたのを思い出してしまう。でも、少なくとも今はみんな厳しい海の仕事を終えて、この温泉で安らかなひとときを楽しんでいるようだった。
 そろそろ行こうか、ということになり、僕らはまた長い帰途についた。雪の降るなかを歩くうちに、せっかく温めた身体もどんどん冷えてくる。そこへ後方から来たバンがクラクションを鳴らして停まった。漁師さんたちの車で、「こんなとこ歩いて帰ったら風邪引いちまうぞ」と街まで乗せていってくれた。

 明日こそは船が出ますように。