先日、多摩丘陵の古道「布田道」を歩いてきたが、その後、いろいろ調べてみた結果、ちょっと気になったことがいくつかあり、もう一度行ってきた。
前回は小田急多摩線の黒川からスタートしたが、今日は新百合ヶ丘で多摩線に乗り換えるのが面倒で、鶴川から入った。小野路もかつては鶴川村の一部だったわけだが、鶴川駅から布田道へのアプローチはけっこう遠かった。勘を頼りに歩いていたので・・・。
で、一体、何が気になったのかというと、黒川と真光寺の境を行く布田道が旧小野路村に入ったあたりに三社大権現というのがあるらしいのだ。ネット上のいくつかの布田道探訪記にはそう書いてあり、石塔のようなものの写真がアップされていたりする。しかし、前回、僕が歩いた時はそのようなものは見当たらなかったように思う。それでちょっと確認してこようと思ったわけである。ほかにも改めて見てみたい場所がいくつかあるので、布田道を再訪してきた。
この三社大権現がある場所というのはこの地域の最高地点にあたり、何本もの古道が交わる場所であるようだ。鶴川からだと南からの道で、その場所にたどり着いた。布田道が通っている丘陵の麓側にもはや誰も使わないのではないか、と思われる石段があり、林の中に入っていくと、何やら石塔があった。これはネットに写真があったものだ。よく見ると「六地蔵尊」と書いてあるようだ。
さらに落ち葉に埋もれた石段を登っていく。
今度は家形の石祠。壊れている。壊されたのだろうか。
そばに富士山の溶岩のようなものもある。
石祠の残骸の脇を過ぎて、さらに石段を登ると、広場に出る。この広場の北側を布田道が通過していて、前回、この広場を少し歩いたのだが、何もなかった。
しかし、丘の麓から石段が通じているということは、ここに三社大権現とやらがあったのだろう。実際、10年ほど前にはこの広場に祠(先ほどの残骸とは別のもっと大きな祠)や立派な石塔が存在していたようだ。しかし、それらはすべて消えてしまっているのだ。
この丘の上の平坦地が旧境内であったことは間違いないようだ。でも、今は何も見当たらない。
この広場には誰もいないが、北側には野球グラウンドがあり、野球少年たちの声や金属バットの音が聞こえてくる。
そのグラウンドと布田道の間に林の中のちょっとした高まりがあり、これは富士塚であるとか、古墳であるとか言われているようだ。
かつてはここにも石祠があったという。今は木が茂って見通しがきかないが、布田道を少し行けば、富士山や丹沢山系の大山などが望まれる絶景ポイントがある。
この塚の周辺では縄文土器も発見されているらしいから、遠い昔から聖地のような場所だったのかもしれない。そして、いくつもの古道が交わる交差点でもあったのだ。
小野路・別所にある東光寺。
ここで今年初めてウグイスのホーホケキョを聞いた。
本堂の裏に立つ十一面観音。
頂部に避雷針がついている。
(きょうの1曲)STELLA LEE JONES / Synapse