旅の終わりは急行「いいで」

 昨日は南部縦貫鉄道に乗った後、青森に出て、20時35分発の急行「津軽4号」に乗車。奥羽本線経由で早朝5時49分に福島に到着。ここで下車。もう東京へ帰るだけなので、このまま乗っていれば、10時06分には上野に着くわけだが、それでは面白くない。

 というわけで、福島発秋田行きの奥羽本線普通421列車に乗った。

 先頭に立つのは電気機関車EF71‐11。その後ろにオハフ33‐2584、オハ35‐2835、オハ35‐2240、オハフ33‐2325、マニ36‐2006という客車4両と荷物車1両の古めかしい編成である。

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 福島を6時30分に出て、再び奥羽本線を行く。この先には難所・板谷峠を越えるために4連続スイッチバック駅があり、急行「津軽4号」はすべて通過してきたが、今度はすべての駅に停まっていく。それが楽しみだ。

 笹木野庭坂と行くうちに福島盆地が尽き、列車は雄大なカーブを描きながら徐々に高度を上げていく。

 トンネルをいくつか通り抜けた後、ゴトゴトとポイント群を渡り、引き込み線に突っ込んで停車。警笛の合図でバックして、また複雑な本線上のポイント群を渡り、別の引き込み線に入っていくと、その先に赤岩駅がある。急勾配の途中には駅が造れないので、このような形で本線からはずれた平坦な土地に駅を設置しているわけだ。

 赤岩駅を発車すると、再びガタゴトとポイントを通過して本線に出て、またしばらくはトンネルの連続になる。もう4月だが、線路際にはかなりの積雪がある。

 山形県に入って板谷駅。ポイント部分を覆うスノーシェルターをくぐって引き込み線に入り、バックして駅に到着。

 次が峠駅。今度は本線から左に分かれて引き込み線に入ると、そこに駅がある。ここでは「峠の力餅」が名物になっているが、朝早いので売り子の姿は見えなかった。

 峠駅を発車すると、バックして別の引き込み線に入り、今度は前進して本線に復帰。旅行者にとっては楽しいが、日常的に利用する人にとっては、イライラするかもしれない。

 峠からは下り勾配となり、次の大沢駅も峠駅と同じで先に駅に進入し、バックして引き込み線に入り、また前進して本線へ。

 米沢盆地に下って、7時47分に米沢に到着。ここで下車。7時54分発の米坂線2123Dに乗り換え。

 米坂線は米沢と新潟県日本海岸にある坂町とを結ぶ90.7キロの路線で、沿線は有数の豪雪地帯でもある。

 キハ25‐656+キハ55‐15+キハ58‐181の3両編成で米沢を発車し、まずは南へ向かい、すぐ西に向きを変え、次の南米沢を出ると右にカーブして北北西に向かう。二つ目の西米沢、五つ目の羽前小松で米沢行きと行き違い。通勤通学の時間帯なので、列車本数も多い。

 8時38分に今泉到着。長井線との接続駅で34分も停車。

 ここでは2面4線のホームすべてに列車が入った。

 2123Dが到着したのは4番線。続いて15分後の8時53分に長井線226D山形行きが1番線に到着。8時55分には長井線下り荒砥行き225Dが2番線に。そして、8時58分に米坂線上り米沢行き124Dが3番線に着いて、これで4線すべてが埋まる。

 発車は米沢行きが8時59分、山形行きが9時01分、荒砥行きが9時04分、そして最後に列車番号が2123Dから123Dに変わった坂町行きが9時12分発。

 この間、僕は車内でじっとしていたわけではなく、駅前の電話ボックスから自宅に電話して、昼頃に帰宅する予定だったのが夜になったことを告げ、記念に駅の入場券を買ったりもした。電話は100円で1分も話せなかったから、東京はまだまだ遠い。

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 9時12分に今泉を発車。しばらくは長井線と同じレールを走り、白川信号場で分岐。昨夜は夜行で睡眠不足なので、急に眠くなってきた。

 初めての路線なので、ずっと景色を見ていたかったが、小国で列車の行き違いがあったのと、沿線の積雪量が凄かったことぐらいしか覚えていない。

 気がつくと、山形・新潟県境を越えていて、越後金丸に着く。駅の上にロープウェイのような索道が山を越えてずっと続いていて、リフトのようなものがたくさん動いていた。鉱山で採掘した鉱石を運んでいるのだろう。

 山間部を抜け、平野に下ってくると、雨になった。旅の最初に寝台急行「天の川」で新潟を通った時も雨だった。日本海型の気候のせいで、冬だったら、これが雪になるのだろう。

 羽越本線と合流して坂町には11時07分に到着。たった4分の連絡で、秋田発新潟行きのディーゼル急行「羽越2号」に乗り換える。混んでいたので、デッキに立っていた。

 中条、新発田に停車して11時56分に新潟着。

 上越新幹線の工事の進み具合を見る余裕もなく、5分後の上野行き急行「いいで」に乗る。旅に出て9日目とは思えないほどのハードスケジュール。でも、これがいよいよ今回の東北旅行の最後の列車だ。しかも、上野行きといっても、この「いいで」はただの上野行きではない。磐越西線経由、つまり会津若松、郡山経由で上野まで7時間以上かけて行くのだ。

 発車直前に乗り込んだから、すでに満席で、仕方がなくデッキに立つ。しかし、ずっと立ちっ放しは辛いので、中間車両の運転台の助手席が空いていたので、そこに座る。

 12時01分に新潟を発車。グリーン車1両を含むディーゼルカー4両編成である。

 次の新津で少し降りたので、ここで客室内に空席を見つけ、ちゃんと座れた。

 磐越西線に入り、五泉あたりまでは平野部を走るが、やがて山が迫ってきて、積雪も多くなってきた。この路線も初めてだが、僕はたちまち眠ってしまった。

 

 目が覚めたら、もう喜多方だった。この駅には2年前にやってきた。喜多方から出るローカル線・日中線に乗ったのだった。

 残雪の会津盆地を走って、14時13分に会津若松到着。8分停車する間に3両増結して7両編成となり、進行方向も逆になる。

 会津若松を出て、急行「いいで」は会津盆地をあとに磐梯山麓を行く。いつしか雪が激しく舞いだした。

 更科信号場で旧型客車の1233列車と交換し、猪苗代、磐梯熱海を過ぎるうちに雪もやみ、積雪もなくなった。

 15時33分、郡山に到着。ここで山形発の急行「ざおう4号」を併結するため8分停車。その間に駅弁を買った。

 12両編成の堂々たる姿になって、あとは東北本線をひたすら南下するだけだ。

 須賀川、白河、黒磯、西那須野、矢板、宇都宮、小山、大宮と行くにつれて、車窓がだんだん春めいてきた。

 日が沈み、すっかり暗くなった18時54分、赤羽で下車(列車の上野着は19時06分)。そして、赤羽線・山手線を乗り継いで無事に家に帰り着いた。