身延線の旅(その1)

 この夏の「青春18きっぷ」がまだ4日分残っていて、どこかへ行かなければならないが、行先を考えるのが面倒なので、身延線に乗ってくることにした。静岡県富士駅山梨県甲府駅を結ぶ身延線は東京からだとちょうど富士山の向こう側を走る路線で、日帰り旅でぐるっと回ってくるのにちょうどよい距離で、複雑なルートをあれこれ考える必要もない。甲府から入るか、富士から入るかだけを決めればよい。

 ということで、8月18日(日)、静岡側から身延線に乗ることにして、小田急の始発電車で出かけた。先日、銚子へ行った時も始発だったが、あの時よりも空は暗く、コオロギの声も賑やかになった。カネタタキも鳴いている。僕の好きなエンマコオロギが自宅周辺にはいないので、声が聞きたいなぁ、と思っていたら、駅前ロータリーの植え込みで鳴いていた。

 各駅停車の伊勢原行きに乗り、伊勢原で小田原行き(海老名始発)に乗り継ぎ、新松田で下車。通りを挟んで向かい側にあるJR東海松田駅から御殿場線に乗る。

 最近、神奈川県西部を震源とするわりと大きな地震が続いていて、そのたびに小田急震源に近い区間が運転見合わせになっていたので、また地震が起きたら困るな、と心配したが、とりあえず無事に着いてよかった。

 駅窓口で日付スタンプを捺してもらい、ホームに上ると、クマゼミの声が聞こえてくる。もともとは箱根の西に生息するセミと言われていたから、ここでも新参者だろうか。ここのホームからは富士山も見えるが、今日は雲に隠れている。全体的に雲が多めの天気である。

 ここから乗るのは6時50分発(国府津始発)で、御殿場線の終点・沼津から東海道線に乗り入れ、静岡まで直通する便利な列車である。ちなみに御殿場線から静岡まで直通するのはこの1本だけだ。

 待ち時間が20分ほどあり、その前に国府津行きがやってきたので、隣の相模金子まで静岡行きを迎えに行くことにした。

 相模金子は単線の線路に片側ホームがあるだけの小さな無人駅だった。

 走り去る電車の彼方に次の上大井駅が見える。そこで国府津行きと静岡行きが行き違うのだ。

 夏の草花が咲き、コオロギが鳴く駅で待っていると、ほどなく静岡行きがやってきた。JR東海の標準型といえる313系の5両編成。

 「次は松田です」と告げる車掌のアナウンスを聞いて、松田の「ま」にアクセントがついているのに違和感を持ったのだが、そうなのだろうか。小田急の新松田は「ま」にアクセントがくるけれど、松田は僕は平板に発音していた。

 箱根の外輪山の外側を巻くように走る御殿場線は富士山を間近に望む路線でもあるが、今日の富士山は長い裾野でその存在を感じるのみ。御殿場を過ぎて、空が暗くなって、窓ガラスを雨が叩いたりもしたが、すぐに止んで、沼津に着く頃には薄日がさしてきた。

 沼津では御殿場線ホームではなく、東海道線の下りホームに到着。ここで8分停車して東京からの沼津止まりの電車の客を受け継いで、8時09分に発車。

 身延線の乗り換え駅、富士には8時27分着。

 富士駅は製紙工業の盛んな富士市の中心駅だが、日曜日のせいか、意外にひっそりとした雰囲気。

 身延線の乗り場へ行くと、8時49分発の西富士宮行きが待っていた。御殿場線と同じ313系の2両編成である。僕はその後の9時12分発、甲府行きに乗るつもり。今日はまず身延まで行って、身延山久遠寺へ行ってみようと思う。

 ところで、身延線には過去にも何度か乗ったが、富士から乗るのはたぶんこれが2度目。前回は中学1年生の夏休みにクラスの友人と3人で東京駅から静岡行きの普通列車で富士まで来て、身延線に乗り換えたのだった。富士駅のホームで駅弁を買った記憶がある。いまは駅弁売りの姿などなく、立ち食い蕎麦も土休日は休みで、シャッターが閉まっている。あの時は駅弁を食べながら電車に揺られ、身延で下車して、富士川で川遊びなどして、甲府回りの新宿行き急行「みのぶ」で帰った。

 あの頃の身延線にはまだ戦前製の旧型電車が走っていて、僕らが富士から身延まで乗ったのは旧型電車に横須賀線113系みたいな車体を乗せた62系電車だった。

(新型車を装った旧型車の62系。身延駅にて。1977年7月)

(正真正銘の旧型電車。富士駅にて。1980年8月)

 また、優等列車としては、身延線を全線走破して、甲府と静岡や三島を結んでいた急行「富士川」と新宿~身延間を結んでいた急行「みのぶ」(季節列車)がいずれも165系で運転されていた。

 現在は静岡と甲府の間に特急「ふじかわ」が7往復運転されていて、しばらくすると、「ふじかわ1号」が静岡からやってきて、方向転換して8時44分に甲府へ向けて発車していった。373系の3両編成だから、特急列車の風格はない。このぐらいの区間を走る列車は特急よりは急行ぐらいがちょうどよい気がするが、JRとしては特急にして、より高い料金を取りたいのだろう。今ではJRの優等列車といえば、特急ばかりになって、急行という種別はほぼ消滅してしまった。急行があってこその特急(特別急行)だと思うのだが。ただ、この「ふじかわ」では身延線内の短距離・自由席利用に限り割引料金が設定され、30キロまで330円、50キロまで660円である。たとえば富士~身延間は43.5キロなので、特急料金は660円だ。昔の急行料金ぐらいの感覚ではある。もっとも、「青春18きっぷ」は普通列車専用なので、特急に乗るためには特急券のほかに乗車券も必要になる。

 さて、特急「ふじかわ1号」に続いて、西富士宮行きも発車していき、8時58分に到着した電車が折り返しの甲府行きとなる。これも313系の2両編成でワンマン運転である。昔の車両に比べると味気ないが、座席の座り心地はよい。もちろん、冷房も付いている。昔はローカル線では冷房なしが普通だったし、東京の電車でも非冷房車は珍しくなかった。それでも、夏の旅で、冷房のない車内が暑くてつらいと思った記憶はあまりない。今ほど暑くなかったせいだろうか。窓を開けていれば、吹き込む風のおかげで、さほど暑く感じなかった気がする。少なくとも、今のような「危険な暑さ」ではなかったのだろう。1970年代の小田急線で冷房車と非冷房車の混結編成(たとえば、前4両が冷房付き、後ろ4両が冷房なしとか)だと冷房車に乗りたいとは思ったけれど。今は猛暑の日に冷房のない列車はちょっと勘弁願いたいかな。

 

 9時12分に発車した甲府行きは東海道本線から分かれて、右へカーブしていく。身延線は全区間単線だと思い込んでいたが、しばらくは複線である。列車本数の多い西富士宮あたりまでだろう。車窓には田んぼや畑も見えるが、基本的には地方都市の住宅地を行く。相変わらず富士山は裾野しか見えない。

 その富士山を御神体とする富士山本宮浅間大社のある富士宮を過ぎると、線路は単線となり、次の西富士宮を出ると、急にローカル線らしくなる。乗客も富士宮までに半分ぐらい降りた。この先はトンネルが多くなるので、運転席のブラインドが下ろされてしまう。

 山が近づき、勾配区間に入る。最大25パーミル。千メートル進んで25メートル登る、鉄道としては急勾配。自動車にとっては大した坂ではないが、車窓前方にカーブした線路が見えると、けっこうな急坂だな、と思う。もちろん、このぐらいの坂で列車が苦闘したのはSL時代の話で、現代の電車は軽快に坂を上っていく。西富士宮まで北上した線路は西富士宮を過ぎると、一転して南南西に向かうので、列車の左後方という意外な方角に富士の裾野が見える。眼下には富士宮の市街地が広がり、富士山がきれいに見えていれば絶景区間だろう。

 次の沼久保を出ると、富士川に出合い、ここからは富士川に沿って北上していく。日本三大急流のひとつであるが、河川敷が広く、渓谷という感じではない。トンネルも多くなるが、ほとんどが短いトンネルで、さほど山深いという感じでもない。川沿いに開けた人里を結んで走るという印象で、沿線風景には絶えず人の暮らしが感じられる。富士川では砂利の採取も行われているようで、さまざまな形で、人の手が加えられているようだ。

 沼久保の次が芝川。ここで富士行きと行き違い。昔、この駅で撮った写真が手元にあるが、昭和と令和では駅の雰囲気もだいぶ変わったようだった。当時は古い木造駅舎で、駅員もいたが、今は駅舎は簡素なものに建て替えられ、無人駅となっている。下の写真に写っている電車(クモハユニ44だろう)には郵便・荷物室がついているが、身延線も荷物や郵便の輸送に一役買っていたので、多くの駅に駅員が配置され、旅客の乗り降りだけでなく、荷物や郵便物の積み下ろしも行っていたのだ。ローカル線にも今より活気があった時代の話である。また、往時は急行「富士川」が停車していたが、特急「ふじかわ」は通過するので、現在の芝川は普通列車しか停まらない駅になっている。

(1977年の芝川駅。まさに絵に描いたような昭和のローカル線風景だ)

 芝川の次の稲子を過ぎると、静岡県から山梨県に入る。十島(とおしま)駅に着くと、駅名板に「山梨県南巨摩郡南部町」と書いてあり、それで山梨県に入ったのだなと気づいた。この駅で静岡行きの特急「ふじかわ4号」の通過待ち。

 列車は富士川の清流に沿って走る。対岸には山が重畳と連なり、最奥には南アルプスの峰々が聳えているはず。今日は高い山は雲に隠れているが、身延線から眺める山々の神々しいほどの奥深さも印象に残っている。

 富士川を眼下に見下ろし、いくつものトンネルをくぐりながら、列車は山にへばりつくような線路を右へ左へカーブしながら走り、内船(うつぶな)に着く。

 この駅でも中1の旅で撮った写真があるが、ここで急行「富士川」との行き違いがあった。内船には急行も停まっていたが、今も特急停車駅である。しかし、この駅も今は無人化されている。

 いま乗っている列車はワンマン運転なので、無人駅では1両目のドアしか開かず、1両目の後ろのドアから乗って整理券を取り、降りる時は運転士に切符を渡したり、料金箱に運賃を入れたりして一番前のドアから降りる。ドアはすべて乗降客がボタンを押して開閉する方式である。

(1977年の内船駅。165系急行「富士川」と行き違い)


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 身延到着は10時31分。車内アナウンスによると、身延は「み」にアクセントがついている。僕は御殿場線の松田と同様に平板に発音するのだと思っていた。

 47年ぶりに下車した身延駅は沿線の主要駅だから、もちろん駅員がいて、1番線から3番線まであるのは昔と変わらない。しかし、昔の写真と比べると、2・3番線の島式のホームが短くなったようで、ホーム上の植栽なども消えていた。また、古かった駅舎も建て替えられていた。

 昔の身延駅。側線の165系は急行「みのぶ」の車両。

 新宿行きの急行「みのぶ」。4両編成で、1977年当時は甲府から岡谷発の急行「たてしな」に併結されたと記憶している。4人掛けのボックス席で、今から思えば、さほど贅沢な車内設備ではなかったが、身延線内では普通列車の冷房もない老朽車両に比べれば、まさに優等列車であった。

 現在の身延駅。駅舎と島式ホームが地下道で結ばれているのは今も昔も変わらない。ホームの屋根は新しくなった。

 さて、身延駅で途中下車して、これからバスで身延山まで行ってくる。改札口の上に「おつかれさまでした」とあるから、身延山へ行くと疲れるのだろう。

 

 つづく

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