新緑の多摩丘陵を歩く(2)

 5月3日に多摩丘陵を歩いてきた話の続き。

 多摩よこやまの道を逸れて、町田市小野路町の東光寺に立ち寄ったところから。

 坂を下り、別所の薬師堂前を通り、クルマが行き交う現代の鎌倉街道を渡って、布田道に入る。

 会う人も少なく、静かなものである。聞こえてくるのは野鳥の声ばかり。

 名残のオオイヌノフグリとテントウ虫。

 眩いほどの緑の谷戸はカエルの大合唱。今年初めてセンダイムシクイのチョチョビーというさえずりも聞いた。

 関谷の切通し。

 切通しを抜けると、小野路宿は近い。

 小野路宿には13時頃に着いた。2月に来た時と同じ里山交流館で小野路うどんを食べる。ここは賑わっていて、僕が注文した直後にうどんは売り切れとなった。

 前回はひな祭りの展示だったが、今日は端午の節句の展示。

 昼食後、万松寺谷戸を散策。

 前回はこんな風景だった。

 それがこうなっていた。ちょうど太陽に雲がかかって、陽が翳ってしまった。

 カキツバタと弁天様。

 こういう水の多い場所にはマムシがいる可能性がある。前回はまだ気にする必要はなかったが、今回はどこに潜んでいるか分からないので、数メートル先を確認しながら一歩一歩進む。

 谷戸では数名が散策を楽しんでいたが、谷戸の一番奥まで行き、そこから斜面を登ると、もう誰にも会わなくなった。前回よりも人が少ない。

 小野路城址

 前回は工事中だった解説板が設置されていた。

 文明8(1476)年に起きた長尾景春の乱で、翌年、長尾勢に攻め落とされ、そのまま廃城となったといわれているが、小野路という交通の要衝に位置することから、後に小田原北条氏が再び城として利用した可能性も指摘されている。結道(ゆいどう)城とも呼ばれ、結道とは北条氏照の所領だった由井(八王子付近)へ通じる道を意味するという説もあるようだ。ただ、当時の記録が乏しく、詳しいことは不明である。かなり立派な城ではあったようだ。

 この切通しも小野路城があった当時に開かれたものだろうか。

 さて、今日もまた白山谷戸方面へと歩を進める。本当に誰もいなくて、不安になるぐらいだ。

 こうせん塚。ここにも新しい説明板が設置されていた。

 訪れる人がどれほどいるのだろうか。それにしても、どういう塚なのか、結局は正体不明のようだ。

 山林の中の小径を抜け、図師町の白山谷戸へと下ってきた。ますます人の気配がしない場所だ。

 カワトンボ。当然、ここも「マムシ注意」である。

 昔、この谷戸を見下ろす山の上にあったという白山権現の跡地への道が再整備されたりしていないだろうか、と思ったが、もちろん、そんなものは見当たらなかった。冬場よりも草が生い茂って、ますます到達困難になっているのだろう。

 それにしても、このあたりの風景は京都・聖護院門跡の道興准后が訪れた文明18(1486)年(=小野路城落城の9年後)とほとんど変わっていないのではないかと思ってしまう。道興が半沢に泊ったのは冬のことであったが。当時はここにどれほどの寺があったのだろう。

 

 つづく

 

(きょうの1曲)村松健/グリーン・シャワー


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